2011年4月29日金曜日

パリにて

一昨日の朝パリに到着しました。前日までは20度を超えていたのに、昨日から急に寒くなって(10度くらい)、一日霧雨が降ってました。今朝も寒くて、あまり暖かい洋服を持って来なかったため、着たきり雀状態。

昨日は11時半にヴァレリーの娘のマリアを迎えに小学校に行きました。外から見ると単なるビルで、小学校だなんてわかりません。お昼休みは11時半から1時半の2時間。普段は学校でランチを食べてその後は昼休みで遊んでいるのですが、私が来たからと言うことでお昼は一緒に家で食べることに。他にも家で食べる子がいるのか、数人のお母さんが迎えに来ていました。

帰りに中華のテイクアウトを買って家で食べました。お昼を食べたら私は猛烈に眠くなってお昼寝。その間にヴァレリーは再びマリアを学校に送って行った模様。4時半の下校時に再度マリアを迎えに行って、帰りに夕食の買い物をして帰ってきました。(ちなみにフランスの小学校は水曜日はお休みで、週に4日しか学校はありません。)

それにしてもフランスの物価の高いこと! お昼の中華は27ユーロくらいしてたし、ジャガイモ、二十日大根、ルッコラ、トマト、イチゴを買った八百屋での払いは23ユーロ。高ーい!

今日買ったお野菜を使ってヴァレリーが用意してくれた夕食。ママとお揃いのエプロンは私のお土産です。マリアのエプロンにはPrincessって書いてあります。

今回の大失敗はフランスのコンセントの形状が違うことをすっかり忘れてコンセントのアダプタを持って来なかったこととパリ市内の地図を持って来なかったこと。昨日の夕方にはブラックベリーの電池もなくなり、コンピュータの電池もあと2、3時間となってしまいました。

昨日は私のために仕事をお休みしてくれたヴァレリーだけれど、今日は仕事がたまっているので出勤。私も一緒について行きました。

ヴァレリーは古着を売る仕事をしています。主には日本への輸出。去年は家の近くに古着のブティックもオープン。今日は先日国内で買い付けた300キロの古着が到着するので荷受けもしなくちゃいけないし、日本から買い付けのお客さんも来ていて忙しそうです。

しばらくはヴァレリーのオフィスのパソコンを借りてメールをチェックしたりしていたのですが、倉庫の上のオフィスは寒くて寒くて・・・。別に手伝うこともないし私は一人で町の散策に出かけました。

確かオテルドヴィルの近くに大きな電気屋さんのDARTYがあったなと思ってレアールで降りて歩こうと思ったら、嬉しいことに駅を出たところにもDARTYがありました。コンセントのアダプタを探したら、ありました、ありました。早速二つ購入。そしたら「今日は袋が一枚もないの」と裸で持ち帰らなければならないことに。鞄が小さいのでプラスチックのケースは邪魔だから、レジではさみで切ってもらって中身だけを持ち帰りました。

そこからサントノーレ通りを歩いてマドレーヌの方に出ようと思っていたのに、地図無しの上に方向音痴だから気がついたら全然違う方に。大回りして、何故か百貨店のギャラリーラファイエットに出てしまいました。ま、いいやと百貨店内をうろうろ。アニエスb.のセールをしてたから、余りの寒さにジャケットでも買おうかと試着室にジャケットを持ち込んで来ていたら・・・いきなり、知らないおばさんが「ボンジュール」と言いながら入って来て、私の真横で洋服を脱いで下着姿になって試着するじゃないですか・・・。もう目が点になりました。

結局ジャケットはあまり気に入らなかったので買わず。デパートにいる間にトイレに行こうと階段の踊り場にあるトイレに行けば、外に男性と女性のシンボルが並んでいます。中に入れば二手に分かれているのかな・・・と入って行くと、えええ? その先には男性と女性が交じり合った列が・・・。さらに進むと、このトイレ、男女兼用なのですよ。アメリカのトイレのようにドアの下の部分が空いているようなドアではなく、上から下まで隠れているドアではありますが・・・それにしても男女一緒ねぇ・・・。

その後、マドレーヌに抜けようと思っていたのに・・・また違った方向に歩いてたらしく、気がついたらヴァンドーム広場。ここは両側に有名な貴金属店が多いところ。ショーメやらヴァンクリーフ&アーペル、カルチェ、ブルガリなんかが並んでいます。リッツホテルも。そう言えば、私が昔働いていた駐在員事務所もヴァンドーム広場にあったのでした。確かヴァンドーム広場7番地って住所だったような。考えてみたらめちゃくちゃ高級な場所にあったのね。半年後にはリヴォリ通りに引っ越したのですが。

さて、夕方家に戻ってさっそく携帯を充電しようと思ったら・・・携帯のコンセントを差し込む側が平坦じゃなくて奥まったソケット状になっているので、変圧器から差し込みが出ているタイプのコンセントは大きすぎて入らない・・・。入れ物はお店で切って捨ててしまったから返品もできません。ヴァレリーの家の側にもDARTYがあったので、再び差し込み口が平坦なアダプターを買って来て、ようやく充電できるようになりました。この店にはちゃんと袋もありました・・・。

それにしても、変な一日だった。これが初めてのパリだったら、フランスってこんな国って思うんだろうなぁ。お店でものを買っても裸で渡され、試着室には平気でよその人が入って来て、公衆トイレは男女兼用・・・。

ヴァレリーにも話したけれど、どれもびっくりしてましたわ。特に試着室・・・。

2011年4月26日火曜日

だまされました

昨夜、わたしが一生涯かけて貯めた全てのマイレージを使って、キニコの夏休みのために航空券を取ってやりました。(大げさな。大半はユナイテッドのクレジットカードに入会した際にもらったマイルだす。)

コースは、ノースカロライナ→ハワイ→日本→ノースカロライナ。

キニコは今年の夏休みはハワイで2ヶ月間のインターンをすることになりました。将来は環境関係の仕事がしたいからと、環境に関するインターンシップで、生態系を侵すハワイ原産でない植物を退治する仕事です・・・と言うと聞こえがいいのですが、早い話がジャングルに入って除草、伐採という肉体労働をする模様。詳しいことは知らないのですが、テントに住んで寝袋で寝る生活で、報酬は週に100ドル余りのお小遣い程度。食費がかかる訳でもありませんし、お金を使う場所もなさそうです。

キニコは、「せっかくハワイまで行くので、その後は日本に行って、被災地でボランティアをしたい」と殊勝なことを言うので、航空券も日本まで行くものを手配することにしました。

その切符手配のため、昨夜はユナイテッドのエージェント(複数)と何時間も電話して(キニコと相談する必要があったり、途中で電話が切れたりしたため)、寝たのは午前1時半。

というのも、キニコのハワイでの滞在先はカウアイ島なのですが、カウアイ島から日本に行くには、マイレージで取れるフライトの場合は、な、な、な、なんと、一旦アメリカに戻らにゃならないと言うのです! カウアイ島を出てロスに着くのが午後11時。そこで翌朝の11時まで待って、成田行きに乗り換える・・・と言う。

こんな思いまでして、本当に日本にボランティアに行きたいのか?とキニコに確認する必要があり、メールをしたら、折り返しキニコから電話が。
「ね、本当に、そこまでして日本に行きたいの?」
「うん、行く。だって色々買いたいものあるし、ユキちゃんもいるから・・・」

・・・これぞ真相!
ボランティアに行きたいなんて殊勝なこと言うから、ママは頑張ってマイレージを放出する気になったのに、実際のところは所詮こんなものでした。騙されました。

で再びユナイテッドに電話したら・・・さきほどまであったというロスまで戻る飛行機ももうなくて、その4日後まで空きがないと。夜も更けていて私も疲れ果てており、結局はカウアイ島からホノルル島までの別のチケットを75ドルで購入して、キニコはホノルルから一路成田への楽々コースに。

一見厳しそうだけど、実際のところは非常に甘い親だと、もしかしてあいつらも気づいているのでしょうか・・・。

おフランス

明日から、パリに行って来ます。
そもそも、「この辺りで自分の住まいを探すことになるからアパート探しを手伝って」と言われ、マイレージだったから早々とこの時期のフライトを押さえたのですよね。

すると肝心のコイオさんは、ビザを取りに先週から日本に帰っていて5月2日まで戻って来ないことに。(これまでは出張扱いでパリに居ました。) しかも暇だったのか(?)、アパート探しも自分でさっさかやってしまって、もうほぼ住むところは決まり、今は大家さんと細かい内容の交渉に入っている模様。要するに私の出番はなし。一体何のために行くやら。

勿論、羽を伸ばすためであります!
コイオはおらんけど、腐れ縁の仲良しヴァレリーがいるから、私はしばらくヴァレリーの家に泊まって、毎晩二人で酒盛りするか。

でも真面目な話、ヴァレリーも平日は仕事があるし、私は何をして過ごそうかな・・・。観光は特に見たいところないし、芸術的興味が薄い人なので、美術館も特に行きたいって思わないし。買い物するにもお金ないし。食べ物以外、興味が湧かないよ。けど、今年に入って2キロも体重増えたから、食べてばっかりもおられないし、困ったな。

町中や公園を散歩して過ごそうかな。今は一番気候のいい時だから、散歩するのが一番いいかも。よし、そうしよう!

2011年4月24日日曜日

夏休み

そうなんです。まだ春になったばかりと言うのに、5月の頭にはキニコとシナコが大学を終えて帰宅します。普通の家庭だったら、子供たちが帰って来て嬉しいというところなんでしょうが・・・。私は戦々恐々としております。・・・特に誰かさんのお戻りには。
キニコはんのほうは夏休みも既に何をするかいろいろと探って目処をつけているのですが、シナコはんのほうは・・・どないしはるんでしょう? 「夏休み中ずっとフランスに行く」とか夢で屁を踏んだような寝ぼけた話をしてはります。

「フランスに行ってなにするわけ?」
「働く」
「んな、仕事なんかあるか」

これは数ヶ月前の会話。しかし優しい(甘い)母親の私は、本当にフランスで働けるのか、去年までパリでワーキングホリデーで働いていた姪っ子に問い合わせてみると、「私が働いていた所を紹介してあげるよ」と。どうやら3ヶ月未満だとビザ無しで働けるらしいです。(それとも闇?)

「本気で働きたいなら、チエに連絡しなさい」と言ったけど、そのまま。
念のため、「もしかして、夏休み中ずっとシナコを引き取ってくれない?」とコイオに持ちかけたら、「断る」のひとこと。やっぱりね。

何と言っても一番頭が痛いのはシナコが運転免許を持っていないこと。以前にも書いたとは思いますが、早く免許を取って送り迎え地獄から解放されたかった私は、シナコが16歳になるや仮免を取らせ、Driving Schoolの費用を払い、直ぐにでも免許が取れるようにお膳立てをしたのですよね。

ところが「忙しくて行けない」と、とうとう18歳になるまでDriving Schoolに行かず(費用の大半は18歳未満のための講習)、それでも3時間分の実地練習は、期限がなくいつでも利用することができたのですが、それすら1度も受けないうちにカロライナへ引越しました。頭に来て、「どうして一度も利用しなかったの!」と怒ったら、「ママが勝手に払ったんでしょ。」こんな経緯があるのです。

移動に公共交通機関が使える都会での生活とは違い、ここでは歩いていけるところは皆無。運転できるか出来ないか、車があるかないかはまさに死活問題なのです。

キニコは既に夏休み中の2ヶ月はインターンでハワイに行くと決めているから頼ることはできません。私だって恐らく今後も仕事で出たり入ったりになるでしょう。一人になったらどうする気やねん? 

いろいろ調べたら、この辺りにもDriving Schoolが2校あって、どちらも家まで迎えに来てくれるそう。5時間と10時間コースがあり(1日1時間)、前者は380ドル、後者は650ドル。後者を選べば8時間の実地練習の後、最後の2時間は実際に免許取得に付き添ってもらうオプションも選べる。2回で合格しなければ、その次からは1回85ドルだそう。

私では時間的にも性格的にも能力的にも教えられないし、キニコは「大人」じゃないので教えられない。この後者のパターンを受けさせて、費用はシナコの出世払いという条件で飲ませるしかないと思っています。素直に飲むかな・・・。

2011年4月21日木曜日

我が家にて

しばらく家を空けておりましたが、カロライナの自宅に戻りました。飛行機の時間に合わせて、今朝は午前4時前起床だったので眠たいです。

空港に着いたら、星条旗が半旗になっていました。もしかしたら竜巻の犠牲者を追悼する意味でかなと思ったのですが、タクシーの運転手さんは「知らない」とのこと。あとで郵便局で並んでいるときに、前のおじさんに尋ねて見るとやはりそうでした。昨日から3日間は半旗だそう。(先週末、複数の竜巻がノースカロライナ州を襲い22人の犠牲者を出しました。ノースカロライナの竜巻って、どちらかというと珍しいと思います。)

夕方は、ジョダをずっと預かってくれているお家の奥さんであるキャロリンと一番下の娘のキャスリンが、地元の中学で色んな国の展示会イベントがあり、彼らは「日本」のブースを出すからお手伝いに来てと頼まれていました。そのブースを見に来る子たちの名前をカタカナで書いてと頼まれていたのです。楽しそうだから二つ返事で引き受けました。

キャロリンとご主人は子供たちが生まれる前に日本で3年弱暮らした経験があり、大の親日家。今日のイベントには、20カ国くらいのブースがありましたが、キャロリン達のブースは、日本のおもちゃあり、民芸品あり、地図、パソコンでの映像に加えて、日本のお菓子とかも置いてあって大盛況。(他の国としては、フランス、スペイン、カナダから、ペルー、コスタリカ、フィリピン、珍しい国としてはパナマ、キューバ、シエラ・レオーネ、セルビアなんかもありました。)

お菓子につられてか、はたまた純粋に自分の名前を日本語で書いて欲しい一心か、キャロリンのブースには人が絶えることがなく、キャロリンが用意していた短冊形の栞にひっきりなしに子供たち(時には大人の)名前を書き続けました。短冊は125枚分用意されていたのですが、それも使い果たし最後には普通の白い紙を使い、2時間のうちに恐らく150くらいの名前を書いたのではないでしょうか。

それにしても奇怪な名前も多く、キャロリンと、「これが20年前だったら、ジョンやマイクやポールなんて名前ばっかりで、どれほど楽だったか・・・」と笑い合いました。実際、ご存知のように、アフリカ系アメリカ人の人は結構変わった名前を子供たちに付けている例が多いですし、この辺りに住んでいる人も国際色が豊かで、ラテン系の名前は勿論、東欧、アラブ、アジア系となると、もはや聞いただけでは綴れません(Sirocco, Ortensia, Nikolas, Sarai・・・)。おまけに音は同じでも、綴り方は何通りもあって・・・「まるでSpelling bee(綴りコンテスト)」をやっているみたいでした。

例えば、エリザベスと言われてもElizabethなのかElisabethなのか、アリッサもAlissaもあればAlyssaもあるし、ターニャと言われてもTanyaと思いきやTonyaだったり・・・。まさに綴り方は千差万別。たまにマイクとか言われるとほっとします(笑)。聞き慣れた名前、例えばハナなんて聞くと、「典型的な綴り?」と思わず聞き返してしまいます。ソフィアやキャシーと言われると、「PH?それともF?」、「CそれともK?」と尋ねねばならず、名前を書くのも楽じゃありません。(結構脳みその運動になりました。)

日本人の名前もかなり奇怪になっておりますが(我が娘たちも例に漏れず)、同様の傾向がアメリカでもあるのだなぁと改めて実感したイベントでもありました。

今日の極めつけは、JohnrichardにWilltapplyという兄弟。父方と母方の祖父の氏名を合わせた名前だそうで・・・。間にハイフンも入らないのです。変わっていて良いというか、何と言うか。「素敵な名前ね」とコメントしながらも、内心ビミョーでありました。

2011年4月11日月曜日

放射能、放射線に関する知識

先日、原発に関する報道記事に詳細説明が足りないからようわからん!と文句を言いましたが、丸善が放射線や放射能に関する書物を無料で閲覧できるようにしていることを知りました。

ウェブサイトはこちら。
ご興味のある方は見てください。http://pub.maruzen.co.jp/index/kokai/

まだ全てをきっちり読んだ訳ではないですが、パリティーの記事は(この論説の真偽のほどはわかりませんが)根拠ない不安を鎮めてくれますし、「身近な放射線の知識」は途中までしかまだ読んでませんが、なかなか理解しやすいです。

ご興味のある方はどうぞ。

2011年4月4日月曜日

汚水を海へ

とうとう汚水を海へ流すことになりましたね。

ずいぶん前からCMMに登場する原発に詳しいアメリカ人のおじさんはこのことに言及していました。汚水が海へ流れることは決して良いことではないけれど、全ての悪いことの中では、これが一番ましなのだ、と訴えていました。

多分そうなんでしょう。

これで世界で食べられるお寿司の量が減るんじゃないでしょうか。寿司ブームでかなり乱獲されていたから案外良い側面もあるのかも・・・。

大きな海でしっかり薄まってほしいです。

飛行機

ラジオのトークショーのテーマが、「航空会社のパフォーマンスは数字の上では良くなっているのになぜ顧客の不満は減らないのか」だった。

どうやら「ロストバゲッジ」(チェックインした荷物がなくなること)や飛行機の延着は、ここ1、2年でデータ上はかなり減っているらしい。

確かに飛行機の遅延や取り消しが日常茶飯事だった2、3年前と比べると、このごろは減ったようにも思うし、空港に着いても鞄が来なかったのは2年前が最後かな。(ということで、このところ余分のパンツを1枚手荷物に入れることを怠っております・・・。)

ラジオに出ていたアナリストのおじさんは、それは単なる数字上のトリックなのだと言ってました。つまり航空会社は、今では最初から延着を見越して遅延分を飛行時間に組み込んでいるとのこと。それで実際の到着時間としては遅延にならないらしい。

更にロストバゲッジには、別のカテゴリーとして「Mishandled Baggage」(取り扱い間違い)が加わってこれは別に計上されているらしい。確かにこれまでロストバゲッジと呼ばれていたものには、紛失した物だけでなく、厳密に言えば紛失ではなく、誤ってよそにに送られた、あるいは途中で積み残された物が含まれていた。実際には後者が圧倒的だったはず。

正直言って、私はこのところ飛行機に関しては余り文句を言わなくなった。それは航空会社のパフォーマンスが向上したからではなく、単に慣れたから。これまではもっともっとヒドイ目にあっていたから、少々の遅れくらいだと、逆に「飛んで良かった」と思うし、オンタイムだったりしたら「ラッキー」と思うのである。

つい先日も、もう春は目の前だというのに雪が降った。積雪量で行けば3−4センチというところだったのだが、飛行機はきっちり2時間遅れた。キャンセルではなかったから、心配もせずインターネットをしたり、本を読みながら空港で時間を潰した。

ようやく搭乗し飛行機がプッシュバックを始めてすぐにパイロットのアナウンスが入った。「この機の離陸順位は45番目です。しばらくお待ちください。」

「えー、45番目!」思わず声に出して叫んでしまいました・・・。げげげ、30分くらい待たされるのかな。

続いてフライトアテンダントのアナウンスが入る。「おしまいになった携帯電話などコンピュータ以外の電子機器なら再びご使用になっても結構です。」

そこで周りの人はがさがさと携帯を取り出して、「45番目だってよ〜」と電話の向こうの誰かに訴えている。

ところが5分も経たないうちに、「離陸順位が4番目になりました。電子機器をしまい、離陸準備をしてください」だって。この5分間に40機も飛んだとは思えないんですけど。もしかして、これも最悪を思わせておいて、それよりましな状況を作って顧客の満足度をあげようと言う手か?

航空会社に対してひとつ文句があるとすれば、それは航空料金。航空料金って、あって無きがごとし。

確かにエコノミークラスでも取り消し/変更自在の「正規価格」で買えばべらぼうに高い。けれどそれが出来ない航空券は、十分余裕を持って買えばかなり安い。ところが同じ変更/取り消し不可の格安航空券も、残り座席数が減ってくるとぐんぐん料金が上がって行く。どれも座席の質もサービスも全く同じなのに。(正規料金で買えば、格安の人よりちょっと早く搭乗できるけどね。)

具体的にその価格差はと言うと、例えば飛行時間がたかだか2時間ちょっとの距離で、かなり前に買えば60ドルくらいのところが、出発日が迫って残りの座席数が減ると600ドル、そして正規料金なら1000ドル以上と言った具合だ。

だから予定が決まらないプライベートの旅行は、捨ててもいいから先に買ってしまう。ぎりぎりで買って600ドル払うより、捨てることを覚悟で60ドルの方が安いもんね。(格安チケットの場合は変更料は150ドルくらい取られるから通常は買い直した方が安い。)

正規料金で払ってくれる人の恩恵を受けている訳だから、文句を言う筋合いではなかったか・・・。

2011年4月2日土曜日

文句言い

わたしは自他ともに認める文句言いなのですが、今日は新聞に対して文句があります。

震災以来ずっと原発関連の記事を読んでいます。ウェブの新聞記事ですから、紙面の記事よりは詳しくないにしても、それにしても、原発の記事に関しては、時々は説明や注記、図解などがあるものの、今ひとつ深みがない。

恐らく記事を書いている人もいまいち理解できてないで、東電やIAEA、保安院の発表をそのまま伝達しているにすぎないんじゃないかと思うのです。

確かに素人には理解しづらい内容ではあると思うけれど、今はその素人がしっかり知りたいと思っている。だから書く側もしっかり調べてわかるように書いて欲しいのです。

今日、日経の論説委員がこう書いていました。この人の言うように、科学者でも誰でもいいから、専門家は庶民にわかるように知識を提供して欲しいです。

あっそうか。論説委員だって専門家に説明して欲しいって言うんだから、新聞記者はやっぱりしっかりわからないで書いてるのか・・・。

(日経は登録すると月に20記事だけ無料で読めるのですが、それを越すと有料になってしまうのです。月初めでまだ無料で読めてるので、勝手にここにコピペしますね。)


いま科学者の役割は何か 共に危機を悩み考えよう 論説委員 滝順一




「安全委はそれだけの知識を持ち合わせていない」。福島第1原子力発電所で見つかった放射能混じりの水への対応を問われて、班目春樹・原子力安全委員長はこう答えたという。
気さくな人柄と聞くので率直に話したのかもしれないし、首相に怒鳴られて開き直ったのかもしれない。いずれにしてもこの物言いは国民をがっかりさせ、科学者と呼ばれる人たちへの不信を強めたのではないか。
今回の原発事故で、原子力にかかわる科学者や技術者はそれぞれ責任や使命感に駆られていることと思う。政府や東京電力に近しい人は助言したり対策づくりに加わったりしている。班目氏もその一人のはずで、安全委員長としての職務を責任をもって果たされたい。
ここで問いかけたいのは、原子力発電には直接かかわっていない科学者の人たちの役割である。特に物理学や生物学などに携わる人たちなら、原発の設計や安全は専門外だとしても、核反応や放射線については、普通の市民より詳しい知識を持っているはずだ。
震災の余波か、宇宙科学や生命科学の講演会やシンポジウムの開催延期の知らせがいくつも舞い込む。一方で、危機を受けて、原子力やエネルギー問題、放射線医学などについて、市民向けの講座や講演会を新たに開催するという話は、あまり耳にしない。
日本の多くの国民が、いまほど核や放射線について切実に知りたいと思ったことはない。国民が科学の知識や考え方をより深く知り、科学技術の賢い使い方やエネルギーの将来などを考える機会を、なぜ科学者が進んでつくらないのだろう。
原発事故の先行きについて尋ねられても答えられない。そう思って尻込みしているのかもしれない。もしそうなら、それは間違っている。先行きなど東電の幹部とて明言できない。だれにもわからないことだ。わからない中で手探りにでも市民といっしょにこの問題を考え、悩んでみようとは思わないのか。
最近、科学コミュニケーションや、研究を社会に広めるアウトリーチなど、科学者が市民と対話する大切さが唱えられてきた。お茶を飲みながらくつろいで話すサイエンスカフェと呼ばれる試みもあった。
しかし、みなが知りたいと思っている話題に適時にこたえないのでは、こうしたアウトリーチ活動もしょせん自分の研究の宣伝のためにすぎなかったということになる。教壇から、上から目線で庶民を教え諭すことしかできない人たちだということになりはしないか。
日本学術会議は緊急集会を開いたし、インターネット上で盛んに情報を発信して、正確な知識の広まりに力を尽くしている人もいる。すべての科学者が手をこまぬいているというわけではないが、肝心のときに頼りにならないのは考えものだ。
国民には期待がある。日本にはロボットや情報通信などで優れた技術があるはずだと。
放射線が強くて作業者が近づけないとか、がれきがあって内部が見えないとか、事故現場の苦心が伝えられると、なぜロボットや遠隔操作の計測器が出てこないのかと首をかしげる。
研究費を毎年もらって、そうした研究開発に取り組んでいる大学や研究機関がたくさんあったのではないか。なぜ出てこないのかと。
現実には、大学などの研究室にある技術の多くはまだ研究の途上で、いま原発に持ち込んでも使えないどころか、足手まといになりかねないのだろう。
だからといって、ロボット研究者らが口を開かないのは正しい選択だろうか。現状ではここまではできるが、この先が難しいなどと、率直に技術課題について語る機会ではないか。国民は今なら関心を持って聞くはずだ。技術の未成熟をなじることはないだろう。国家的な危機を打開するため、科学界をあげて知恵を絞ってほしいと思う。
1989年に英国の科学者の委員会は、BSE(牛海綿状脳症)に人間が感染する可能性は極めて低いとする報告書を発表した。これを受けて英国政府は牛肉の安全性を強調した。
数年たって、感染牛の肉を食べたことが原因と考えられる患者(変異型クロイツフェルトヤコブ病)が見つかり、科学者への信頼が深く傷ついた。
BSE禍を契機に、英国で科学コミュニケーションの大切さが再認識されサイエンスカフェなどの活動が始まった。日本の科学界や行政はそれをまねて導入してきた。巨大津波と原発危機を契機に、科学への信頼が揺らぎかねない。研究室の中にいる時ではない。

余計な心配

余計な心配だと思うのですが、日本政府が各国から寄せられる救援物資を本当にちゃんと管理できているのかと言うこと。

震災後すぐに、日本乾電池協会が寄付した乾電池が被災地に送られないままになっているという記事を読んだ。政府のコメントは「被災地からの要請を持って送る」だった。電話も不通の状態で要請もなにもないでしょ。

約20年前の米不足を思い出す。あのときタイ米をたくさん輸入したにもかかわらず大半が産業廃棄物と化してしまったことを。

今、日本に救援物資を送っている各国の中にも決して自国が裕福と言えない国々がたくさんある。それらの国々の善意を無にしないためにも、日本政府はきちんと、今は何が足りなくて、何は不要なのか明らかにして行かなければならない。文化の違いもあるのだから、先方が良しと思ったものが必ずしも日本で必要かどうかもわからない。既に十分に集まっている物もあるかもしれない。

実際にそういう管理がきちんとされているのか、非常に不安なのです。
私のこの不安が杞憂であることを願います。