2012年12月26日水曜日

ハワイは遠い

通常は、何回も乗り物に乗ると、その分料金が高くなるものですが、この法則はなぜか飛行機には当てはまりません。

格安航空券で帰宅予定のキニコは、24日の夜にカウアイ島を出発し、ロサンゼルス→サンディエゴ→ダラス経由でローリーダーラム空港(長いから以後RDU)へと、昨日帰る予定だったのです。
(それにしても、何が悲しくてロサンゼルス→サンディエゴへ飛ぶんですかね。。。)

航空券を取ったのは本人なので、そもそもなぜこんなルートを選んだのか知りませんが。格安航空券と言えど片道400ドル以上してるんだから、もうちっとましなルートがあっただろうって思うんですけど。もしかして元を取ろうと、なるべくたくさん飛行機に乗ろうとしたんか? んな、あほな。

で、昨日、ダラスまで来たのはいいけれど、ダラスからRDUへのフライトが天候を理由に欠航。なんでも昨日は雪が降ったのだとか。テキサスで雪とは珍しい。

振り替えのフライトは翌朝だと言うので、私が貯めたホテルのポイントで空港近くのホテルを取ってやりました。

今朝新たなフライト情報が送られて来たのですが、てっきり直行便で帰って来ると思いきや、若者にはもっとたくさんフライトをエンジョイしてもらおうと航空会社が気を遣ってくれたのか、わざわざダラスからワシントンDCに飛んで、そこからRDUなそうな。6時半に出発して、RDU到着は2時半。ご苦労さんなこってす。

ところが出迎えもあるのでフライト情報をチェックしてますと、ダラス発のフライトが2時間遅れ、ようやくそろそろDCに着く頃なのですが、既にDCでの乗継ぎ時間は10分になっている。しかもありがたいことに、DCからの便はオンタイム。間違いなく乗れません。

はて、今日中に戻れますやら。

どうやらハワイは日本よりずっとずっと遠いようです。

2012年12月24日月曜日

イヴの夜に一人寂しく。。。

クリスマスイブに一人でパソコンに向ってブログを書いてるなんて、なんとわびしい。
なーんて全然思ってなくて、やせ我慢でも負け惜しみでもなく、結構快感。

今日帰宅と思っていたシナコとやっと連絡がついたかと思いきや「帰宅は明日です。」
しかも、「どうやって空港から帰宅するの?」の質問に、
「ママ、迎えに来てくれる?」

私が連絡取らなかったらどうするつもりだったんや? 迎えに来て欲しかったら、普通事前にお願いするでしょ?

けれどシナコに普通が通用するはずもなく、私もようやく達観したのか悟りが開けたのか、別段腹が立つでもなく、あきれるでもなく、極自然な会話のように、「何時に到着?」と聞いてしまっておりました。

てなわけで、一人優雅に赤ワインを飲みながら執筆活動中。

そうそう、しばらく控えていたお酒も公明正大、正々堂々と飲めるようになったのですよね。
いえ、別段禁酒してたわけじゃなかったのですが、8月の健康診断の結果、γGPTが高かったために「アルコール性肝炎などの可能性あり」とされていて、まさかとは思いながらも、元来小心者ですから、びくびくしながらお酒を飲み続けていたわけであります。(びくびくするくらいやったら、やめんかい!と言うヤジは聞こえないことにする。)

で、11月の末にようやく「主治医」なるものを設置するためにも(アメリカって主治医がいないことには、何かの病気をしたときに、直接専門医にはかかれないのです)、アポを取って新設の「主治医」に会いに行き、その時に血液検査もしてもらったのです。

主治医いはく、「肝炎ってことはないでしょう。もしそうだったとしたら、γGTPだけじゃなく、他の数値もみんな悪いはずですから。でもどうしてもって言うなら、一応血液検査しますか?」 こんな乗りでした。

彼の言うことはまったく一理あるのですよね。だって他はみんな健康的な数字で、これだけ悪いってどうよ。健康診断は日本滞在の最終日に受けたのですが、その日まで毎日飲み歩いてたんですから。。。

けれど健康診断の結果の所見として、「2−3ヶ月後に再診をお勧めする」って書いてあったから、一人密かに心配してたんですよね。肝炎になって、腹水が溜まって死ぬんじゃないかって。

で、しばらく品行方正にしていた後に受けた血液検査の結果は、「正常。」
ってなわけで、晴れて再びお酒が好きなだけ?飲める身分になったわけであります。

今夜はイヴ。一人でワイン。いい感じでしょ?

私はそもそもフルボディの赤が好きで、一時期そればっかり飲んでたのですが、このところ軽い白の方が飲み易くて白ばかり。でも急に赤が飲みたくなり、今日は昔よく飲んでいたBOGLEのPetite Sirahを買って来ました。やっぱりおいしい。高級なワインじゃないですが、お手頃な値段でお勧めです。

健康の話をすれば、実は11月の感謝祭の直前に、例の「良性発作性頭位めまい」が再発。

朝方目が覚めて寝返りを打った途端、天井がグルグル回るめまいが。頭を動かす度にグルグル。めまいが治まった後には猛烈な嘔吐感。

このめまい。頭を真っすぐ垂直にしている限りは動き回っても全然平気なのですが、ちょっと下向いたり、首を傾げたりすると、ぐわん!って感じで回り始めるのです。そうなると立ってられない。

その日は出張先からの帰宅日だったのですが、ホテルから空港に向う間の車では、頭は真っすぐに垂直だから大丈夫だったのです。するとすっかりめまいのことも忘れてしまい、空港のセキュリティーでブーツを脱ごうと思って、ジッパーに手をかけた途端、グワン!とやって来て、近くにあったテーブルに手をつかないとぶっ倒れてしまいそうでした。

その後は気持ちが悪くなってしまい。。。
予定より早く帰宅することになってしまったのですが、感謝祭前で他のフライトは一杯で予約変更はできず。空港で半日以上待たなければいけなかったのですが、この体調でゲート前のプラスチックの椅子で何時間も過ごすのは無理と、ファーストやビジネスクラスの人が利用できるラウンジに、お金を払って入りました。

大した食べ物はありませんでしたが、無料のWiFiはあるし、アルコールは飲み放題。普段だったら25ドル分の元を取るつもりで片っ端から飲んだのでしょうが。。。体調が悪過ぎてお酒を飲む気にはならず。ただ良かったのが、コの字型をした一人掛けのソファーがあり、コの字の部分がすごく高くて、座ってる人の様子が回りから見られない配慮になってるんですよ。ここで大口開けて居眠りしようが、よだれ垂らそうがが、プラバシーが守られるってこと。

ですから、私はコの字の側面に頭をもたせかけ、頭部を垂直にしたまま、昼寝をすることができたのです。

そんなこんなで、無事に帰宅したんですけれど、やはりちょっと頭を傾けると天井がグルグルして気持ちが悪くなり、お腹は空くけれど、食欲はなく、起きているのもかったるくてベッドで臥せって2、3日を過ごしたのでした。(この間、シナコも感謝祭で帰宅してましたが、病身の母を慮るでもなく、結局私が起きてご飯を作らなくちゃならず、シナコはパンプキンパイだのパンプキンチーズケーキだのを焼いて、それを持ってそそくさとアパートへ帰って行きましたとさ。。。)

で、ある朝起きて鏡に映った自分の姿を見て、ラオスの農民か!と思いました。
(別段、ラオスの人に対して差別意識があるわけじゃないので、あしからず。だって、ほら、栄養不足のアジアの農民の人って、日に焼けてシミだらけで、痩せこけて青黒いじゃないですか。いえ、別段体調不良で私がシミだらけになった訳でもないんですが。)

で、こりゃいかんと思ったのです。

その後、近所の自然食スーパーに行った時のこと。ここは少量で珍しい物をたくさん売っているので、気に入ってよく買い物に行きます。この日もふと見た棚に「マカパウダー」なるものがあるのが目に留まりました。

マカと言えば、かなりの昔に夫が南米土産に「精力増進剤」のサプリメントをもらって来たことを思い出しました。だけど自然食スーパーに置いてある物が単なる男性用の精力増進剤とも思えず、手に取って見ると「スタミナの元、元気がでる、その昔インカ民族は戦闘の前にマカを摂取した」とあるじゃないですか。男性も元気が出るなら、女性にだって同じはず。めまいは良くならないし、かなり憔悴し切っていたので、藁をもつかむ思いで、取りあえず試してみようと、マカパウダーを購入。

その日からは、マンゴジュースにシリアルにヨーグルトなどにマカを混ぜて摂取。少し粘性があることからシチューやスープに混ぜても行けるんじゃないかと、とにかく混ぜられそうな物には何でも混ぜて取っていたんですよね。臭いと言うほど匂わないのですが、独特の香りがあることは確かで、なるべく香りの強い物に混ぜてみました。何となく懐かしい香りがするような気もしたのですが、ある日お味噌汁に混ぜてみて気がつきました。

我が実家では、お正月の三が日のお雑煮は日替わりで、元旦が父の出身地山口県の萩風、2日が大阪風、3日が曾祖母の出身地だった京都風と決まっていたのです。萩のお雑煮にはカブが入っていたのですが、まさにそのお雑煮の香りだったんですよ。マカは根菜で形もカブに似ています(人参の仲間とされてますけど。)

話が紆余曲折しますが、早い話、マカを摂取し始めてから妙に元気なのです。ものぐさな私が、「次は何をしようか?」と思うくらい次々と用事が捗るのです。しかもめちゃくちゃ寒がりの私があまり寒くない。(ま、今年は暖冬ってこともあるのでしょうが。。。) めまいも3日もしないうちに嘘のように消えてしまいました。(ちゃんと首ふり体操もしてたし、これはマカのせいばかりじゃないかもしれませんが。)

それでネットで調べてみたら、マカには冷え性改善の効果もあるし、気分を高揚させることから鬱病の薬としても使われてるとのこと。ちなみに更年期にも効くらしいです。

私のめまいを「更年期のせいじゃないか?」と言った心ない?友人がいたのですが、確かに良性発作性頭位めまいは耳石なるものが本来ある場所からこぼれ落ちてバランス感覚を狂わせるらしいのですが、その耳石が炭酸カルシウムから出来ているため、「更年期のカルシウム不足により耳石が落ちやすくなる」と言う話もあるそうで。。。

私自身、若い身空で断固として更年期を受け入れる気がないので、上記の説は却下してますが。ちなみに新しい主治医の先生も、「そりゃ関係ないです。このめまいは耳鼻科系の病気」と一笑に付ししてくれたので、私はこの先生のファンになりました。あはは。

えっと、何の話でしたっけ。あ、そうそう、マカでした。

そうなんです、もう何事もマカにおマカせ。ほんマカ!?と半信半疑の人も、是非ともマカをお試しください。(と、我ながらしょうもない駄洒落。)

気分の高揚に関しては、別の友人は「マカが気分を高揚させてくれるんじゃなくて、体が元気になるから気持ちも高揚するんじゃないの」と。確かにその通りなのかもしれません。その方が尚良いでしょ?

ご参考までに、私が摂取しているマカってこれです。
http://navitasnaturals.com/product/457/Maca-Powder.html
http://www.sunfood.com/food/maca/maca-8-oz-organic-raw-sunfood.html

是非お試しあれ。

すっかりインカの回し者になっているんですけど、ペルー政府から国際親善大使か名誉大使に任命される日も間近かもしれません。

我が家の経済見通しは明るいの?

ブログを継続する気があるんか!?と言われるんじゃないかと思うほど、長期に放置してしまいました。ごめんなさい。

書く気がないわけじゃなく、ジョダを散歩しながら、これ書こう、あれ書こうなんて思うも、家に帰ると雑用に追われて、そのうちまた明日にしよう。。。の繰り返し。

そして一旦途切れると、はてどこから書いたら良いやら。唐突な話題もふれないし。毎日書いてたらくだらないことでも許されそうだけれど、久々に書くなら、かなりビッグな話題じゃないと。。。とか考えると余計に足が遠のいてしまって。。。

言い訳はいいから、こうなったら思いつくまま書きましょう。

昨日は朝起きてから何故か、大滝詠一の「恋するカレン」が頭の中でかかっていて、「キャンドルを暗くして〜」と聞こえて来るのに対して、「キャンドルは暗くできひんでしょ、それも言うなら、キャンドル暗くして」でしょ、と一人で突っ込みを入れてました。

夜は夜で、何故か突然、昔のナショナルのCMソングが頭で鳴り響くのであります。

「明るいナショナル、明るいナショナル、みんな家中、何でもナショ〜ナル〜」ってやつです。

馴染みのない方はこちら。
明るいナショナル

どうして突然、こんな歌が聞こえて来たのか。それにしても高度経済成長時代のナショナルのブランド力って相当でしたよね。それから時代はパナソニックに移り、世界的に知られるようになったわけですが。(今はソニーもパナも他の日本の電機メーカーも当時の輝きを失ってますが、後発アジアメーカーに負けることなく、頑張って欲しいものです。)

ふと思い出したのが、ナショナルがパナに切り替わってから友人に聞いた話。アジアの辺境に於いては、パナソニックよりもナショナルの方がずっと知名度が浸透していて、その方が売れるので、その地域だけでは継続してナショナルブランドで販売するのだと。

あれから暫く経つし、ネット時代で辺境と思われるところでも情報が得られるようになったので、今はパナソニックに切り替わったのかな。聞いてみよっと。

さて、あっという間に今日はクリスマスイブ。
めずらしくクリスマスのご挨拶レターも送ったし、ゆったり気分であります。

クリスマスレターに家族の近況を書いたのですが、気がついたらどれも金にまつわる話ばかりで、慌てて「家族の金況」と、サブタイトルを変更しました。

それにしても我が家は、金運がないのか何だかわかりませんが、どうもよくお金が出て行きます。その話をある人にしたら、「入って来るから出て行くんですよ」と言われ、まぁ確かにそうなのかもしれませんけど。金は天下の回りものですから、そのうちまた戻って来ると思いたいです。

それにしても一番怖いのがコイオさんのところへ舞い込んだIRS(国税局)からの請求。なんと5桁の数字の金額。しかも請求書が届いた時には、既に払い込み期限ギリギリ。期限までに「申し立て」をしないと、請求を受け入れたと解釈されてしまい、その後は利息が発生。申し立て期限は通知の発行日から60日以内で、確定すれば、支払い金額が100,000ドル(1億円)以下の場合で3週間、以上の場合は10日しか払い込み迄の猶予がありません。(脱税かどうか知らないけど、1億以上不足があるってどういう人や?)

今、アメリカの財政は逼迫しており、議会でもいかに税収を増やすか、あーだ、こーだ言ってますが(ニュース見てないから決着したのかどうか知らない)、手っ取り早く国民じゃない人へ矛先を向けるようにしたんでしょうかねぇ。(と、嫌みも言いたくなりますがな。)

早くぬれぎぬだと証明されて欲しいものです。さもなくば、そんな法外な金額は払えそうもないので、コイオは脱税者としてアメリカの法のもとでは罪人となり、掴まらないためには二度とアメリカの土を踏めないのですよね〜。

慌てて会計士さんへご連絡して、代理人として申し立てをしてもらったのですが。。。「海外所得控除は適用できません」って言うのがIRSの言い分なんです。そんなアホな。どうして3カ国すべてに税金を払わないといけないんですかね。2国間協定があるから、控除されるはずでしょう。

さあて、今日、金食い虫の娘の一人、シナコが遊びに行っているニューヨークから帰宅するはずです。クリスマスプレゼントに私のカードを使って航空券を買っていいと言ったんですけど、フライト情報は送って来なかったし、無事に着いたかどうかの連絡もなく、その後電話しても電話には出ず。私の記憶では確か今日が帰宅日と聞いていたんだけれど、一体何時のフライトなのか。。。晩ご飯は要るんだろうか。

キニコのほうも、こちらはパパからのクリスマスプレゼントの航空券で、明日ハワイより帰宅予定。何時の到着だったかな。。。夜遅かったような気がするから、晩ご飯は要らないといいな。

教育費に一番金のかからない賢い息子だったジョダも、このところ持病のアレルギーがちょこちょこ出て、獣医通い。ペット保険に入っているから保険請求をしたものの、既往症ゆえ「保険の対象外」ですと。我が家で一番医療費がかかる存在になりつつあります。

なんだか気分が暗くなって来たなぁ。
そうだ、こんなときは、明るいナショナルを歌って気分を高揚させようっと。

<後日談>
ナショナルブランドの件、確認しました。中東だけがパナソニックへの切替を意図的に遅らせ、電化製品はちょっと前までナショナルだったそうですが、今はもうナショナルで販売している地域はないそうです。会社名も中国を除いて全てパナソニックに変わったそう。(中国は「松下電器」が浸透しているのでそのまま。でもブランド名は中国でもてパナソニック。)
もう松下って名前も消えちゃったんですね。。。幸之助さん、残念がってないかなぁ〜。

2012年11月18日日曜日

ウィンドファーム

広大なトウモロコシ畑と大豆畑が延々と広がる農地に囲まれたところに長く滞在しております。小さな町で、アジア料理で食べられるのは中華くらい。日本食を始め、その他のアジア料理を食べるためには、30マイル(50キロ)ほど離れたもう少し大きな町まで行かねばなりません。

そこで週末には決まって足を伸ばすのですが、道中、高速道路からかなり離れたところに、以前はなかったと思われる風力発電用のウィンドミルがたくさん建っていることに気がつきました。

風の強い日にも関わらず回転スピードはのろいし、色んな向きに建っているウィンドミルの中でも回っているのは極一部だけ。

どうして全部回ってないの? こんなに建ってるのに、もったいないなぁ。。。

私のクライアントはエンジニアばかり。色々な疑問に答えてくれます。

発電は決まった周波数じゃないといけないので、色んな向きの風車がばらばらに回っていたのではダメだそう。だからその日の風向きに合せて、決まった向きの物だけを回しているのだと。

けれど同じ向きに見える風車でも止まってるのと動いているのが。。。こうなるとエンジニアの好奇心がムズムズするのか、「近くまで見に行きましょう。」

遠目には同じ向きに見えた風車も、近くで見ると表向きと裏向きの二つがあり、どちらか一つしか回っていないことがわかりました。しかも側で見るとかなりでかい!

「台風などの場合に折れないように、羽の根っこの部分が動いて羽の角度が変わるようになっているはず」と別のエンジニアが言えば、「台風じゃ風が舞っているから、角度を変えたところで関係ないと思う」と言う意見も。側で見ると、羽の根っこは動きそうでもあり、動かなそうでもあり。。。この議論は持ち越しに。

後日ネットで調べたところ、羽の構造はわからないものの、このウィンドファームで6万5千軒分の発電量をまかなっているとのこと。私の出身地の当時の人口が7万人だったから、「なんだ大したことないですね」と言うと、「6万5千人じゃないですよ、軒ですよ。1軒に平均2人が住んでいたとして13万人分。」 と思うと、うん、なかなかすごいかも。現在滞在している町の人口が3万3千人だから、このプロジェクトがカバーする二つの郡の半数ほどの世帯へ供給可能なのかもしれません。このプロジェクトは1年前にスタートし、11月で完了なんだそう。

こーんなにゆっくりちんたら回ってるのに、これだけ発電できるというのは驚き。何にもない畑のど真ん中だから、これだけのウィンドミルを建てることが可能なわけですが、建っているのに仕事もせず止まっているウィンドミルもたくさんあり、それでも一様に経年劣化は起きるわけで、建設費はともかく、今後の維持費がかなりかかりそうな気もします。自然エネルギーって環境には良くても無駄な部分も多いんですね。


バスケットボール

先週末NBAの試合を見に行って来ました。

プロのバスケットボールなんて、テレビ観戦も全くしないし、チーム名だって知ってるのはシカゴ・ブルズ、ロスアンゼルス・レーカーズ、フィニックス・サンズくらい。ルールだって高校の体育の授業以来なのでうろ覚え。

それでも田舎に埋もれての出稼ぎが続いており、週末もすることがなくてホテルの部屋にこもって過ごす日々を送っていたので、「NBAの試合を見に行きませんか?」と誘われて、二つ返事で「行きます! 行きます!」

バスケのコートなんて、フットボールに比べると小さいし、双眼鏡でも持って行かなきゃ見えないんじゃないかと思いましたが、それがなかなかよく見えました。安いチケットなので、3階席の真ん中あたりだったので、非常に急な角度に席が設けられており、高所恐怖症気味の私は座席まで歩くのが怖くて怖くて、お尻がモゾモゾしました。席について見ると、巨大スクリーンを頼りにしなくても、よーくコートが見えました。試合中も、フットボールみたいに知らない間にボールがどこかに行っちゃってるなんてこともなく、反則も見ていればだいたいわかったし、素人に優しいスポーツかな。

最初から最後まで五分と五分の試合で飽きなかったし、地元チームのにわかファンとなって応援し、なかなか楽しい暇つぶしとなりました。


2012年10月31日水曜日

サンディー

ハリケーンサンディーの被害の報道を見ると、ほんとに広範囲で結構な被害が出ていてびっくり。

サンディーは上陸前から、かなり警戒されており、メディアでも連日取り上げられ、大統領選もどこへやら。

私はサンディーの影響が及ぶエリアから遠く離れたところに出稼ぎに来ているのですが、我が家のある辺りは内陸とは言え一応沿岸州。2日前、どうなのかなとシナコにメールを入れてみました。

「サンディーは大丈夫?」

するとシナコからの返事。

「サンディーって誰?」

「。。。」

それくらい影響もないってことなんでしょうけど。。。
新聞もニュースもなーにも見てないってことですよね。恥ずかしい。



2012年10月21日日曜日

この親にしてこの子あり

シナコのすかたんは親譲り。
コイオさんじゃなくて、私の方ね。

実は私も携帯電話を出張先のホテルに忘れて帰宅してしまいました。
家の固定電話は勧誘電話しかかかって来ないから、半年ほど前に解約してしまったので、今や携帯しかないんですよね。

でもどうせ家族は勿論のこと友達からも電話なんてかかって来ないから、しばらく携帯なんてなくても大丈夫とタカをくくっていたのですが。。。

ふと気がつきました。今日からまた出張に出かけるのに(同じホテルに戻ります)、空港までのタクシーを呼ぶのに電話がない!

焦って、すぐさまキニコとシナコに「緊急事態」と言うタイトルでメール。
「携帯電話をホテルに忘れて帰って来たので、このメールを見た人は、いつものタクシーの運転手さんに電話して、明日11時15分に、家に迎えに来てくれるよう手配されたし」

このときはすぐさまシナコからメールがあり、
「タクシーの運転手さんの電話番号持ってませーん。」

ハワイのキニコは時差もあるので、まだ起きてない模様。
こまったなぁ。

自分のすかたん話をメールで友達に披露して、タクシー呼べなくて困ったと書いたら、折り返し
「スカイプって手があるでしょ」

おお!そうだ!
スカイプってお金を払えば固定電話や携帯にも電話がかけられるのですよね。思いつかなかった。
それは妙案だと、すぐさまスカイプにお金を払って、運転手さんに電話。(引き出しをまさぐったら、運転手さんの名刺が出て来ました。)

あーよかった。

夜になって、メールを開くと、キニコから、
「運転手さんに電話をしたら、既にママから電話があったって。そう言うことはちゃんと連絡してくれないと。」

。。。あ、うっかりしてた。。。ごめんなさい。。。

シナコのすかたん

シナコのすかたん話は多分シリーズ化できそうですが、今日もまたブログネタを提供してくれました。

昨日は忙しくてなかなかメールが見られずにいたのですが、夕方になってメールボックスを開くと、見ず知らずのElizabethと言う女性からメール。広告メールかスパムかな、開けないで捨てようかと思いつつも一応開いて見ると、

「今日、フランクリン通りでホンダ車の鍵を拾いました。CVSのカードがキーホルダーについていたので、調べてもらうとあなたのメールアドレスが登録されていました。もし鍵をなくされたのでしたら、グリーンズボロ通りのCVSに預けてあります」

読み終えて、ふとみると新たにシナコから「Call me please(電話して)」と言うタイトルのメールが。
中身を開けると、「このメールを読んだらすぐに連絡ください」

まずElizabethからのメールをシナコに転送し、その後電話をかけました。

「ママ、大変なの」
「知ってる」
「???」
「ママのメール見た?」
「今朝の? 見たよ」
「違う、今送ったやつ」
「見てない、電話してるもん」
「じゃ、いいから見なさい」
「。。。わかった。。。」

少しして、
「えー! うそ、わーい。もう、今日は一日ずうーっと探してたんだよー。あー良かった!」
「そのElizabethって人にまずすぐにお礼のメールを書いてね。で、車はどこにあるの?」
「学校の駐車場に置いたまま。。。」
「じゃ、車を取って戻って来たら、連絡して。」

一晩明けましたが、案の定シナコからは連絡はありません。

2012年10月11日木曜日

おお怖っ!

急に寒くなったからか、風邪をひいてしまいました。
出稼ぎ先ゆえ、悪化させて寝込むわけにも行きませんから、のどが痛くなって鼻がぐずぐず言い出した日からお薬を飲み始めました。

「眠くならない」と箱に書いてあった薬を買ったつもりだったのですが、どうやら最終的に選んだのは外箱に「眠くならない」とは書いてなかったやつだった模様。(アメリカ版のコンタックを買いました。)

そうとは知らず飲み続けていたのですが、よく効くのはいいのだけれど、とにかくやたら仕事中に眠くなる。眠くならないはずなのに、どうしてこんなに眠くなるのかいぶかしく思っておりました。

このところは、お客さんの作業中に待機している時間が多い上に、長期の職場で緊張が緩んでいるからだと思っておりました。椅子に腰掛けておりますと、ややもすると瞼が重くなって、いかん、いかんと首を振るも、気がつくと記憶が遠のきそうになっているのです。。。何度か通りすがりに人に突つかれたりして、起こされておりました。

どうしてこんなに眠くなるのだろう。。。と思って、後でよくよく外箱を見てみたら、どこにも「眠くならない」とは書いてありませんでした。

昨日、コンタックがなくなったので、新たにミュシネックスと言う薬を買いました。咳止め効果が高いタイプがあったからです。こちらも主成分はアセトアミノフェン。同じく「眠たくならない」とは書いてありませんでしたが。

今日は仕事中はずっと立ちっぱなしだったのですが、その方が眠くならなくて丁度良かったのです。ただ長時間立っていると腰も痛くなるし、じっとしてられないから、待ち時間にうろうろしたり、腰を伸ばしたりしていると、見かねたのか目障りだったのか、職場の人が椅子を持って来てくれました。親切を無にしてはいけないと座ったら、案の定。

つついて起こされたときには夢まで見てて、一瞬どこにいるのかわからずあせりました。「通訳してください」と言われて、あ、そうだ、仕事中だった。。。

どうしてここまで眠くなるのかと考えて、ふと気付いたのです。
薬の服用量は通常、大人と子供の別しか書いてませんよね。でも本来の服用量ってのは、服用する人の体の大きさによって違うべきですよね。

一般のアメリカ人用に考えられた服用量が、平均的な日本人よりも小柄な私にとって適量のはずがないのです。

そこで、コンタックとミュシネックスの主成分であるアセトアミノフェンの含有量を調べてみました。

コンタックの方は1回2錠で1錠あたり500mg(1回1000mg)、6時間おきに1日4回(4000mg)まで。ミュシネックスの方は1回2錠で1錠あたり325mg(1回650mg)、4時間おきに1日6回(3900mg)まで。

アセトアミノフェンを含有した日本の市販の風邪薬を調べてみました。1包あたりの含有量は150mg(ストナT顆粒)〜300mgが最大(ジキニン顆粒A、新ルルK細粒)、1錠あたりは50mg〜150mgと言ったところ。つまり最大でも300mgってことですよね。

それに対して、1回に1000mgも650mgも飲んでたんですからね。。。そりゃ眠たくもなりましょう。
そんなに飲んでて大丈夫なのか心配になりましたが、「カロナール」というアセトアミノフェンを含む鎮痛剤の説明で下記があったので、ちょいと安心しました。

でも、普通の風邪で650mgとか1000mgはやっぱり多すぎ。随分と良くなったし、怖くなったから、明日から減らそうっと。。。


<効能A>


次の疾患並びに症状の鎮痛//頭痛、耳痛、症候性神経痛、腰痛症、筋肉痛、打撲痛、捻挫痛、月経痛、分娩後痛、がんによる疼痛、歯痛、歯科治療後の疼痛、変形性関節症
<効能B>
次の疾患の解熱・鎮痛//急性上気道炎(急性気管支炎を伴う急性上気道炎を含む)

<効能A>

通常、成人はアセトアミノフェンとして、1回300~1000mgを経口服用し、服用間隔は4~6時間以上とする。なお、年齢、症状により適宜増減するが、1日総量として4000mgを限度とする。また、空腹時の服用は避けることが望ましい。
<効能B>
通常、成人はアセトアミノフェンとして、1回300~500mgを頓用する。なお、年齢、症状により適宜増減する。ただし、原則として1日2回までとし、1日最大1,500mgを限度とする。また、空腹時の服用は避けることが望ましい。

2012年9月29日土曜日

ご無沙汰しております。。。

あっという間に日本の夏は過ぎ。。。いつの間にか木々も色づき始めている。。。(急に気温が下がったために、今年の紅葉は通常より2−3週間早く始まっているもよう。)

日本で楽しく過ごしておりましたら、飛ぶように日々が過ぎ、アメリカに戻った翌日からしばらくの間、仕事で忙殺されておりました。そうこしているうちにあれよあれよと月日は巡り。。。気がつけば、明後日からは10月。

さてこの間に、まずはキニコさん。めでたく希望のハワイでのインターンシップ(とは名ばかりの安価な労働力として搾取されてるんじゃないかと、懐疑的な私ではありますが)に採用され、先頃ハワイへ飛び立ちました。期間は1年だったか10ヶ月だったか、しっかり話を聞いてないので忘れました。仕事の内容は(これもしっかり聞いてないので、確か)、ハワイ原産の鳥の生態を研究するプロジェクトだかなんだか。収入は、それじゃあ生活成り立たんだろうと言うくらいの微々たる額(でも一応健康保険はあるらしい)。週4日労働なので、残りの日はアルバイトをして過ごすとか。

仕事をはじめる前から、キニコは既に「ハワイ永住」を宣言しており、何でもいいからハワイに居残って暮らしたいそうです。

環境絡みのこんな仕事がしたかったのだ、ハワイで暮らすのが夢なのだと語るキニコでありますが、いえ、べつにもう好っきなようにしてもらって全然構わないのでありますが。。。4年間払い続けた高〜い大学の費用を思うと、加えてキニコさんの場合は高校は全寮制のプレップスクールでしたから、4年間高っかい学費に思いを馳せますと、ハワイで半ばボランティアのような仕事しながら暮らすのね。。。と思いまするに、額面割れした株に投資した気分なのであります。

ま、気分を切り換えて、日本食も簡単に手に入るし、寒さ嫌いの私ですから、老後は暖かいハワイでキニコの世話になるのも悪くないかな〜と楽しみにしたいと思います。

一方シナコはんの方ですが、9月の初め頃、出稼ぎ先の私の仕事場へ電話が。普段は滅多に電話がないので、シナコの番号がiPhoneのディスプレイに表示されるや不吉な予感が。大抵は、「金がない」か、「事故っちゃった。」

果たして今回は。。。後者の事故っちゃった、でした。えーっ、嘘やん!これで春から3回目やん!但し今回は、ぶつけたのは自分自身ではなく、ルームメイトのリアに車を貸したら、リアが駐車場で駐車してあるよその車にぶつけたと。停まっている車にあてたのだから、100%こっちが悪い。律儀なリアは、わざわざ相手の車にメモを残したそうな。(大した凹みじゃなく、そもそもボロい車だったと言うので、逃げたらええのにと、思ってしまう私はひどいやつ?)

と言うわけで、またしても保険を使って相手の車(400ドル)とうちのシビックの修理(900ドル)。6ヶ月以内に3回も車を保険で修理してるので、次回の保険料請求時(来年の2月)には間違いなく保険料が上がるでしょう。ただ1回の事故の修理費用が1800ドル以下の場合は、保険料に影響しないんじゃないかと修理工場のお姉さんが言っていたので、そうだったらいいなと願っております。

保険と言えば、キニコはんも「ハワイでは車がないと生活できない」とか、しゃあしゃあとぬかしはって、「助けてもらえますか?」とメールを寄越した。私は間髪入れずに、「あかん、なんとかなしで暮らせる方法を模索せよ」と返信したのに、甘いパパは「いいですよ、協力します」と二つ返事で請け合った。ということで、「じゃ、パパ、お願いね。ママは知りません」と協力拒否。

でもよくよく話を聞けば、確かに車なしじゃ無理そうな奥まったところに職場はあるらしく、その回りでは生活できないので通勤するしかなさそう。「じゃ、スクーターにすれば」と提案したものの、高速を走らないと無理らしい。高速をバイクで走るのはやっぱり心配。。。ってことで、私も結局甘いのだけど、お金は出さないものの車を買うことは認めてしまった。

引越したばかりで、アパートの保証金やら、生活用品やらでお金が要ると言われ、お金を貸すはめに。嗚呼、今度こそ、この貸付金が大きな利子を生みますように!!

2012年8月8日水曜日

日本の不思議(2)

成田に着いて、預け入れ荷物が出て来るのを待っておりました。

すると成田のターンテーブルは、上からベルトコンベアで流れて来る荷物が、下のターンテーブルに滑り落ちる直前にセンサーが設置されていて、ターンテーブルに空きスペースがないと、ベルトコンベアが止まって、空きスペースが出来るまで待つシステム。

アメリカでは、次から次へと荷物が容赦なく流れ出て来るので、ターンテーブルに既にある荷物の上にどんどん重なってしまうのです。

へー、賢いやん! さすが日本!と感心しました。

のも、つかの間。

成田での入国は、日本人はさっさか手続きが終わり早く出て来れるのですが、ガイジンさん達の方は入国審査に時間がかかり、なかなか出て来はりません。すると、彼らの荷物がターンテーブルからなくならず、空きスペースが出来ないのであります。

それゆえ、ベルトコンベアはひっきりなしに止まり、荷物が出て来るのに時間がかかること。

うーん、賢いセンサーはええねんけど、やっぱし山積みになってもええから、さっさか荷物が出て来て欲しいかも。

成田へはコイオが車で迎えに来てくれておりました。自宅へ帰る高速で、ふと隣の車を見やると、運転席の窓の3分の1くらいにカーテンがかかっています。後部座席の窓じゃないですよ、運転席! 信じられない。こりゃもう道路交通法違反でしょう。日焼け防止と思いますが、そこまでするんやったら、もう車なんか運転しなさんな、危ない。

確かに日焼けが嫌なのはわかりますけど、私自身シミダラケで、あぁもっと若い頃に日焼け予防をしておけば良かったと後悔はしてますが、それでもこの暑い中、長袖に手袋で歩いている人たちを大勢見ると、なんかその光景は私の目には異様に映ってしまいます。

もうひとつふと思ったのが、常日頃からアメリカの肥満の状況を見るにつけ、真面目になんとかせなあかんと感じていたのですが、今回日本に帰って、日本でも肥満が増えていると感じました。

日本に到着していきなり、成田の入国係官。制服のシャツのボタンが飛ぶんとちゃうかってくらいぱつぱつ。町を歩いても、えっあんなにお腹の出た日本人が・・・と思ったり。昔からこんな太った人って一杯いましたっけ? 私の思い過ごしでしょうか。

日本の不思議(1)

ただいま日本に帰省中であります。
日本に居る人には当たり前のことでも、外から帰って来ると不思議なこと、スゴイと思うこと、おかしいんとちゃうん・・・と思うことなどが数々あり、それらをちょっと書き綴ってみます。

まず、いの一番に「おかしい」のは、うちの娘たち。

顔もまるきり日本人(コイオに似た長女の方は時々ハーフ?と言われることもあるらしいけれど、それは仕草や、海外に住んでるゆえの先入観に依るものと思われます)、日本語だってアクセントなく話せるのですが・・・ここまでガイジンだったとは。私も今回初めて強烈に感じ入っとります。

日本に戻ってすぐ銀行に行きました。と言うのもシナコのキャッシュカードは私が暗証番号を間違えたために随分前から無効になっており、再発行は本人が手続きせねばならないからです。加えて記帳をしに行ったキニコのカードも通帳も、磁気不良で再発行が必要となりました。

窓口に私がついて行きますと、係の人に「再発行申込書はご本人がご記入ください」と、釘を刺されました。

さて、それからが大変。各項目は説明してやらないと意味がわからないし、フリガナの書き方の基本を知らないから、一つのマスに濁点も一緒に書き入れるし。挙げ句の果てに自宅住所に至っては、全く覚えていない。ちなみに日本の我が家にはこの子達は殆ど住んだ経験はないものの、住所そのものは20年間変わってないのです。

中学の1年間を日本で過ごした経験のあるシナコの場合は、それでも、私が口頭で伝えるとすらすらと住所が書けたのですが、キニコに至っては、皆目ダメ。こんな漢字かな・・・と途中までデタラメ書いて塗りつぶし、結局は妹の書いたのを写させてもらって姉の面目丸つぶれ。

窓口に持って行くと、キニコの通帳の印鑑は持参していなかったので、ぐちゃぐちゃと塗りつぶしたところは、「訂正印が押せませんので、申し訳在りませんが、書き直してください。」 そうなんですよね、日本には「訂正印」と言う文化がありました。長時間費やした申込書はあわれ書き直しとなりました。

かくして銀行には2時間余りおりました。3時過ぎて早々とシャッターは閉まり(いまだに3時で銀行が閉まるって・・・)、私たちは通用門から帰りました。

でも、日本の銀行にいらっしゃるヘルパーの人たちってほーんとに親切で、助かりました。(話すのに床に跪いて下さって、申し訳なくなるくらい。)

次に二人を歯医者へ検診に連れて行きました。シナコが以前、矯正で通っていたところだったので、シナコは問診票に記入する必要はなかったのですが、新患のキニコだけ記入が必要。ところが、「検診」「予防」「治療」「起床」「間食」・・・などなど、読めない字のオンパレード。いちいち読み方を教えてやるも、「ヨボーってprevention? ケンシンって何? カンショクって何?」と言うありさま・・・。

極めつけは、義兄嫁と一緒に行った近所の和食バイキングレストランでのエピソード。キニコは紅茶を飲もうと、選んだティーバッグをカップに入れて、電気ポットにまで持って行ったのですが・・・そこから、私に向かって手招きをする。行って見ると、ポットの上に書かれた「押す」を押して見ても、それはポットの蓋を開けるためのもの。キニコにはボタンに書かれた「解除」「再沸騰」「給湯」などが読めず、どうやってお湯を注いでいいかわからず途方に暮れておりました。

・・・日本語はあかんとは思っていましたが、これまでは「子供扱い」で私が世話を焼いていたので気付かなかったのですが、ここまでとは。

顔も言葉もまるっきり日本人なのに、ATMも操作できず(キニコは迷わずEnglishボタンを押してはりました)、問診票も書けなくて、電気ポットにも戸惑ってたら、「この人、ちょっとどないなってはるんやろう?」と思われること間違いなし。これからよその人に尋ねなくてはならないときは、わざとなまった日本語で話したかけた方がええんちゃうかと思いました・・・。

2012年7月15日日曜日

やせる脛(3)

久々に実家に電話して母と話しました。

仕事もせんとぷらぷらしている娘たちのことはブログで知っているので、
「ほんま、難儀な子等やねぇ。そやけど、そんな娘に育ててたんはアンタやからね」と母。

「ほな、言わせてもらうけど、そっちかてヒロユキって例があるやん。それはママの失敗作やんか。」
「そらそうやけど、私はまだ棺桶に足突っ込むまで、一縷の望みは捨ててへんねん。」
「ほんなら、私かてそうやん。まだアイツ等には一縷の望みは持ってるねん。これからまだどんな大物になるかわからへんやん。」

二世代に渡って空虚な望みを抱いていることが判明いたしました。

2012年7月13日金曜日

やせる脛(2)

昨日、久々に自宅に帰って参りました。
留守の間は、シナコに郵便物を毎日チェックして、請求書など重要そうなものがあったら逐一報告してと言っていたのに、「自動車保険から小切手が来てる」と言うのが唯一の連絡でした。

でも帰って見ると、害虫駆除の会社から「未納通知」は来てるし、先日のレンタカーのドアの傷の一件でこの会社からレターが来てたし、水道料金の請求書を始め、たくさん請求書が届いておりました・・・。どれも開封すらしてなかった。

私の頭の中で何かがブチっと切れる音がしました。

だいたい、ドアを開けた途端、目に入ったのはぐちゃぐちゃになった玄関マット。ジョダの仕業に違いないけれど、どうしてそれを正さないの? (ブチっ)

キッチンに入ると、キッチンマットがない。聞けば「洗おうと思って外した」とのこと。実は、留守中にキッチンのカウンターに置きっぱなしになっていたお菓子が、アリまみれになるという事件がありました。シナコがジョダを連れて友達の家に数日間泊まって、帰って来たら、黒山のアリだかりだったそう。(ぞぞ・・。) それで殺虫剤を撒いたから洗おうと思ったらしい。そこまでは賢いんだけど、結局それを洗濯機の前に放置しただけで、洗ってもいない。

別段、家を隅々まで偵察して回ったわけではなく、何気なく目につくもの全てが、私の頭の何かをブチブチ切るのであります。帰宅して早々文句も言いたくないけど、あまりの様子に、黙っていろって方が無理。(ここに書ききれぬ幾多のことがあります。実際は恥ずかし過ぎて書けない。)

ってことで、前回のブログの内容からの進展を書かせて頂くと、レンタカー会社から私宛に150ドルの小切手が来てました。恐らく、車を返却した時に払った免責分の500ドルに対して、修理費がそれ以下だったため「おつり」をくれたってことでしょう。この350ドルを今度はカード会社に請求せねばなりません。(ってことは、自分の自動車保険は使わなかったってことでしょう。)

自動車保険の会社からは、シナコが言った通り1300ドル分の小切手が来ていました。シナコがぶつけた車の修理費から免責の500ドル分を引いた残りです。

加えて、次の半年分の自動車保険の請求も来ていました。シナコが2回も事故したから、どれくらい保険料が上がるのかと心配していたら、なんと半年で200ドル下がってました。もしかして、例の事故が反映される前に請求書ができちゃったの? それとも娘たちがそれぞれ1歳年齢が上がったから安くなったの? 理由が前者なら、値上げは半年後に繰り越しってことなのかな。

先日のジョダの一件は、血液その他の検査の結果は全て「シロ」。その後も元気だったので、「食べ過ぎによる腹痛」と結論づけられました。

で、昨日。私が帰宅したときは元気だったのに、夕方あたりから、またブルブル震えだして妙な様子。シナコが散歩に連れて行っても、へばってしまって歩かなかった。でも晩ご飯は普通に食べました。ところが夜になって、私の寝室で3回も戻してた。今朝はちゃんと歩いて散歩に行ったけれど、ウンチをみたら、消化不良そのもので、中に赤茶色のものが。よーく見るとなんとなくチョコレートみたいで、そのなかに砂が一杯混じってた。どうやら、どこかに落ちていた砂まみれのチョコレートでも食べたみたい。正真正銘のイヤシ犬。っつうか、ほんとに学習しないヤツ。

2012年7月9日月曜日

やせ細る脛

ここんところ、本当に忙殺されてて、ブログを書く気も起こりませんでした。
こうやって一生懸命働いているのに、稼ぐ側から、お札に羽が生えて飛んで行きます。

まずはしばらく前にレンタカーを借りた折のこと。レンタカーを利用したのは空港からホテルまでの往復だけ。ホテルに宿泊した2日間は、クライアントの車に同乗させて頂いており、車はホテルの駐車場にとめっぱなし。空港でレンタカーを返却した際、助手席側のドアにゴルフボール大の凹みと小さな傷が見つかった。どうやら隣に駐車した車が、ドアの開閉時にぶつけた模様。(ほーんの小さな凹みに傷で、このくらいの凹み&傷がついたままのレンタカーは山ほどあるのに。)

レンタル中に付けられた傷なので、借りた側、すなわち私の責任になるのですよね。と言うことで自分の保険会社に修理費は請求されます。まだ決着してないので一体幾らになるやら。免責額の500ドルは自己負担。ただしレンタカーの支払いはクレジットカードを使ったので、カード会社の特約として、レンタカーの修理費に関しては自己負担分をカード会社が支払ってくれることになってます。結果的に自己負担はゼロだけど、手続きは煩雑だし、面倒。春休みにシナコが事故ったし、次回から保険料上がるのかなぁ・・・。

と、ドキドキしていたら、ある日出稼ぎ先の私へシナコから電話。
「ママ、また車ぶつけちゃった。今度はもっと、ひどくぶつけた」
「へっ!? どうなったん?」
「アパートのフェンスにぶつかった」
「どこのアパート?」
「学校の近く」
「フェンスは?」
「フェンスは何ともない」
「ほんと? 車はめちゃくちゃなのに?」
「いや、めちゃくちゃってほどじゃないけど・・・」
「とにかく、すぐに保険会社に電話して、警察に連絡した方がいいか聞きなさい。あとでどうなったか教えて」

車と保険(料)のことばかり気にかかり、シナコさんがどうだったか聞くのはすっかり忘れてました。でも自分で電話して来たくらいだから、全然大丈夫なんだと思うけど、それではあまりにも冷たい母親と思われては行けないので、後にポーズで電話を入れました。

「ところで、シナコは大丈夫だったの?」

ああ、なんて優しい母親でしょう。
で、次に、
「ね、シナコはちょっとよそ見をしただけだって言ってたけど、ほんの少し注意をそらしてだけでこんなことになったでしょ。だから、いつも言うけど、今回も違うんだとは思うけど、携帯をいじるとかiPodをいじるって言うのは、怖いことになるんだよ。絶対に運転中に電話とかiPod触っちゃダメだよ」と言うと、
「あの、実は一瞬iPodを見たの・・・」
ああ、やはり真実はコレか。これを教訓に今後は一切携帯をいじらないと肝に銘じてくれ!

修理費、1800ドル余り也。免責の500ドルはシナコに請求。

ということでしばらくシビックは運転できない。シナコは一度もオデッセイは運転したこと無いし、保険でレンタカーを借りることはできたけれど、運転に不慣れなシナコにはそれも怖いし、修理中は車無しで我慢しなさいと言い渡した。

ところが夏期講習を受けている最中だったので、どうしても学校に行かなければならない。そこで大学近くのアパートに住んでいる友人宅に、ジョダ連れでしばらく転がり込むことにしたらしい。

数日後、夜遅くにまたシナコから電話があり、
「出掛けてて、帰って来たら、ジョダが急に大きくなってる」
「どういうこと?」
「だから、急にジョダが太ったの」
「そんな、あるわけないでしょ」
「でもお腹のあたりが丸くなってて・・・ジョダは、ブルブルずっと震えてるの」

シナコの説明は相変わらず要領を得ない。
ジョダは時々アレルギーを起こして顔がむくんだりするけど、お腹が腫れるってことはないし。とにかく、抗ヒスタミンの赤ちゃん用シロップを与えたら落ち着くし、そうして様子を見て翌朝も具合が悪かったら獣医に連れて行くようにと伝えた。

結局、翌日も具合が悪そうだったので獣医に連れて行ったら、
(1)食べ過ぎ、または
(2)膵臓炎
とのこと。

どうやらシナコ達が出掛けている間に、11種のマルチグレイン(穀物の種類が11種入ってる)袋入りの食パンを3分の1袋食べたらしい。日本のパンと違って、こっちのパンの袋って50センチくらいあるんです。だから3分の1だと丁度、2斤くらいに当たるのかな。で、その夜からは下痢もして、脱水にもなっていたらしい。ただし獣医さんが膵臓の辺りを触ると痛がったので、単なる腹痛ではなく、膵臓炎の疑いもあると、血液検査とかもされちゃって・・・診療費+薬代=160ドル也。

399ドルで買った犬なのに、付加価値がつきまくって、今は初期投資の10倍くらいにふくれあがってはります。

どうやら今日には痛みもなくなったようで、結局単なる食べ過ぎだったみたい。

はぁ、やれやれと思いきや、今度はトロントのお姉さんから電話。
「今月と来月のアパート代が足りなくなりそうなんだけれど、お金貸してくれない・・・?」

キニコは6月で卒業。その後も8月末までトロントに残りたいと言った時に、いつまででもどこでも好きなところに住んで良いけれど、それは自分の甲斐性でやってねと伝えた。アルバイトで何とかなると言う予定だったようだけれど、どうやら資金繰りが行き詰まり始めた模様。

自分でなんとかしろと突っぱねることも出来たのだろうけれど、とにかく今回はお金を貸すことに。「但し、ちゃんと自分で生活できるように人生設計しなさい」と伝えたのだけど、どこまで伝わってるやら。相変わらず、ハワイに住みたいだの、しばらくはインターンをして、2年後くらいに大学院に行くだの、夢で屁を踏んだような話ばっかりしている。真面目にいつまでに何をどうするって計画立ててやっていかないと、結局何もできなくて終わるって言ってるのだけど、何の苦労も無く楽賃な人生を歩んで来たあの子達には伝わらないのか。今回のことで、お金がないと何も出来ないってちょっとは気付いてくれたのだろうか。

と言うわけで、私の脛は細る一方。
なのに、なぜか脛の肉は重力に反して上の方へ移動して胴回りについたようだ・・・。

2012年5月20日日曜日

異種移植

仙川環の「感染」と言うミステリーを読み終えたところ。

テーマは異種移植。
「ブタの心臓」を子供の心臓移植に使うと言うストーリー。

異種移植が非合法だと言う事を改めて知って、へっそうなの?と思ってしまった。
ブタの臓器なんて、とっくの昔に人間への移植に使われているように錯覚してたのに・・・。

なんでそう思ってたのかちょっと考えを巡らせてみた。

あ、思い出した!

うちのお姉ちゃん、小さい頃、食が細くて、身体も小さく痩せっぽちだった。

全然ごはんを食べないので、しょっちゅう両親に、
「ごはん食べられへんのやったら、ブタの胃と替えてもらう!」と言われていた・・・。

絶対これが私に誤った知識(?)を植え付けた根源でしょう。

シナコも周りの人からは「霞を食って生きてる」と言われたくらい、全然食べなかった。
けど、心優しい私は、両親のように脅したりはせず、取りあえず牛乳さえ飲んでくれてたらええわ、としていた。

へっ? 何ですか?
料理せんでええ口実やったら、子供の健康もかえりみないって?

2012年5月17日木曜日

出稼ぎから帰ってきたオカン

先ほど、数日のお仕事から戻って参りました。
今回は翌月のチケットを買っていたなどと言う、あほなミスもなく順当に帰って参りました。

家のドアを開けるや、玄関マットはぐちゃぐちゃ、脱いだ靴が散らかってる・・・。ジョダがたまにマットはぐちゃぐちゃにするんですが、私は都度直しておりました。

「何やのこれ〜」

こういうのは放っておけない質なのですぐさま整えました。

荷物はちょっと横においておいて、まずは手を洗って一息つこうとキッチンへ。流しの前に立つと洗剤が倒れてカウンターの上にオレンジの液体が流れ出してるわ、足下は水で濡れてるわ。

「ちょっと〜、何でここ濡れてるのよ〜。そんで見てご覧よ、洗剤倒れてるやんか。ちょっと、来てちゃんと拭いてよ〜」

洗剤なんか使ってないもん、私じゃない、と言いながらもしぶしぶ台所にやって来たシナコ。(なんで数日間この家にひとりでおって洗剤使ってへんねん。)

コーヒーを入れてちょっと一息と思ってふと見ると、

「えーっ! アリがいるやん! 何でよ、もう〜。アンタが食べ物を開けたまま放っておくからやん。もう、やめて〜!」

取りあえず見つけたアリを指でプチッと潰し、流しへ。
コーヒーを持ってリビングの方へ向かうと、

「なんで、こんなに散らかってるん。ほんまに、もう、いややぁ。片付けといてって言ったでしょ。こんなんするんやったらもう、出てってもらう! 後で絶対片付けて、掃除機をかけてよ!」

・・・はぁ。

そのとき、フェースブックを開いていたシナコを見て思い出した。

「そうそう、めっちゃ面白いYouTubeのビデオあんねん。ママのフェースブックにアップしてあるから」見てみて」

そのビデオを見て、ひとしきり笑ったシナコがひと言。

「ママ、そっくり」

・・・確かに。
あのビデオを見た時は、全く自分とは重ね合わさなかったものの、頭にこだまする先ほどの自分のセリフは、「パートから帰って来たオカン」そのものやん。

これがそのビデオです。
パートから帰ってきたオカン

2012年5月11日金曜日

ノースカロライナ州の憲法修正第1項

先週、ノースカロライナ州の憲法改正案が住民投票で可決された。
その内容は、結婚は異性間のもののみとし、同性婚および同性間の結婚に準ずる形を認めないと言うもの。

南部の州としてこうした憲法改正を行ったのはノースカロライナが最後の州だった。つまり他の南部の州ではとっくに同性婚は禁止されており、全米で州の憲法を通して同性婚を禁止しているのは30州あり(ノースカロライナが30州目)、加えて12州が法律によって同性婚を禁止しているそうだ。

実際に同性婚が合法化されているのは、マサチューセッツ、バーモント、ニューハンプシャー、ニューヨーク、コネチカット、アイオワのわずか6州とワシントンDCしかない。(ワシントン州とメアリランド州が部分的に承認。カリフォルニアは一旦認めたものの今は撤回らしい。)なのにニュースでは同性婚が認められたことばかりが報道されるから、そんなに多くの州が、逆に同性婚を禁じる動きに転じているとは全く気付いていなかった。

テレビも見ないし、ろくろく新聞も読まないので、ノースカロライナの憲法修正について知らされたのは、意外にもシナコから。

「ママ、知ってる? ノースカロライナは時代に逆行しているんだよ」と、先週、寮に迎えに行った帰りの車の中のこと。ルームメイトのリアと口を揃えて、この動向はおかしいと言う。

あれから1週間、我が家にはリアが居候中。

卒業生を除く学生は全員、先週寮を出なければならなかったのだが、リアのお母さんはノースカロライナ州のシャーロットからバージニア州のリッチモンドへの引越の真っ最中で迎えに来れず、行くところがないからと我が家にやって来た。

話を聞くと、同じ大学にいるリアの姉が今週末に卒業。卒業式に「両親」がやって来てくるから、それまでの1週間だけ、行き場がないとのこと。

リアが「両親」と言ったので、「じゃあ、お母さんだけリッチモンドに引越して、お父さんはシャーロットなの?」とたずねると、
「ううん、私と父とは縁が切れてるの。シャーロットにいるのは母の元パートナー。今は別れているけれど、まだ友達だから。彼女が私の義理の母なの。」

つまりリアにはお母さんが二人いて、それが彼女の「両親」なのだ。

私も数年前までは、まだ同性のカップルに対して違和感を持っていた。いえ、今でも、それがいざ自分の身内に降り掛かるとなると、素直に受け入れられるかどうか予測はできない。

けれど、本当に身の回りに同性カップルが多く、だんだん受け入れられるようになって来た気がする。

グリニッチでのお隣さんは男性のカップルだった。ベッツィーの息子もゲイだ。アンドリューの弟もゲイだ。高校時代にアリゾナに留学していたときに一番仲良しだったJoanと、Facebookを通して再会したら、彼女もレスビアンでもうすぐパートナーと結婚するって言っていた。キニコの高校時代の寮母さんの家族はレスビアンのカップルだった。数え上げたらきりがない。

歴史をひもといて見ると、ノースカロライナ州の「憲法修正第1項」と言うのは、実は過去にもうひとつあった。それは1875年の、「白人と黒人間の結婚を禁止する」と言うもの。この修正項は1967年に無効になるまで続いた。今回の修正は、1971年に新憲法が樹立されてから初めての修正になるのだが、過去の修正と同様に、いずれは無効になる運命を辿るのだろうか。

2012年5月9日水曜日

ヌーヨーク

無事に昨夜遅くカロライナに帰宅。
シナコに空港に迎えに来てもらい、タクシー代が浮きました。
なかなか使えるやん。

ニューヨークでの最後の夜は、ホテルの無料宿泊券がまだ余っていたので、友人のチカエとU子さんの二人も同じホテルに部屋を取って、朝から晩まで遊ぼうと計画。

先ほど、興味本位でまともに払ったら1泊幾らなんやろうと調べてみて、腰を抜かした。なんと1泊630〜680ドルですって! 絶対に自腹でなんか泊まれない。

前日、U子さんに連絡。
「噂で聞いたのですが、私がカロライナに引越してから出来た『ラーメンとっと』のラーメンがめっちゃおいしいとか。お昼は是非そこにしましょう!」

U子さんからの返信。
「・・・ジョダコさん、既にお昼は「15 East」、夜は「A Voce」ってことで話し合って決めて、それぞれのレストランに予約を入れておりますが・・・。」

たった2週間前に決めた予定だったのに、もうすっかり忘れておりました。
慌ててメールを打ちました。
「そうでござんした。トットのことはとっとと忘れてください、予定通りの決行で結構。で、ランチと夕食の間は何しましょう?」

またまたU子さんからの返信。
「あれあれ、ジョダコさんは、その後はハイラインを歩いて、その後中華街で「くこの実」を買って、その後は「足マッサージ」をしたかったんじゃなかったでしたっけ?」

・・・そんなことを言ったのも忘れてました。
あな、おそろしや、私の記憶力。

と言うわけで、その日の午後は、
チェルシーマーケット(私は行ったことなかったのです)→ハイライン(NCに引越してから出来た)→雨が降って来たので、ハイラインは早めに切り上げ→中華街。

中華街にて、昔時々行っていた「足のマッサージ」(足の裏のツボをぎゅーって押してくれるところ)のお店に行ったのですが(袁氏足部反射健康中心)、そのお店は潰れておりました。残念! でも似通ったお店があるに違いないと探して、見つけました!


「足舎 Foot Spa」ってお店。(84 Canal Street)
30分間が足、30分が背中(肩と腰)のマッサージをしてもらって45ドル。「袁氏」は足と簡易な肩もみ1時間で35ドルほどだったと記憶してますが、「足舎」の方はずっと小綺麗で、背中のマッサージもうつ伏せにベッドに寝て本格的なマッサージだったので、超満足!


チェルシーマーケットのFilling Stationってお店で、ザクロ風味のバルサミコと、ブラックトリュフ風味の塩をゲットし、中華街のスーパーにて、くこの実もゲット。あ〜嬉し。(料理もせーへんくせに。)

やっぱり、えぇなぁヌーヨーク。

2012年5月6日日曜日

タクシー

シリアのお店から一旦、チカエとマビオの家に行くことに。
土曜の夜はなかなか空車が見つかりません。
ようやくの思いで見つけた一台。

私が最初に後ろのドアを開け、乗り込もうかと思ったけれど、ゆっくり歩いて来るマビオを見て、ドアを開けてると、駐車している車との間が狭くてマビオは通りにくいなと彼を待ったほうがいいかなと。

反対側からチカエが乗り込んだ(と思った)ので、じゃあ私が真ん中の方がいいから、やっぱり先に乗り込もうかと考えた矢先、私が抑えているドアから誰かがタクシーに乗り込んだ。

一瞬何が起きたのかわからなかったのですが、反対側から乗り込んだのもチカエではなく、3人の若い女性があっという間にタクシーに乗り込んでしまいしました。文句を言う暇もなく、勢いドアが閉められ、タクシーは出発。

私が先に見つけたのに! ドアも開けてたし、足の悪い90歳の老人がそのタクシーに向かって歩いて来てるのに!

もう信じられへん!とぶーぶー文句を言っていたら、「過ぎたことは言っても始まらないでしょ、人生、こんなもの」とマビオ。さすが年の功。けど、やっぱり腹立つ!

チカエの家でしばらくくつろいでから、10時半を回ったのでおいとますることに。地下鉄でもそう遠くはないのだけど、お酒も入って眠たかったからタクシーで帰ることに。土曜の夜だからやはりなかなか空車は捕まりません。

しばらくしてやっと一台捕まり、「タイムズスクエアのXXホテルへ」

運転手さんとおしゃべりをしているうちにモロッコ出身と判明。今日二人目のアラブ圏の人。私は興奮してすぐさま得意のアラビア語を披露。

(ほら、よくガイジンで、日本語知ってると得意そうに、「アリガート、コンニチハ」(それしか知らない)言う人いるでしょ? こっちはまたかと苦笑するしかない、みたいな。私はソレのアラビア語版。)

彼が出稼ぎで、別れた奥さんと子供二人と、新しい奥さんと赤ちゃんをモロッコはラバトに残していること、最初の結婚で夢破れたので(せっかく出稼ぎしてお金をためて、やっと家族一緒に暮らせると国に帰ったら、奥さんから「亭主元気で留守がいいから戻って来るなと言われて離婚)、二人目の奥さんにはあまり期待もしてないし夢も持ってないんだ・・・とか言う話をしながら、タクシーはホテルへ到着。

少し気の毒でもあり、ちょっとチップを多めにあげました。

降りて見渡すと・・・一日中深夜まで、お正月の初詣のごとく人混みでまっすぐ歩けないタイムズスクエアの賑々しさがなく、ひっそりとしたビジネス街風。確かに某ホテルの前ではあるけど・・・雰囲気が違いすぎる。

通りかかったカップルに、ここは42丁目?とたずねると、「53丁目ですよ。」

ががーん! 同じホテルながら、違うロケーションで降ろされてました!

てなわけで、そこから20分ほどかけて、ホテルまで歩きました。こんなことなら最初から地下鉄に乗った方が早かった。

話に夢中で全く外を確認してなかった・・・。ほんまにお上りさん、且つアホ丸出しって馬鹿にしてるでしょ?。

酔いさまし&腹ごなしになって丁度良かったもんね。ふんだ。

ニューヨーク、NY

コネチカットに住んでいた頃はひと月に一回ほどのペースでマンハッタンに遊びに来ていた。ノースカロライナに越した後も飛行機で2時間、安い時には航空券は往復200ドルほどだから、1年に2回くらいは遊びに来られるかなって思っていたのに、やはり大阪-東京が近そうで遠いように、NYは思ったほど近くはなかったです。

ということで引越から約2年ぶりでようやくNYCの地を踏むことができました。今回は仕事は関係なく全くプライベート。日本はGWで暇になりそうだったのと、某ホテルの無料宿泊券が何枚もあって、その有効期限が今月末だったので、それを使いたかったこと。

旅の目的は、
1) 友達に会う
2) おいしい日本食を食べる
3) ブックオフで日本の本を入手する
4) 日本人美容師さんに髪を切ってもらう
5) 日本の化粧品を購入する

他にもまだ会う友人はいるものの、滞在1日目にして上記目的をほぼ全てクリア。

今朝はコネチカット時代に通っていた日本人美容師さんのところへ行きヘアカラー(外せません・・・)とヘアカット。

そこでチカエと落ち合い、蕎麦屋と言う日本食レストランへ。蕎麦屋へは私の元ホストシスターのスザーンもやって来て、3人でおしゃべりしながら、日本食を楽しみ、その後私とチカエでバーニーズ(デパート)へ。ここでお目当ての化粧品をゲット。

それからブックオフまで歩き、リストにあった本で在庫されていた物を片っ端から購入(18冊)。(ちなみに、読み終わった本を友人達にあげるために、ノースカロライナくんだりから、35冊抱えて来ました。)

そこからマビオさんの待つダウンタウンのスペイン料理屋さんへ行き、3人で食事。帰りに近くのシリア系のお店でバクラヴァ(アラブのお菓子)を買ってチカエの家でお茶するつもりが、シリア人のオーナーと意気投合して、「お茶を飲んで行け」とみんなでアラブ風のお茶をごちそうになり、買ったばかりのバクラヴァを食べました。

日本を追い求める旅に、懐かしのアラブの香りもプラスされ、大満足。

2012年5月5日土曜日

ったく!

今日はシナコを寮へ迎えに行った。

2日前に電話があって、
「1時じゃなくて、3時に迎えに来てくれない? 3時が提出期限のレポートがあるから。」
「はっ? ママはその日の夕方にニューヨークに行くって言ったでしょ。だいたい3時が期限だったら、その前に仕上げればいいでしょ。だめっ。予定通り1時に行くから、レポートも出して、荷造りもして待ってて。」
「・・・わかった。あ、それとリアも一緒に帰っていい?」

リアはルームメイト。秋からも一緒にアパートに住むことになっている。

「別にいいけど。何で?」
「行く所ないんだって。」
「はぁ?」
「お母さんはリッチモンドに引越すし、1週間後にしか来られないからって。」
「いいよ、うちは。」
「わかった。リアの荷物、夏中うちにおいておいてもいい?」
「置くとこあれば、別にいいよ。」

てなわけで、シナコとリアの二人と両方の荷物を取りに1時に寮へ行きました。
部屋へ上がると・・・案の定、荷造りは終わっておらず、部屋はしっちゃかめっちゃか。
さらにすごい量の物。

「えー、これ全部もって帰るの? 要らない物は捨てて来てよね。」
「えっー、もう全部、ごちゃごちゃに混ざってる。いまから仕分けしてる時間ない・・・」
「え、全部詰めたの? 私は一杯捨てたよ。山のようにゴミに持っててたでしょ。」とリア。
「ごめん、帰ってからやるから・・・」

あぁ、どうしてうちの子はこうアホなんでしょ。

ということで、要る物かゴミかわからぬ物で、一応運べる形になっている物から運び始めた。
3階の部屋から階段で、3人で1、2度往復し、後は私は主に下で受け取って、車に整理しながら積み込む係。

間もなく、運んで来るのはリアばかりになった。

「シナコは?」
「レポート書いてる」
「えーっ、やっぱり出来てなかったの」

ということで、うだるような暑さの中、私とリアだけせっせと働かされました。

ようやく3時前にレポートを出し、そこで私はタイムアップ。一旦3人で帰宅することにした。残りの荷物は私を空港に送ったその足で、二人が取りに戻ることになった。

帰ったら「お腹空いた」って言うので、ご飯を作らされ、食事の後、私は慌てて荷造りをし、5時過ぎに家を出発。

ニューヨークに到着後、10時過ぎに電話を入れた。

「もう寮は引き払ったの?」
「うん、全部荷物は出したよ」
「そう。今は二人で何してるの?」
「寮を引き払ってから、お腹が空いたから、どこか食べるところがないか探してるところ」

ここでぶち切れた。

「ジョダはどうなるのよ? 散歩も行かず、ご飯もやってなくて・・・。自分がご飯だって? 許せん! だめ! ご飯なんか食べずにすぐに帰りなさい!」

あれだけ二人に「ジョダのことよろしく」って言って来たのに。
あいつらに任せずにペットホテルに預けた方が、どんだけジョダは幸せだったか・・・。

2012年5月2日水曜日

プリンスの御殿


暇にかまけて、昔のファイルなどを開いて見ていたら、サウジ時代に書いたものが出て来た。特異な体験だったので忘れてしまわぬよう書いたのだろう。詳細は記憶から消えていたから、読み直して、あぁ、そうだったと懐かしく思い出した。

我ながら良く書けているので(自画自賛)、ご紹介します。

プリンスの御殿
 
ある日、数週間後に帰国を控えていらした某メーカーの駐在員、S氏より電話があった。私に通訳を頼みたいとおっしゃるのだ。 数日後にリヤド入りされる日本の本社の社長と常務が、サウジのスポンサーであるM家に招待されていた。Mグループといえばプリンス系の財閥で、会長のプリンスKは国王の甥に当たり、またプリンスKの奥様は国王の妹、という、数多い王族の中でもより国王に近い、しかも傑出した家柄である。
本来ならS氏御本人が通訳を勤められるのであるが、今回はM家の特別の取り計らいによって、社長と常務はそれぞれ奥様を同伴されての来訪だった。

サウジアラビアに観光ビザはない。つまりサウジに旅行したくてもできないのだ。入国が認められるのは、サウジの会社、或いは個人が身元引受となっての、商用、もしくは親戚の訪問目的のみである。(イスラム教徒のメッカ巡礼は、また別枠。) しかも一般に、女性の入国は非常に難しい。
近頃では日本の旅行会社が、XX視察という形で、商用を装った観光ツアーグループをサウジに送り込んでいるようだが、この場合でも、配偶者と一緒でない女性の単独参加はできない。
予定ではこのプリンスKの邸宅(以下、パレスと呼ぶ。当地では王宮を含みロイヤルファミリーの家はパレスと称される)にて、彼の二人の子息が、こちらもそれぞれ奥方を伴われて、社長と常務ご夫妻をもてなされる事になっていた。
奥方と呼ぶにふさわしく、イスラムの世界、とりわけ伝統を重んじるサウジアラビアでは、女性を人前に出すことはない。 (しかしこれは国内、つまり同胞の間において特にそうであるといったほうがいいかもしれない。)
S氏は、帰国に先立って、家族を一足先に日本に帰されていた。サウジの奥方が出席されるところに、独り者のS氏が同席することはタブーであった。よって急遽、女性の通訳が必要になったのである。4組の夫婦、合計8名の通訳として二人の通訳者が必要であった。S氏がすぐさまお願いされたのは、レバノン人と結婚され、リヤドにもう10余年在住のW子さん。そして彼女が私を推薦してくれた。

私には大役過ぎると案じながらも、「パレスに行ける!」という魅力が勝って、すぐさま承諾の返事をしてしまった。
私たちがサウジアラビアに住んで、22ヶ月が過ぎようとしていた。その間、サウジの人と接する機会は皆無と言って良い。普段は彼らから隔離された生活をしているのだから、それもいたしかたないと、半ばあきらめかけていた頃の、まさに夢のような話である。
しかも今回のお話は、単なるサウジ人に留まらず、プリンスだ。それもそんじょそこいらのプリンスとは違う、正真正銘のサラブレッド、王位継承権で5番目とも噂される人の御殿を訪問するというのだ。こんなスゴイ話、断わらいでか(関西弁反語)

当日、私はかなり緊張していた。だいたい、私はいわゆる「お偉いさん」に弱いのだ。社長と聞いただけで、どこの社長でも緊張してしまう。待ち合わせのホテルへは、S氏の運転する車で、W子さんと共に行った。私たちが到着してまもなく社長、専務両ご夫妻がお見えになった。
社長ご夫妻の通訳は、当然の事ながらベテランのW子さんが担当されることになり、私は常務御夫妻付と言うことで、ちょっとは気が楽になった。
だが、ほっとばかりはしていられなかった。S氏から、「プリンスへの呼びかけにはユアハイネス(殿下)を使ってください」とお口添えがあり、私の緊張は一気に高まった。生まれてこのかた、そんな単語を口にしたことがない。
ちょうどその時、40歳後半とみえるイギリス人男性が現れた。S氏は彼をプリンスKの執事だと紹介した。私たちの道案内として迎えにやってきたようだ。「し、執事・・・。」小説の世界以外にも執事が存在したとは。パレスに着いて以降は、彼の姿はみることはなかった。

ホテルでS氏と別れ、一行を乗せた車はパレスが建ち並ぶ界隈へと向かった。ファハド国王のパレスのある一角は、向かいのアブドラ皇太子のパレスをはじめ、そこかしこに先代の国王であるファイサルやカリッドの子息などの多くの王族のパレスが集まっている。
国王と皇太子のパレスを隔てた大通りは、王がリヤドに滞在中には封鎖されるが、そうでない時は通り抜けることができる。ただし通過はできるが、停車はならない。ファハド国王は、国内にいる場合、ほとんどジェッダで過ごすので、この道が封鎖されることはあまりなかった。夫の会社からあてがわれている我が家の運転手であるMの運転で何度か通ったことがある。彼がツアーガイドさながら、これはXXのパレス、あっちはOOの、と説明してくれたものだ。
見覚えのある通りから、車は少し裏手へと入っていった。ある大きな門の前で車が止まると、門番によって物々しく、扉が開かれた。中には少し傾斜のある車寄せの道が弧を描いて玄関口にまで伸びていた。玄関には黒いスーツに、ネクタイをしめたボーイたちが整列して待ち受けていた。そんな中の一人、白いグトラに白いトーブ姿の長身の人物がひときわ目を引いた。私たちが車を降りると、めいめいをにこやかに歓待したこの人物は、プリンスKの息子の一人、プリンスSであった。彼に案内されて、私たちは建物の中へ招じ入れられた。

パレスに着いたのは午後8時頃だったと記憶している。辺りはすっかり闇に包まれており、建物の大きさが一体どのくらいだったのか検討がつかなかった。
屋内に一歩足を踏み入れて、私たちは目を見張った。高い天井からはシャンデリアが下がり、20畳はあるかとおもわれる玄関ホールは、それそのままで立派な客室のような趣があった。そこから更に奥に入ったところに、また別のホールがあった。ここから玄関は見えない。おそらくこちらは女性用のホールなのだろう。ここでプリンスSの妻であり、彼女自身も王族の血を引く、プリンセスMが私たちを待ち受けていた。背の高い女性である上に、ヒールの高い靴を履いていらしたので、背の低い私たちは常に見上げる格好になった。プリンスSの兄夫妻はあいにく急病のため欠席ということであった。通訳する相手が二人も減って、出だしは好調だ。
私たちはここで、それぞれのアバヤを黒い制服に白いエプロン姿のフィリピン人のメイドに預けた。ひざ丈のスカートから覗いた彼女たちの足が、妙に私の目をひいた。プリンセスは首が広く開いた、黒の長袖のロングドレスだった。足元はヒールの爪先が少し覗く程度まできっちり覆われているのに、それとは対照な艶かしい首もとが印象的だった。
このホールから三方に、さらに廊下が伸びていた。私たちは向かって左手の廊下を案内された。途中、本物の木が周りに植わった噴水が廊下の右手にあり、もし誰かのお付きをしてなかったら、「ひゃー、すっごい!」なんて、声を上げていたに違いない。が、ここは俄仕立てのプロを気取って、平然と常務の後に続いた。
水が貴重なこの国では、水は富の象徴なのだろう。ふとシャンデリアと噴水がひときわ目を引くリヤドの空港を思い出した。
通された所は、正直言って殺風景な、だだっ広い部屋だった。奥に、日本で言えばいろりのようなものがあり、装飾も少なく、ただ足のない座椅子のようなソファーが壁に沿って部屋を取り巻いていた。ちょうど、ベドウィンのテントを部屋にしたようなところだ。ここで家族がアラビックコーヒーをすすりながら団欒するのだろう。

アラブのしきたりよろしく、私たちは二つのグループに別れた。男性3人はW子さんを従えて、部屋を横切り、奥の片隅に腰を下ろした。私を加えた女性グループは、入り口から入って左手の壁に沿ってすわった。プリンセスが、これがアラブ流の方式なのですと説明した。
ほどなくアラビックコーヒーとナツメヤシの実が運ばれてきた。これらを頂きながら、プリンセスMの生まれてまだ数ヶ月という男の子と女の子の双子の赤ちゃんの話題になった。メイド任せにせず、できるだけ自分で世話をするように努めていること、なるべく男女の隔てなく育てたいと思っていることなど。海外経験が豊富なだけに、彼女の英語は、アクセントこそあれ、かなり流暢だった。
日本のご婦人方の御質問は、お立場上当たり障りのないものに限るよう心がけておられたのだと推測するのだが、それ故、家庭、料理、日本文化に話題は限定され、通訳者としてはありがたい反面、私個人としては物足りなく、心の中で好奇の気持ちが始終渦を巻いていた。しかし、その日私は完全な黒子でなければならなかった。私が通訳をしている相手のことを「私」と言うことはあっても、自らを「私」と称する機会はついに一度もなかった。
癖のあるカルダモンの香りと独特の苦みのアラビックコーヒーに不慣れな客人のために、しばらくすると、紅茶が配られた。こちらもアラブでよく飲まれる、砂糖がたっぷり入ったものである。チョコレートや小さなお菓子も出された。
他愛のない会話をしながら、1時間余りが過ぎていった。私のにこにこ笑顔もそろそろ引きつれそうになったころ、ようやくディナーへと場所を移動する事となった。

元来た道を戻り、今度はホールから更に奥まったところへ案内された。ボーイによって開かれたドアから中へ入ると、16畳ほどの小ぢんまりした部屋の中央に楕円形のテーブルが縦に置かれ、それを取り囲むように8脚のいすが用意されている。めいめいが腰掛けるのを手伝った4人の給仕は、その後両側の壁に二人ずつ直立不動の姿勢をとった。そしてこの後の食事の最中に彼らが皿を引き、次の食事を運び込んで来るタイミングはまさに絶妙であった。
楕円の食卓の奥の席に、プリンス、手前にプリンセス、両サイドが社長夫妻と常務夫妻。そしてご夫妻を割るように真ん中にW子さんと私と言う配置だ。プリンスの両側には男性、プリンセスの両側は女性という配慮なのだろう。
着席するや否やプリンスは、この男女を交えての会席がいかにサウジでは異例のものであるかを説明した。今回は、イスラム教徒ではない日本人のための特別の計らいであることを強調された。

ディナーテーブルでの会話は非常に興味深いものであった。プリンスSの父、プリンスKの運営する企業が、国内第三位の規模であること、また持ち馬数においては世界一の馬主であることなどを知った。(一般にはバーレーンの王家の所有が世界一と言われているが、一個人での所有となると、彼の右に出るものはいないそう。その数800頭。)
西洋で教育を受けたプリンスは、まだまだ新婚ではあったが、妻は一人以上持つつもりはないとも言っていた。
彼らは、生まれたばかりの子供たちのために、現在自宅を改築中で、工事がうっとおしいことを理由に、今は父の家に身を寄せていた。子供が産まれるたびに、家を改築するのであろうか? そして、こうも付け加えた。自宅に住んでいる時でも、毎日昼食には必ず息子の家族全員が父の家に集まる。日ごろから四六時中この家に来ているので、あまり大差はないと。プリンスSには今回欠席の兄のほかにも数人兄弟がいるようだった。アラブ社会では年長者である父親の権力は絶対で、家族の絆はとても強いことを改めて知らされた。

ところで、この社長という方、とてつもない通訳泣かせで、急に何の脈絡もないことをおっしゃったりする。格言で来たかと思うと、古い和歌を紹介されたり、次々と突拍子もない話が飛び出して来て、さすがのW子さんも時折、ぎょっとされていた。が、そこはベテラン、卒なくこなされていた。
幸運なことに、常務のほうは、饒舌な社長に押されて、貝がごとし。奥様のほうも「うなずきトリオ状態」(古―い!)で、通訳するまでもなかったのだ。私はひたすら、フランス料理のフルコースにに舌鼓を打っていた。

メニューのひとつに、地中に埋まっているというアラブ特産のきのこがあった。差し詰めアラビック・トリュフといったところだろうか。フランスではトリュフはブタに捜し当てさせるが、ブタを不浄とするこの世界では、どうやって見つけるのだろう?
また、らくだの乳はとても栄養価が高く、その昔、妊婦はこれだけで妊娠期間中を過ごしたとか。特に白いらくだの乳は上質だそうだ。会話には登場したものの、あいにくこちらはメニューにはなかったのだけど。
ふと、全てのお皿にアルファベットが書かれているのに気がついた。めずらしいバカラの食器。その全てに、プリンスカリッドの頭文字が記されていたのである。

食事が済んで、再び場所を変える事になった。途中、玄関から入って右奥にあるマジュリスと言う部屋を見せてもらった。一瞬、ルーブル美術館へ来たのかと錯覚を覚えるほど、ルネサンス調のきらびやかな部屋には、壁一面もあろうかと思われる大きな油絵を始め、何枚もの絵が壁面を被い尽くしていた。恐らく有名な画家の手によるものなのだろう。アラビア語でマジュリスとはそもそも、部族の男たちの議会を指す。ここはきっと、男だけに許された団欒の場所なのだ。先ほどアラビックコーヒーを飲んだ殺風景な部屋とは大きな違いだった。

食事の後のコーヒーを飲む場所として案内された部屋は、部屋と呼ぶにはあまりにも広大だった。部屋の中ほどにギリシャの遺跡にあるような大きな円柱が4本、四角を描くようにそびえ立っており、ここでも中央には大きな噴水が水を吹き上げていた。
部屋は何段階かのステップ状になっており、中央に向けてだんだんと低くなっている。私たちは階段を下まで降り、部屋の一番低い所の一角に設けられた席に就いた。見渡せば、部屋のいたるところソファーや椅子、ローテーブルが配置され、さながら高級ホテルのラウンジのようだ。部屋の広さは、ホテルの1階部分全部はあろうか。きっとここはパーティー会場なのだろう。
 たかだか8名の人間が、こんな広い場所の片隅でコーヒーを飲むのは、正直言って寒々しい感じだった。

コーヒーを飲み終えた頃はもう12時を回っていた。そろそろお開きという頃、客人のために用意された贈り物が運び込まれた。社長夫妻には、スークでも見かけるベドウィン女性の銀製装飾品、および、カラフルな糸で織られたベドウィン女性の衣装だった。常務夫妻にはジャンビアと呼ばれる銀製のアラブの刀。今でも男の証として祭りの時に踊りを踊る男性の腰にぶら下がっているのを写真などで見かける。スークで値段を尋ねたことがあるが、それほど状態が良くないものでも10万円近くしていた。
次に、私たち通訳にもめいめい小さな包みが手渡された。部外者である私たちがその場で贈り物を開くのは気が引けたので、礼だけを述べるにとどめて、楽しみは先送りにした。

家に帰って、中を開いてびっくり。金色のリボンで絞められた緑色のビロードの巾着袋には、21金の1リヤル金貨が3枚、それに香水の小ビンが入っていた。匂いをかいでまたびっくり。ショッピングセンターのお香屋の辺りで必ず漂っている、アラブ独特のあの香りがした。それは香の中でもアラブで最も重宝される、乳香の香りだった。乳香は、旧約聖書にもその名が登場するほど、古くから重宝されるアラブの特産品で、アラビア半島はこの貿易で栄えた。
体に着けるための香油だったが、こんな物を身につけた日にゃ、普通の香水でさえ苦手な日本人からは鼻つまみ者になることは目に見えている。それどころか、自分が耐えられそうもない。

W子さんと私は、いったいこの日の収穫がいくらになったのか、興味津々であった。彼女がさっそくこの香油の値段を調べたところ、親指ほどの大きさの瓶なのに、何と1本5百リヤル(15千円)。香油なんて使えないから、お金でくれた方が良かったのにね、などと二人で話した。金貨のほうは1枚、当時のレートで3百リヤル余り(9千円)だった。本物の1リヤル金貨ではなく(そういう物が存在するのかどうか知らない)、装飾用のレプリカである。締めて4万円余りの御褒美を頂いた計算になる。

更に、パレスを訪ねる機会を与えられただけでも充分だったのに、依頼主のS氏からはフェラガモのハンドバッグまで頂いた。W子さんのほうは、それなりの働きをされたわけだが、ほぼだんまりを決め込んでいた私には多すぎる報酬であった。が、もちろん辞退するはずもなく、全てありがたく頂戴した。
何より、サウジのプリンスの生活を垣間見ることができたことは、何ものにも代え難い貴重な報酬であった。
香油は、帰国前にイエメン出身の運転手Mへ、奥さんにプレゼントしてとあげてしまったのだが、今はあのアラブの香りが懐かしく、ちょっぴり後悔している。

2012年4月30日月曜日

Coursera

先日、何かの新聞記事で知ったネットを通して受けられる無料の大学の授業。

そもそもはスタンフォード大学がパイロット的に始めたものが、今はプリンストン、カリフォルニア州立大学バークレー校、ミシガン大学、ペンシルバニア大学と言うそうそうたる大学が協賛大学として名を連ねている。

基礎的な知識も必要としない、また一方的にビデオ見るだけでなく、双方向(インタラクティブ)だそう。今後は受講後に有料で証明書を発行することも検討しているとか。

興味本位でどんな授業があるのか覗いてみた。

そしてちょっと面白そうだったので、試しにBasic Behavioral Neurology(基礎行動神経学)という授業に申し込んでみた。

どうやら授業はのんべんだらりとずっと開講されていていつでも参加できると言うわけではなく、一定期間に受講可能のよう。上記のコースは7月にスタートで4、5週間続く模様。恐らくこの期間中なら、いつでも好きな時間に何度でもこの授業を受けられのじゃないかと想像する。

Courseraの目的は、高等教育を受けるための費用が工面できない人も、忙しくて学校に行けない人も、自分のペースで学ぶことができるようにすることだそう。

はて、申し込んだはいいけれど、本当にちゃんと授業受けられるかな・・・。乞うご期待。

(期待薄!)

Courseraのサイトはここです。
https://www.coursera.org/

2012年4月27日金曜日

あほっ!

自分がアホなのは十二分に承知しており、それなりの予防策は張っておる積りなんですけど・・・。

私は絶対に秘書とか総務とかの仕事に向かないと、日々痛感。

数日前のお話。

出稼ぎ後、早朝の便で帰宅となっておりました。4時起きで勇んで空港に参りました。空港の自動チェックイン機にて、チェックインを試みましたが(前日に、メールでチェックインの案内が来ないのもおかしいなぁと思っておりましたが)、航空券を購入したクレジットカードを使おうが、登録してあるマイレージ番号を入力しようが、予約番号を入力しようが、「お客様の予約は見当たりません」のメッセージしか画面に表示されません。

おっかしいなぁ〜と思って、航空会社のエージェントに文句を言ったら、
「じゃあ、予約番号を教えてください」
「予約番号を入れても出ないんですよね・・・。」
「いいから、下さい」
「・・・XXXXXXです」

しばしの沈黙後、
「あなたが購入されたのは、翌月のフライトですよ」
「・・・」

こういうミスは自分的には十分想定内なので、通常めちゃくちゃ気をつけていたのですけど、遂にやってしまいましたか。

ということで、変更手数料の150ドルを追加で取られ(幸いにも当日のチケットも1ヶ月後のチケットと同額)、予定していた朝一のフライトは満席のため次のフライトに振り替えるられ・・・無事に帰宅となりました。

150ドルで済んで良かったと言うべきかな。

帰宅後あわててジョダを迎えに行きました。1時を回るとその日の分も滞在費を取られるのですが、私がケンネルに到着した1時半には、受付嬢が新しい顧客と長電話していたため、「申し訳ないから」と、その日の分は免除してくれました。ラッキー。

150ドル余計にかかったけれど、無事に帰宅できてよかった、と、喜ぶべきでしょう・・・ね。

常に前向きなジョダコです。


変なテストと言えば・・・


ニューヨーク州やその他の州の中学生の標準テストに出題された文章題。
考えれば考えるほど答えに悩む・・・。
文章題のあらすじは:
まだ動物も植物も話すことができた大昔、パイナップルがうさぎにかけっこを挑みました。
他の動物達は動くことができないパイナップルが勝つと賭けました。と言うのも、わざわざ挑戦するのだから、絶対に勝てる秘密がなにかあるに違いないと思うのです。
ところが掛けっこが始まると、パイナップルは動けずウサギの勝ち。動物達はパイナップルを食べてしまいましたとさ。

続く幾つかの設問の中でも話題を読んでいるのは、
  • なぜ動物たちはパイナップルを食べたのでしょう?
  • 一番賢いことを言った動物は?

この問題が出題されたテストを受けた生徒の声が載っていました。なかなか面白いです。

(ちなみに上記リンクから行けるギズモドの記事にある問題の訳は下記の原文とはかなり違いますし、「パイナップルには袖がないし」と言ったのはフクロウなのにヘラジカになってます。一部を変えた他州の問題を訳してあるのかも。




原文は下記の通り。
The Hare and the Pineapple
by Daniel Pinkwater

In olden times, the animals of the forest could speak English just like you and me. One day, a pineapple challenged a hare to a race.
(I forgot to mention, fruits and vegetables were able to speak too.)
A hare is like a rabbit, only skinnier and faster. This particular hare was known to be the fastest animal in the forest.
“You, a pineapple have the nerve to challenge me, a hare, to a race,” the hare asked the pineapple. “This must be some sort of joke.”
“No,” said the pineapple. “I want to race you. Twenty-six miles, and may the best animal win."

"You aren't even an animal!" the hare said. “You're a tropical fruit!"
“Well, you know what I mean,” the pineapple said.

The animals of the forest thought it was very strange that tropical fruit should want to race a very fast animal.

"The pineapple has some trick up its sleeve," a moose said.

Pineapples don't have sleeves, an owl said

"Well, you know what I mean,” the moose said. "If a pineapple challenges a hare to a race, it must be that the pineapple knows some secret trick that will allow it to win.”

“The pineapple probably expects us to root for the hare and then look like fools when it loses,” said a crow. “Then the pineapple will win the race because the hare is overconfident and takes a nap, or gets lost, or something.”

The animals agreed that this made sense. There was no reason a pineapple should challenge a hare unless it had a clever plan of some sort. So the animals, wanting to back a winner, all cheered for the pineapple.

When the race began, the hare sprinted forward and was out of sight in less than a minute. The pineapple just sat there, never moving an inch.

The animals crowded around watching to see how the pineapple was going to cleverly beat the hare. Two hours later when the hare cross the finish line, the pineapple was still sitting still and hadn't moved an inch.
The animals ate the pineapple.

MORAL: Pineapples don't have sleeves

The animals ate the pineapple most likely because they were
A Hungry
B Excited
C Annoyed
D Amused

Which animal spoke the wisest words?
A The hare
B The moose
C The crow
D The owl

2012年4月20日金曜日

むかつく・・・

ことの発端は、Facebookで話題になっている慶応幼稚舎のこの入試問題。



問題は、

「ABCDの4人が1列に並んでいまる。AとBの間に壁があり、それぞれが壁を向いています。CとDは共にBの方向を向いています。AとCは黒の、BとDは白の帽子をかぶっています。壁でしきられているAとBCDはお互いが見えません。CにはBが見え、DにはBとCの両方が見えます。
4人に、帽子は白が2つ黒が2つであることを伝えます。そして、自分の帽子の色がわかったら、すぐにその色を叫ぶように言います。すると、しばらくの沈黙の後、自分の帽子の色をあてた人がいます。それは誰で、どうしてわかったのでしょう。」

++++

私が出した答えは、「全員が分かった、なぜなら自分の帽子のツバを見上げれば、何色かわかるから。」

勿論、私の答えは不正解。正解はこのリンクをご覧下さい。 

慶応幼稚舎の入試問題の解答解説



ネットで見つけた上記の回答ですが、これを読んで、「私の答えの方がよっぽど幼稚園児らしいやん!」と立腹しました。

で、今日の話です。この問題が解けるかどうか、ある知人に対してイラストを描いて説明したところ(ちなみに上記以外の情報は全く与えていません)、私の説明が終わるや否や、答えを言い当てたのです! しかも「これは各人が話す声が皆に聞こえていると言う条件下での話でね」と言う注釈付きで。

この問題もしくは類似問題を知っていたのかと思いましたが、そうではないようです。世の中にはこういう人もいるのだと感心しましたが、「でも、私の解答のほうが、よっぽど幼稚園児らしいと思うし、そんなこまっしゃくれた慶応の幼稚園児達と同窓でなくて良かった!」と捨てセリフを吐きますと、「そうは言っても、今の日本の経済界、政界はみんな慶応幼稚舎の出身が多いのが現実なんだよね・・・」と。

そう聞いて、ますます私はむっとしたのであります。だいたいこういう問題は数をこなしてパターンがわかれば解けるでしょう。トレーニングを受けていない純真無垢な幼稚園児が、いきなりこの問題が解けるとはまず考えられない。ある意味、考えがパターン化しているわけです。(私の「つば」発想の方がユニークじゃない!)

更に私が沸騰したのは、この後のこと。この人が、「東大の入試問題で、『現在、日本中に何台のテレビがありますか?』と言うのがあったけれど、答えは?」と聞かれ、少し考えて「2億台」と答えました。「その理由は?」と聞かれたので、「一家に平均2台で、家族は平均4人だろうし、加えて公共の場所(学校、病院、ホテル)にもあるし、電気屋さんにも何台もあるし・・・、大型ゴミの廃棄場所にもあるだろうし・・・」と答えました。

どうやらこの入試問題の回答には、「何台」と言う具体的な数字が存在するのではなく、設定された前提条件がどこまで妥当で、それに対する正しい推定がなされているかどうかが問われるようなのです。つまり「何台」という定量的な回答はないんです。

ならば推量し易い前提条件を選んで設定すればより簡単な訳ですよ。例えば、「現在の日本の家庭内にあるテレビの台数のみを対象とする」とか。

テクニックだけの話で、なんだかずるい試験問題ですよね? 通常、「今日本に何台テレビがあるか?」って問われれば、真面目に日本全国に存在するテレビの全数を推量しようとするでしょ?

こういう話を聞いていて、むかついて仕方ないわけです。要は小手先のテクニックさえ分かっていれば、いかようにも「まことしやかな」答えが出せる。その答えに意義があるかどうかは問題外なのです。

で、話はさっきの慶応幼稚舎出身者の話に私の頭の中では繋がるのだけれど、今の政治家って日本もアメリカも(特に共和党)、2世/3世/4世の政治家ばかりで、小手先のことは、これまでの教育環境と周りの人のサポートで対処できます。しかも彼らの言うことやすることは、まことしやかに聞こえても、実際の庶民の状況なんて全然わかってなくて、世の中のために意義のあることではなく、所詮は自分たちの既得権を守ることばかり。

私はブッシュが大嫌いだったけれど、あんなバカ男でも、それなりの教育を受けたから、大統領としてなんとか務まる程度には賢くなりました。朱に交われば赤くなるって言うじゃないですか。慶応幼稚舎に行った人だって同じことなのだろうな。お金があったから塾にも行けるし、家庭教師もつけられるから、良い学校行って、それなりの訓練を受けて、そんでもって社会の要人になって、あらゆる面で国を動かしている。

だけど、庶民のことなんて、何も分かってなくて、分かる必要も本当のところは感じてなくて、要するに自分たちとその家族と末裔が心地よく暮らせればいいわけです。

私が愚痴っても何も変わるわけじゃないんですけど。

前からずっと思っているのですが、せめて政治家になる前提条件として「最低限10年間の社会経験を要す、但し同族企業での経験はこれに含まない」というのを加えて欲しいっす。

(共和党候補のロムニー氏の奥さんが、これまでに一度も働いた経験がないということで、少し前に論議を呼んでいました。彼女が言うように5人の息子を育てるということは、決して簡単なことではないし、世間の普通の奥さんよりは立派な妻であり母であったと思います。けれど「一度も働いたことがない」って言うのは、結婚前も働いたことがなくアルバイト経験もないってことですよね。それってやっぱり浮世離れしてますよね。それに「働かない」選択肢があったと言うのも裕福だからこそ。日本じゃ専業主婦は多いですが、それは日本が比較的裕福だからです。景気の悪くなった今は、日本でも奥さんのパートなしで生活が成り立つ家庭も減ったのでは。アメリカでは、そもそも「専業主婦」と言うのはある程度裕福な証です。)