2012年3月31日土曜日

マルガリータ

そろそろメキシコのお話もおしまいです。

最後に私たちがお気に入りで2度も行ってしまったホテルの並びのマルガリータと言うお店。
この辺りのお店は屋根のないところが多いのですが、マルガリータも砂浜にテーブルというスタイル。

初日の夜にホテルの人にどこで食べたら良いかと聞いたら、マルガリータがいいよと言われ、そっちに向かって歩いていると、客引き(ホエールウォッチングとか観光船)のお兄さん方も、「食事なら、マルガリータがいいよ」と。

みんなこの店の回し者なのか?って思うのですが、同じ通りに似たようなレストランがたくさん並んでいるので、どうして皆が口を揃えてマルガリータを勧めるのかはちょっと不思議でした。

ホテルに戻ってから、フロントのおじさんに「どうしてマルガリータを勧めるの?」と聞くと、
「友達が働いているから」
「・・・なんだ、そうだったの・・・」
「でもあそこは食べ物も、おいしいでしょ?」

確かに、食べ物はとっても美味しかったのです!
この日のお勧めはツナと言うことで、ツナのグリルを頼んだのですが、タタキのように中はまだ少し赤くって新鮮で本当においしかった。付け合わせで出て来るチップスとサルサも絶品。グヮッカモレも最高。
この日の飲み物はコロナビールx2本。ホテルのウェルカムドリンクのマルガリータを3杯飲んで既に酔っぱらってたから控えました。(ウェルカムドリンクを先に2杯もらったことは、以前に書きましたが、その後友人達が全員到着した後に「全員揃ったから乾杯したいから、もう一度無料のドリンクを4人分届けて」とフロントに電話して、わたしはちゃっかり3杯目も飲んだのです。)

あまりに美味しかったので、最後の日のお昼も再びマルガリータへ。

このときのドリンクは、マンゴマルガリータ。これも美味しかった〜。
この日は、付け合わせ(無料)のチップスとサルサを3回もおかわり。勿論グワッカモレも頼みました。


そしてこのカニの美味しかったこと!

もしメキシコに旅行に行かれるなら、プエルトバジャルタとプンタデミタの両方に半々くらい滞在されることをお勧めします。(プエルトバジャルタとプンタデミータの間がタクシーで1時間と言うことを考えると、片方に泊まって通うのはちょっと面倒な気がします。) 

最後に、私たちが宿泊したホテルの屋上からの景色。

そしてプンタデミタに行かれるなら、是非マルガリータへ! (私はまわしもんか!?)

<追記>

ホテルのプールみたいに海と(あるいはそれ以外の周りの景色と)一体になったふちの目立たないタイプのものをInfinity Edge (Vanishing Edge) Poolと言うそうです。ジョナサンの家のプールもそうだったので、私はこの辺りでよくあるスタイルなのかと思ってました。

マレコン

プエルトバジャルタの海岸沿いにあるマレコンという地区にお買い物に行ったときの写真。

原住民(ウイチョル族)が作るビーズ細工の露天やショップもありました。

ショップには、かなり大掛かりで立派な置物とかもあったのですが、とても高価。




古い教会もありました。


砂の彫刻もありました。


通りかかったところでたまたま原住民のパフォーマンスに出くわしました。
体に長い綱を巻き付けてポールの頂上にまで登り、


頂上でぐるぐる回ってポールに綱を巻き付け、


その後は綱をつけたままぶら下がると、巻き付けた綱がほどけながら回転し、


徐々に下に降りて来る・・・というパフォーマンス。



当初、中国の雑技団級のウルトラCを期待してしまっただけに、単にぐるぐる回って降りて来るだけだったから、もうひとひねり欲しかったなぁ・・・。(欲張り過ぎか。)

ま、最後は写真も取らせてくれたし、愛想のいいおじさん(お兄さん?)たちでありました。
上の写真の左端に写っている箱にちゃんとお礼も入れました。

2012年3月30日金曜日

パドルボーディング

明日でメキシコを後にせねばならないと言う日、同室の二人の友人(彼女達は私たちより更に2日長く滞在)が、「明日は何かマリンスポーツをしようかなぁ」と話していました。私も水着は持参していましたが、シミが増えるのも嫌だし、本気で海やプールで泳ぐつもりはなかったのですが、二人がそんな話を始めると・・・やっぱりやってみたいなぁと言う気に。

「今日、だったら一緒に行けるんだけれど・・・」とつぶやくと、
「じゃあ、今日行きましょう!」

と言うことで、ホテルで貸し出ししているパドルボードを1時間20ドル(または200ペソ)で借りて海に繰出すことになりました。(もう一人の友人は水着を持参していなかったので、カメラマンに徹してくれました。)

パドルボーディングって私も初めて知ったのですが、サーフィンを万人向けにしたようなもの。大きなサーフボードに立ち上がって、カヤックのパドルみたいなので漕ぐだけ。簡単そうで、私でもできそう。

ホテルのフロントの人が、「今だったら、簡単に乗り方を説明するし、僕は4時にあがるから、それ以降なら海で指導もしてあげられるよ」と言ってくれましたが、4時まで待ったら寒くなりそうなので、遅い朝食後に海に繰出しました。(プエルトバヤルタの夜は、ジャケットが必要になるくらい寒くなります。)

一見簡単に見えたのですが・・・座ってパドルで漕いでいる間は全然問題ないのに、立ち上がってちょっと大きな波が来るとバランスを失って海に落ちてしまいます。


若者は平衡感覚があるので、一緒にパドルボーディングをした二人の友人は全然落っこちないのに、私は早々と5回も海へ。

座っていると多少の波が来ても平気だし、波がある方が楽しいことがわかり、後半は進んで波のある方へ。でも大きな波だと座っていてもボードから振り落とされました。

上手な人はサーフィンのように長く波に乗っていられるのに、私たちは波をやり過ごすだけで精一杯。

でも楽しかった〜!

プエルトバジャルタ VS プンタデミタ

今回のメキシコ旅行で降り立った空港は、プエルトバジャルタ(Puerto Vallarta)です。英語ではプエルトバヤルタと発音。

スペイン後で「L」が2つ重なると、英語で言う「Y」の発音になりますが、それはスペインでの話で、中南米ではこれは英語で言う「J」の発音になるのです。

ちなみにスペイン語の「J」の発音は、英語の「H」の発音になるので、Japonは「ハポン」、Jodakoは「ホダコ」になるのでしょう・・・。

プエルトバジャルタの市街は、空港から少し南にあります。確か人口30万人って誰かが言ってましたが、大きな町です。ここは早くから開けたリゾート地でもあり(Betsyの新婚旅行もここでした)、メキシコならではの町並みも見られ、リゾートホテルと古い町並みが混在しているようなところ。リゾートとエキゾチックな異国情緒の両方を楽しむには持って来いの場所でしょう。

お土産屋さんも多く、先日のお買い物もこの町の海岸沿いにあるマレコム地区。他にも旧市街もあるし、レストランも色々あるので、もう少しこの町で過ごせる時間があったらなぁと残念。

この町の裏には神戸や横浜のように山(と言うか丘)があって、チカエとマビオさんのコンドミニアムはこの丘の中腹にあります。そこからの眺めの良いこと!



3年前にハワイのコンドを売ってこちらに鞍替えした二人は、以来毎年1月〜4月の3ヶ月ほどをここで過ごすのですが、「こんなところに住めてえーなー」と言うと、「ええねんけど、しんどいところもある」とのこと。

しんどい最大の理由は、毎回タクシーに乗るのに値段交渉しないとあかんところ。タクシーにはメーターが付いてないので、乗る前にちゃんと交渉しておかないと、ぼったくられたり、嫌な思いをする恐れがある。特にぱっと見て「ガイジン」とわかる私たちは。

チカエはかなりスペイン語も上手に話せるようになってるけれど、私が楽しんでる値段交渉は、めんどくさくて仕方ないそう。確かに、たまにするから面白いのであって、ふっかけて来るタクシー運転手や、決まった値段に不服でふてくされて乱暴に運転する人になんか当たると、嫌だよね。

私たちがプエルトバジャルタを訪れて、チカエとマビオさんたちと食事をした後のこと。その日は「世界観光協会」のカンファレンスがあり、海辺では花火の打ち上げで、近辺は人でごったがえしておりました。タクシーもなくって、しばらく歩いて込み合った地区を出てから探そうと、渋滞している車の横を歩いていたのです。

すると1台のタクシーが声をかけて来ました。
「どこ行くの?」
「プンタミタ、幾ら?」
「700」
「じゃ、いらない」
無視して歩き始めると(ちなみにタクシーにはまだお客さんが乗ってます)、また私たちと並んで、「600はどう?」
マビオさんからは、500から600が妥当な値段と聞いていたので、
「500じゃないとダメ」と答えました。
するとタクシーは行ってしまいました。
(空港からのタクシー料金を600ペソで競り落とした武勇伝以来、値段交渉は私の役目となってます。)

ところがすぐ先のところでお客さんを降ろしています。その横を通り抜けようとすると、
「じゃ、500でいいから」
「ほんと?、ほんとに500ね?」
「Si、Si(Yes, Yes)」と言うので、4人でタクシーに乗り込みました。

乗ってから「プンタミタのどこ?」と尋ねるので、
「フォーシーズンズホテルのちょっと先のバスターミナルを曲がったところ」と言うと、
「えぇー、じゃあ600だ」と言うから、
「500って約束したでしょ?」
「でもちょっと遠いから」
「それじゃ約束と違う。600だったら降りる」と、ドアの取っ手に手をかけると、
「わかった、わかった、500でいいから」

友人達は後に、私のこの迫真の「パフォーマンス」が素晴らしかったと褒めてくれたのですが、パフォーマンスなんかじゃありませんでした。マジでむっとしたから、そんなら降りようって思ったのです。皆、マルガリータやダイキリ飲んで、満腹でもう動きたくない状態でしたから、あの時本当に降りるはめになってたら、かなり立腹されてたかも。

その後この若造ドライバー。ぼろぼろのタクシーやのにめちゃくちゃスピードを出す。市街地を抜けてからの一本道で130キロ出していたときは、「スピード落として、まだ死にたくない!」と言って、80キロにまで落とさせましたが(法定速度60キロのところだよ!)、その後の山道に入ってからも、80〜100キロ出してはりました。運転は下手ではなくて、要所要所は落とすし、対向車が居るかどうかはヘッドライトでわかるのだけど、たまに動物がいるし・・・。とにかく、ずっと天井に手をやって体を支えておりました。(この車、ドアの上に捕まるハンドルが付いてない。)

到着してからも、まだ「チップくれ」と言うので、「メキシコはチップないでしょうが」と無視してホテルに入りました。が、心優しいH美ちゃんは、「あげたら・・・」と20ペソを私に差し出します。確かにプエルトバジャルタからプンタミタまでは、タクシーで1時間弱の距離ですから。

タクシーに取って返し、
「帰りはとにかくスピード落とすこと。ゆっくり運転すること、いいわね?」と言って、20ペソ札を渡しました。

こういうやりとりがチカエには面倒なんでしょうね。

さて、私たちの宿泊ホテルがあったのはプンタデミタと言う土地です。ここは空港から北に40キロ、車で45分ほどのところに位置します。15、6年前にリゾート地としての開発が始まったところで、フォーシーズンズホテルをはじめ高級ホテルが進出し、周りにも高級別荘地の建設が相次ぎました。(そのうちのひとつがジョナサンの家)

プエルトバジャルタと違って、ここは閑静なリゾート地。静かにゆったり時間を過ごすには良いでしょう。お金はかかるけれど。

開発前は漁村で、村の人たちはみんな漁師だったと、帰りに空港まで送ってくれた運転手のアンヘル(Angel)君が言っていました。

地域の名前はプンタデミタ。そしてフォーシーズンズなどのホテルのある地区が「プンタミタ」です。

ホテルの側にタクシーの営業所があるのですが、そこのタクシーはプエルトバジャルタのぼろタクシー(大抵は日産の「Tsuru」と言う、他所では聞いたことのない車種)とは異なり、シボレーの大型SUVのサバーバンです。新しい車が多くて、広いしとても綺麗。

でも綺麗なだけあって、値段は高い。
そしてどんな値引き交渉にも応じてくれない。

帰りにアンヘル君(24歳)と話しててその謎が解けました。あのタクシーのオーナーが強気で絶対に値引き交渉に応じないこと。彼らタクシー運転手は勝手に値引き交渉に応じてはいけないこと。(だから、交渉する度に無線で事務所に連絡して聞いていました。) 帰りの空港へも700で行ってと、ホテルの人に交渉してもらったけれど、無線で問い合わせた結果、絶対に無理とのこと。言い値の800でOKしました。

アンヘル君達ドライバーの収入は運賃の25%で、日当はないんだそう。このところは景気も悪くて観光客も減っているから、日中は殆ど仕事がなくて、全くない日もある。書き入れ時は夜で、フォーシーズンズなどのホテルから食事で出かける/帰るお客さんを運ぶ時だけが忙しいそう。

フォーシーズンズなどの開発が始まって、この土地に住んでいた人たちはみんな立ち退きになったそう。(チカエの話では、土地は政府のものらしく、住んでいた人には所有権はなかったので、単に追い出されただけだそうです。) 

今は村の人たちの多くは観光事業に従事しているのか?と聞くと、お父さんもおじいちゃんも昔ながらの漁師をやっているとのこと。村人は英語を学ぶのが嫌なので、殆ど観光事業には従事しておらず、自分の従兄たちもみんな「建設」の手伝いばっかり。ホテルの従業員もみんなプエルトバジャルタからやって来るのだそうです。そう言えば、バスターミナルで大勢の人たちがバスから降りて来て、フォーシーズンズの敷地へ入って行くのを見かけました。

「従兄たちにも英語を勉強して、ホテルやタクシーで働けばいいって僕は勧めるんだけれど、勉強するのなんか嫌だって言うんだよね。」

ところで、空港へ向かう途中、検問をやっていて、私たちのタクシーは止められました。先日プエルトバジャルタに行くときも、同じく検問でひっかかったのですが、アンヘル君の話では、「ドラッグや武器の密輸業者がみんなサバーバンを使ってるんだよ。だからこの車種は止められるんだ」と言ってました。

機関銃を持った警察にトランクの中もチェックされましたが、乗客が可愛い日本人の女の子なので(どこがや!)、問題なく通過。

アンヘル君は安全運転だったし、とても感じが良かったので、降りる時には50ペソをチップに渡しました。どうせチップ払うんやったら、値切らなかったらええと思うかもしれませんが・・・。チップはチップ、運賃は運賃ですからね。そうか、簡単に値下げ交渉に応じて、代わりにチップを弾んでもらったのでは、オーナーの懐に入るお金は減りますからね。固定料金にしているのは賢いかも。(あの地区でタクシーを拾う人たちで値切る人はあんまりいなくて、チップもたくさんくれる人たちばかりかとも思いますが。)

長くなって来たので、この辺で。

あ、ちょっと気になったので、日産のツルってどんな車なんやろうと調べてみたら・・・なんとサニーのことじゃないですか。アメリカではセントラと呼ばれていて、何を隠そう私もカリフォルニア/オハイオ時代の7年間は1996年型のセントラでした。

・・・でもメキシコで走っていたツルは角張っていて、それよりずっと古い型に見えた・・・。

2012年3月29日木曜日

訂正&パーティー諸々

。。。チカエから私のブログにダメだしを食らいましたので、ここに訂正させて頂きます。

3月24日(土)付けの「パーティー」と題したブログの中で、「今日のパーティーはその息子さんからのプレゼント」と書きましたが、それは正確ではありませんでした。

ジョナサンからは「パーティー会場として自宅を自由に使ってくれていいし、スタッフも自由に使っていい」との寛大なお言葉はあったものの、パーティーに関わる費用は全てマビオさんが支払ったものであります。食事や飲み物にかかった費用、ケータリングの費用、外から雇った人(給仕、ミュージシャン、カメラマン)たちの費用も全てマビオさんが支払ったのでした。

「息子なんだから、場所だけじゃなくて、パーティごとプレゼントしてあげたらいいのに」と娘のサリちゃんはこぼしていたそうですが、まぁ、そういうサリちゃんは、じゃあ何してあげたん、と聞いてみたくもなりますがな。

聞いたら彼女は「私は46歳にして、可愛い孫を産んで上げた」と言うかもしれません。46歳にして自然妊娠で10月に赤ちゃんが産まれたのです。言うたらなんやけど、母子には全く見えない。色白で金髪青い目のめっちゃくちゃ可愛い赤ちゃんです。サリちゃんは黒髪で少し色黒で、まさに南部イスラエル系と言う顔つきですから。

かくいう私も手ぶらで参加し、「遠くから自分自身をメキシコまで運んで来たのがマビオさんへのプレゼント」と豪語しております。

交流の広いマビオさんだけあって、パーティーには世界各国から、老いも若きも集って、50人ほどの参加者がありました。遠くはタイから(この人たち、なんと2泊でタイにトンボ返りの強行軍)、シンガポールから。日本とイギリスからも参加者あり。マビオさんと同い年の友人のミルトンさんは自立歩行が出来ないので、ニューヨークから車いすでの参加。奥さん一人では対応できないから、奥さんの弟さんも介添人として参加。

結構ユニークな人が多くて、おしゃべりにも花が咲きました。

ディナーの席では、中国人のコニーに彼女の娘のメイ(イタリア系とのハーフで超可愛い)、マビオの姪のジュディスとその夫のダニエル、それに私たち日本人ガールズ4人が同じテーブルだったのですが、「仕切り屋」のコニーが、それぞれ自分のライフスタイルについて語りましょうと持ちかけ、順繰りに自己紹介を兼ねて普段どんな生活をしているか話して行きました。

ジュディスとダニエル(二人とも60の後半くらい?)は二人とも「お金を使うのが嫌い」と言うことで意気投合して9年ほど前に結婚したそう。結婚のきっかけも「無料」で相手を紹介してくれる「55歳以上(Fifty-five plus)と言うネットの紹介サイトを通じてなんだって。

この二人、ホテルからパーティー会場までの45分〜1時間ほどの道のりを、毎回歩いて往復していたのです。私たちのホテルと同じ方向だからとタクシーに同乗しないかと誘っても「歩くの好きだから」と。(酔っぱらって、よう歩くよ。) 1日目のパーティーは途中で一旦帰らないといけなかったけれど、そのときも歩いて帰って、また歩いて来てた・・・。すごすぎ。コンドミニアムタイプのホテルに宿泊してて、殆ど外食せずに、毎日作って食べてるんだって。メキシコにはトータル2週間滞在するって言ってました。

チカエとモントレーの大学院の同級生だった二人(私の先輩にあたります)は、日本でバリバリのキャリアウーマンで、毎晩帰宅するのが9時過ぎ10時過ぎだそう。チカエとKDDのバイト仲間だった友人(私も同じバイトをしていた)とは、当時以来の再会でした。

ガールズ3人が語り、その後、私の順番になりましたが、私はお昼の時にそのテーブルについてた人たち全員と一通り話をしていたので、「もうそれ以上話すこともないから、コニーさん、あなた話しなさいよ」と。

コニーは人には「話せ、話せ」と言う割には、そう言えば自分のことはあんまり話さない。話し始めても、なんか遠回しで回りくどいので、ダニエルが「そんなことどうでもいい。さっきから、娘のメイの父親とはどうやって知り合ったんっやって聞いてるんだよ」と。

「・・・実はこの娘の父親とは違う人と結婚することになってたのよね・・・。」
「え、そんな話聞いたことなーい!」とメイ。

こんな感じで、なかなか楽しいディナーでありました。
ちなみにメイは、シナコと同じ大学の卒業生であることも判明。今はサンフランシスコでeBayの宣伝部門で仕事をしているとのこと。同じくサンフランシスコを拠点にするジョナサンとしっかり食事の約束を取り付けてはりました。

ところでメキシコにいる間中、日本人はおろか、殆どアジア系に会うことがなく、唯一見たアジア系&日本人はマビオさんのパーティー参加者のみ。
「もしかして、私らが今この半島にいる唯一の日本人とちゃうか」と友人達と言って笑い合っていましたが、本当にそうだったと思います。

さて、前述のコニーと、シンガポールから来たリチャードさん。
チカエに、「幾つやと思う?」と聞かれ、コニーは60代前半、リチャードさんは50代後半と答えたのですが、なんと二人とも70才やねんて! びっくり。私だけじゃなくて、ガールズ全員びっくり。

みんなの驚きようが半端じゃなかったので、私もいいこと思いつきました。

この次から、幾つ?って聞かれたら、70才って答えよ。
驚いてもらえること請け合い。
驚かれると嬉しいやんね〜。
(実年齢を言っても、もう驚いてもらえなくなったからさ・・・。)

ひとりメキシカンパーティー

昨夜、無事に帰宅致しました。

でもなんだかメキシコの味が恋しくて、さっそく買い出しに行き、今夜はマルガリータとサルサとタヒンのディップを作りました。今、まさに宴たけなわ!

<マルガリータ>
テキーラを買って、マルガリータミックスとマルガリータソルトを買って、ちゃんとシェーカーで振って作りました。(カクテルグッズは、一応揃っている。)

<サルサ>
トマトとタマネギとライムとコリアンダーとパセリも買ってサルサを作り(メキシコで食べたサルサはどれもコリアンダーじゃなくてパセリが入ってました、でも私はコリアンダー大好きだから)、トルティーヤチップスも買って来ました。チップスはメキシコで食べた塩気のない肉厚のさくさくしたのは売ってなくて、アメリカで通常にみかけるコーンのつぶつぶを感じる塩味の効いたタイプしかありませんでした。

<タヒン>
Tajinと書くのですが、初めて出会ったスパイスです。マビオさんのパーティー1日目の日中。山盛りアペタイザーが出て来たのですが、その中の一品に、野菜やフルーツのスライスに添えられていた赤いディップがありました。これまでに食したことない、酸っぱいような辛いような絶妙な味で、誰もが「これ何かわかんないけど、美味しい!」
(左がドライタイプ。右が液状のもの。)

クラウディアと言うメキシコ人女性が、ジョナサンの家の管理を全て任されている人なのですが、彼女が今回のパーティーもマビオさんのリクエストに従って全てアレンジしてくれていました。(めっちゃくちゃ有能な人やのに、これまためっちゃくちゃ感じのいい人。) クラウディアに聞いたらわかるってことで尋ねてみたら、「あれはタヒン。単にタヒンを水で溶いただけ。どこのスーパーでも売ってるし、1本10ペソ(1ドル)くらいよ。」

それなら料理のできぬ私にでもできる!と、早速近所のスーパー「OXXO(オクソと発音」へ友人達と探しに出かけました。

ありました、ありました。クラウディアが言った通り、10ペソ。
パーティーの時のディップに使われていたドライタイプのものもあれば、液状のものもあります。私はドライを6本、液状のものを1本購入。友人たちもお土産にと何本も買いしめたので、スーパーにあったタヒンは棚からなくなりました・・・。

液状のタヒンとトルティーヤチップスを部屋での「最後の晩餐」用に買っていたのですが、最終日はチカエも私たちのホテルに泊まりに来てくれたのでレストランで食事してしまったら、もうお腹いっぱいで・・・。結局翌朝の朝ご飯がわりに、チップスと液状タヒンをつまみましたが、これがまた「梅肉」の味。

すし飯にキュウリと大葉と液状タヒンを入れて海苔で巻いたら立派な梅肉手巻き寿司になりそう。

そろそろ2杯目のマルガリータがなくなってきました。
3杯目、作って来よーっと。

2012年3月27日火曜日

戦利品

昨日は、チカエの案内でプエルトバジャルタの海岸沿いにあるマレコンと言う地区に行ったのですが、その時せしめたお土産。

これはこの辺りの先住民、なんたら族(名前忘れた)の伝統工芸のビーズ細工。
ビーズで出来た立派な置物とか、なかなか興味深い物もたくさんあったのですが、置物とかはあんまり興味ないし、値段も高いし・・・で、手頃なお値段のこのブレスレット。

一番上と一番下は60ペソ(5ドル)。真ん中は100ペソ(8ドル)でした。
イメージ的には上のがキニコ、真ん中がシナコで、一番したのが私・・・って思ってるけど、帰ってみて娘たちに選ばせましょう。

ブレスレットの上にあるガラス細工のカメと唐辛子のピアスは自分の物!

チカエが見つけてくれた、セールで1枚50ペソ(4ドル)のコロナビールの柄のTシャツ。

最後は、チカエお勧めのガラスのマドラー。
道ばたで原住民風の女性が売っていたもの。6本で100ペソ(8ドル)。(←値切ってません)

一杯嬉しいものがゲットできて、めっちゃ満足どす。

2012年3月26日月曜日

今朝の朝食

今日はホテルの前の坂を上がった角にコンビニとバス停があるのですが、そのバス停近くにローカルの人が利用するような食堂があります。

Cafe con leche (Coffee with milk)を注文したら、ホットミルクが運ばれて来ました。
見ると食卓にネスカフェが置いてあります・・・。


子供のの頃に家でこうしてコーヒー牛乳作ってたな。ちょっと懐かしい味。

これが今朝の朝食。
お気に入りのRancheroスタイルの卵。サルサも一緒に出て来ました。


善人のようなことを言いながら・・・

やはり搾取の先頭を切っている!?

メキシコでは他の発展途上国と同様に、値段交渉をするのは当たり前。

実はこの値段交渉が楽しくてしかたない。現地の人と駆け引きを通して関わる楽しさは、いかにも「外国」にいますって感じるがするじゃないですか。そして最終的に「得した!」と思う達成感はたまりません。実は得したと思わされて踊らされているだけかも知れませんが。

メキシコでの最初の駆け引きは、空港からホテルまでのタクシー料金。

空港には白タクの客引きもあるし、メキシコ政府公認のタクシー会社もあります。 タクシーを利用するならぼったくられる心配のない後者の窓口で料金を払うのがいいと、そして窓口によっても値段が違うかもしれないので交渉した方がいい、とチカエから事前に聞いていました。

到着後、白タクの客引きはやり過ごし、まずひとつ目の公認タクシー窓口でホテルまでの料金を聞いてみました。料金を尋ねるや否やタクシーチケットを切ろうとするので、「チケットはまだ切らないで。料金だけ教えて」と頼むと、「700ペソ」という答え。「ありがと」とだけ言って、お隣の窓口へ。そこでは「900ペソ」と言われました。更に離れた別の窓口で聞いてみたけれど、同じく900ペソ。

ペソを持っていなかったので、まずはATMを探しお金をおろしました。その後、また別の公認タクシー窓口の方へ向かって歩き始めると、その会社の客引きが寄って来て、

「タクシー?」
「幾ら?」
「900ペソ」との答え。

「じゃあいい。600だったら乗るけど」と言ってみると、ちょっと窓口と相談した後、あっという間に600ペソで商談成立。料金は前払い。窓口で600ペソを払いチケット(レシート)をもらいました。

もしかして、もっと安くなったのか・・・とは思いましたが、タクシーに乗ってチケットを見せると、
「えっ、600ペソなの!? それはいい値段交渉したね・・・」と寂しげに言われてしまいました。

と言うのも、この運転手さんにホテルまでの45分の道中に教えてもらったのですが、900ペソが平均的な料金らしいです。しかも運転手さんの固定給は1日あたり100ペソ(8ドルくらい)で、あとは乗客が支払った運賃の20%が取り分だそう。

ってことで、600ペソと言うのはどうやら破格値だったらしいです。

後から到着した友人たちも900〜1200ペソを払っていたので、どえらい交渉上手と思われております・・・。

その後はあまりサクセスストーリーはないんですけど、今日はPuerto Vallartaへお土産のショッピングに行くつもりなので、乞うご期待。

2012年3月25日日曜日

パーティー2日目

パーティーの2日目はPunta Mitaにあるフォーシーズンズホテルの敷地内にあるビーチクラブと言う海辺のレストランで行われました。

フォーシーズンズホテルの敷地内に入れるのは、ホテルの滞在客か敷地内のレストランや娯楽施設に予約のある人に限られます。非常に厳しいセキュリティーで、私たちも入口で今日のパーティーの招待客のリストに載っていることが確認されて初めて入場できるのです。

中は目の前に透明な海が広がるまさに別天地。




マビオさんのパーティーに招待されていなければ、恐らくこんな贅沢なひとときを過ごす事はなかったでしょう。

こんな希少な経験の機会を与えてくれたことに本当に感謝。

でも、一方で複雑な気持ちにもなるのです。
私たちが「特権階級」のようにこんな贅沢なひとときを過ごしている一方、この国の普通の人たちは恐らくそんな生活が存在することも知らないでいるんじゃないかって思うと。

勿論、観光地であるから、地元の人たちも海外からの観光客に負うところはたくさんあると思うし、例えばジョナサンのあの家を休暇で借りるような人たちは、帰り際にスタッフにチップとして5000ドルも置いて行くそうなので、彼らが得ているものもたくさんあるのだとは思います。

けど、やっぱり手放しで喜べない私がいる・・・。

メキシコ、おかしいやん。

さっきペソが足りなくなったので銀行に下ろしに行きました。
友人達と共同財布にしてタクシー代などを払っているので、結構キャッシュが必要。

朝食を食べに近くの食堂まで歩いて行ったときに、店先にATM機があったのを目にしていました。

ちなみに朝食で食べた、目玉焼きがトルティーヤの上にのってその上からトマトベースのホットソース(そんなに辛くない)がかかっているRancheroは、とーっても美味しかった! それで50ペソ(約4ドル)。



さて、ATM機でアメリカの自分の銀行口座から100ドル分をおろします。指示に「英語」を選んで、$100を選びました。

・・・すると。
アメリカのドル札で100ドル分が出て来たではありませんか! 何でやねん! 要るのはペソでドルじゃないのに。

再度トライしてみようとしたけれど、どう探してもペソの選択肢がない。おかしいやん!と思いながらATM機の名前を見て見ると、「US Dollar ATM」と書いてあるじゃないですか。何でメキシコでUSドルが要るのよ! 紛らわしい!

憤慨しながらホテルの方へ戻って行くと、客引きのお兄さんに出会いました。

「ねぇ、ペソがおろせるATM知らない? あっちのATMはドルしかおろせないの。」

あ、それだったらこっちだよ、と案内してくれました。

お兄さんに、
「なんで、メキシコなのにドルのATMなん? おかしいやん!」と訴えると、
「それはメキシコだから。」
なかなか、上手なお答え。座布団一枚!

次のペソ用ATMで、今度は$200を選択。(200の倍数しか選べなかったから。)
手数料は70ペソですがいいですか?と機械が聞いて来るので、YESと答えると・・・

じゃーん!
出て来たのは200ペソ札が1枚。

なんでやねん!

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、今回のメキシコの旅で初めて知ったのですが、ペソは「$」で書き表すのです。ですから、メキシコで「$」とあったら、それはペソのこと。米ドルは「US$」と表示されています。

そんなこと忘れてたもん。

しゃあない、再び70ペソの手数料を払って、めでたく必要な現金を手にしましたとさ。

それにしても200ペソおろすのに70ペソの手数料を払ったのは悔しかったけど、それでブログねたを買ったと思って、心を鎮めましょう。
上が騙されたUSドルのATM。

2012年3月24日土曜日

パーティー

さて、今日はお誕生日パーティーの1日目。

私たちの泊まるホテルはなかなか綺麗で、窓からの景色もすごく素敵なのですが・・・。

今日のパーティー会場であるマビオさんの長男(現在はアマゾンの社外役員)の豪邸に行って・・・何と言うかもう唖然。噂には聞いてましたし、写真も建築雑誌で取り上げられた記事や写真も見た事はあったんですけれど、実物を見るのと写真では大違い。(建築雑誌も1冊どころか、7−8種類に掲載されていたことを知りました。)

有名な建築家の手によるものらしいですが、建物のみならず、家とその中にあるもの全てが芸術って感じ。洗練されててセレブの香りがします。もう圧倒されまくりでした。けどあまりの別世界に何となく落ち着かない。どう間違っても自分はこの絵には収まりません。

写真では伝わらないとは思いますが、主寝室からの景色、お庭の景色をご覧下さい。7ベッドルームあって、彼らが使用していないときは家ごと貸してもいるそうですが、なんと1泊12,000ドル。(←桁は間違っていません。)しかも最低1週間の利用からなんだそう・・・。すご過ぎ。




今日のパーティーはその息子さんからのプレゼント。食事もスタッフが全て準備。パーティーは昼の部と夜の部に分かれていて、昼の部は11時〜3時、夜は6時半〜11時まで。(スタッフが片付けをし、夜の準備をするために、来客は一旦辞去しなければなりません。)

私たちはそこを出た後、タクシーで30分くらいの隣町サユリータへ散策へ。

観光地なんですが、あのゴージャスな家の後に現実の世界に引き戻されたというか、富裕層と庶民の格差を見せつけられる感じがしました。

エスニックな香り満載でしたが、埃がすごくて、ちょっと閉口しました。この町で日焼け防止の帽子をゲット。



残念ながら化粧品を売っているお店はこの町にもなくて・・・明日も同室の皆さんのお化粧品をお借りします。コンシーラーないから隠しきれないんですが、まぁ世の中に曝しても公害にはならない程度には化けられました。

今はサユリータから戻ってホテルで一服中。もう少ししたら再び夜の部にお出かけです。

2012年3月23日金曜日

メキシコにて

休暇でメキシコにやって来ました。
メキシコに来た理由は、このブログにも何度か登場いただいている仲良しのマビオさんの90歳のお誕生日パーティーに参加するためです。

パーティーは2日間に渡って執り行われ、初日はマビオさんのご子息所有の著名建築家による大邸宅である別荘にて。そして2日目はレストランにてです。

マビオさんは5年置きの節目のお誕生日の度に壮大なお誕生会を計画されております(まさに5カ年計画)。10年前のパリでのパーティーには子供達もまだ小さかったですし、ついでにお金も足りず参加できず。5年前のヨセミテ国立公園でのパーティーには、コネチカットから単身参加。そして今回に至っております。

マビオさんのパーティーについては追々ご説明するとして・・・、今回は同じくパーティーに日本から参加されるチカエちゃんの友人達3人と私を合わせて、4人でPunta Mitaにあるホテルの1室をシェアしております。

到着の一番乗りは私でした。海辺のリゾートホテルの一室。外からは波のさざ波が聞こえ、俗世界から切り離され、しばし憩いのひとときを与えてくれる写真のごとくの風景が広がっております。

ところが突然現実の世界に引き戻されるような事件が発生致しました!

到着して、スーツケースを開けたのはいいのですが・・・
私の命の次に(?)大事な忘れ物をして来てしまいました!!!!

化粧品がない!

スーツケースには前日から基礎化粧品は詰めていたものの、メイクアップに必要な物は出しっ放しだったのです。だって、お化粧しないで我が身を人目にさらすわけには行きませんから、家を出る前にはお化粧をせねばなりませぬ。

で、今朝3時半に起きて(6時のフライトでした)、入念にお化粧をした後、そのポーチをそのままドレッサーの上に置き忘れたらしいのです。

お化粧品なんて同室人たち(=日本人)に借りればいいじゃないって皆さんは思うでしょ?
でもそうは問屋が卸さない悲しい事情がコチトラにはあるんですよ。

その1
私は色黒である。しかも通常の色黒とは一線を画した(とほほ・・・)レベルの色黒である。(注、別段、特に黒くありたいなどとは今はみじんも思っておりませぬ。)

その2
顔にシミがある。そのシミたるや、実の両親にして、目をむくレベル。通常の「シミ」とは、またしても一線を画したレベルである。(あな、悲しや!)

マジで、シミを苦にして自殺してもおかしくないレベルのシミなのであります。
皮膚科にも通いました。ビタミン剤も飲んでみました。(こちらのほうは、途中で投げ出しましたが。) 高いお金を払って、騙されたと思って美白化粧品に散財して騙されました。何年にも渡る努力の甲斐合って、ようやく、これなら5割は隠せると信じたコンシーラーと出会って5年。

この5年は、信者が教祖の勧めるおふだや薬を買うがごとく、ずっとこのコンシーラーを買い続けておりました。お陰さまで、私のシミは世間に知られる事がなく(と信者は信じておる)隠遁生活を送っておったのであります。

ところが、そのシミが、文字通り白日の下に曝されると言う可能性が出て来たではありませんか!!!

もう、私は居ても立ってもいられませぬ。この緊急事態をどう切り抜けて良いやら。早速フロントデスクに電話し、自分の境地を伝えました。フロントからは同情の念と、「この町にはそう言ったお店はないが、近くの町に化粧品を販売する店があるか調べてご連絡する」との暖かいお言葉。(そうこうして、もう1時間近くが経ちますが。)

しばらくして、部屋のドアをノックする音。誰かが到着したか、はたまた気を効かせたフロントが、お店の住所か、はたまた私の化粧品に代するものを届けてくれたか。

勢い勇んでドアを開けると、ボーイさんが、ウェルカムドリンクとしてのマルガリータを4杯届けてくれるところでした。「友人達の到着は未だだ」と告げると、それでもいいからと2杯分のマルガリータを残して去って行きました。

ってことで、2杯のマルガリータを飲み干して、今はほろ酔い気分で、「もう素顔でパーティーに参加してもええわ、どうせ知った顔はそなさそうだ! しかも、知ってる顔たってスッピンの私には誰だか気付くまい」と、大きな気持ちになりながらブログを書きました。

けど・・・ほんまに、どうしよう、困ったよぅ〜!

2012年3月21日水曜日

音声認識

今日はブログを音声認識で書いてみることにしました。
いったいどのくらいの精度で書けるのでしょうか。
きちんと計画に発音しなければ言葉を読み取ってくれないでしょう。


明確に「発音」といったところが計画になってしまいましたけれど、そこそこの精度で、いえ、驚くような制度でかけていると思いませんか?

ここまで修正を入れずに認識された通りの文字で入力しています。二つ目の「驚くような精度」の変換が間違っていますがそれでもなかなかのものでしょう? また最初の三文は全て連続で入力しました。


私はiPhone 4Sを使っているのですが、先日新しいOSが送られてきました。それをアップロードしたらキーボードにマイクのアイコンが現れたのです。(前からはなかったと思うんですけど。)
そのアイコンを押して電話に話しかけると文字が入力されます。


今日のブログは、入力後に変換が間違っているものを修正して、90%を音声認識で入力しました。句読点も「丸」とか「点」、「エクスクラメーションマーク」「クエスチョンマーク」と言えばちゃんと現れます。


こんなことが可能になると人間はますますバカになってしまいそうですね。iPhone 4Sをお持ちの方、一度試してみてください。

2012年3月20日火曜日

車が真っ黄色!

夕方外に出てみたら、一日運転しなかったオデッセイが真っ黄色!
よくよく見て見ると黄色い花粉に覆われています。

今朝方は激しい雷雨で車は綺麗に流されたはずなので、この花粉は半日で溜まったもの。

その後ジョダの散歩に出た時に、ところどころ今朝方の雨でできた水たまりに、黄色いチョークの粉のようなものが浮いています。げげげ、これ全部花粉?

これだけの量の花粉。一体どこから来るのだろう、と見渡してみても、花らしい花をつけた木はありません。更に見渡すと・・・。

10メートル以上はあるかと思われる背の高い松の木が、この辺りにはたくさん生えているのですが、その上の方で、一部の木に何やら黄色い花のような物が見えます。どの松の木にも花が咲いているわけじゃないですし、枝によっては花のつけたものと松の実をつけているものとまちまち。

えっ、松の木にも花が咲くの?

と思って、ネットで探してみたら、まさにこんな花が見えました。かなり高いところなので、これほどはっきり見えるわけではないのですが。

花粉の主はこれに違いないと思います。

ノースカロライナ州は沿岸部に位置しているため松が多いです。その昔、船底に塗られる松脂はノースカロライナの主な産業物だったのです。

シナコの大学、ノースカロライナ州立大学のニックネームはターヒールズ(Tar Heels)ですが、これは足の裏にべったりついた松脂を意味するもの。南北戦争時代に、ノースカロライナの兵隊はまるでタールが足の裏にべったりついているかのごとく粘り強く、簡単には退散しないことからついたあだ名から由来しています。

ノースカロライナ州立大学(UNC)と言えば、現在アメリカでは大学バスケットの優勝決定トーナメントが繰り広げられていますが、3月はこのバスケットの決定戦でアメリカ中が湧くことから、これらの試合を総称してMarch Madness(クレージーな3月)と呼ばれています。

そもそも余りスポーツに関心がないので、March Madnessもここ1年ほどで覚えた言葉に過ぎないのですが、今年はUNCが活躍しているので注目しています。と、言っても我が家にはテレビはないので、ネットで結果を見るだけですけど。私が応援するチームは負けると言うジンクスがあるから、見ない方がいいのかもしれません。

現段階でUNCはベスト16に残っています。UNCはMidwest地区のランキング1位なので、次の試合は同じ地区のランキング13位のオハイオ大学だから、これは勝つでしょう。

ちなみにUNCはそもそもバスケットの名門で、マイケルジョーダンもUNC出身なんですよね。

地元だしシナコの大学だし、健闘を祈っております。

2012年3月19日月曜日

シナコの話

2週間ほど前、出張先にシナコから電話があった。
「今週末からの春休みに車を借りたいんだけど。」
「どこ行くの?」
「友達とWillmingtonへ1週間いくの」
「何人で?」
「6人」
「オデッセイでシナコが全員連れてくって言うの?」
「違う、シビック。友達がもう1台出すけれど、全員乗れないから」
「事故でもしたらどうする・・・」
「いえ、絶対に事故しません! お願い」
「事故なんてしませんとか約束はできないんだよ・・・うーん。Willmingtonまではどれくらいかかるの?」
「2時間半。私しか運転しないから。」

半年前に免許を取ったばかりで、普段は大学の寮だからほとんど運転していない。いきなりの遠出は心配だったけれど、心配だからダメダメと言っていたらいつまでたっても上達しないし・・・。

「わかった、いいよ。ただし出発時と到着時は必ず連絡を入れること」
「わーい!ありがと!」

その日、午後8時半ごろシナコから電話があったようだ。見れば6時半ごろに『今から出発します』のテキストメッセージも入っていた。わたしの携帯は呼び出し音を昼間から切りっぱなしで忘れており、気づいたのはお風呂から上がった10時頃。シナコに電話をかけた。

電話に出るなり、
「ママ、絶対に怒らないって言って!怒らないって約束して!」
「どうしたん?」
「あのね・・・」

ということで、しっかり事故ってはりました。
私が電話したときは、既に警察も呼んだあと。幸いたいした事故ではなかったので運転を再開して目的地まであと30分ほどという時だった。保険会社にはまだ電話していないというので、到着したらとにかくすぐに保険会社に電話するようにとだけ告げた。

シナコの説明では、右側車線を走っていたシナコの車に左の車線の車がじりじり寄ってきたので、怖いから右の路肩にまでよけたが、さらに寄ってくるので、スピードを上げてその車の前に出ようとしたところ、シナコの車の左後ろに相手の車がぶつかったとのこと。

これがベテランの運転手だったら右によけないで、ブレーキを踏んでその車をやり過ごすか、クラクションを鳴らすかするところだけれど。

相手はおそらく居眠り運転だったんじゃないかとシナコたちは警察に主張したそうだけれど、警察はどちらに非があるとも判断せず、切符も切らず、あとは当人たちでということで事故レポートを書いたそう。(シナコにはもう少し自己主張してほしかった・・・。)

保険会社の修理見積もり額は800ドル余り。
つい昨日、ようやく相手の保険会社との折衝が終結し、シナコの落ち度10%、相手の落ち度90%と決着したそうだけれど、「ノースカロライナ州の法律により、1%でも自己責任がある場合は、相手の保険は使えず自分の車は自分の保険で修理する」のだそう。なんだかめちゃくちゃ理不尽な気がしますね。

ということで、免責額の500ドルがシナコの出世払いと相成りなりました。

誰にも怪我はなかったし、シナコには事故時の処理など経験値が上がってよかったのでは。

けど、車を修理に持って行くのは私だし、めんどくさいな。写真ではほとんど分からないですが、バンパーがこすれ、一部ペンキが剥がれて、ウィンカーのプラスチックが割れてます。この程度で良かった。

2012年3月7日水曜日

もっとびっくりの話(2)

このブログを母がときどき見ているのは知っているのですが、先日の娘たちに書いたメールを掲載してからは何も言って来ないので、「父親の一大事なのに、ふざけたブログを書いて」と怒っているのかと心配し、先ほど実家に電話してみました。

電話に出たのは当の父親。

「調子はどう?」
「おー、元気やで」
「爆弾抱えてドキドキしてるの?」
「ドキドキなんかしてへん。そんなん考えても仕方ないやろ」
「テニスはしてるん?」
「あー、しとるで。昨日も行って来た」
「怖くないん?」
「怖がっとってもしゃあないやろ。それに適度な運動はええらしい」
「ママは? ママは落ち込んでないん?」
「落ち込んどるんかもしれんけど、今日もワシを放って朗読に出掛けて行ったし、栄養ドリンクのひとつも買ってくれるわけやなし」
「あはは・・」
「お前だけやで、電話して来てくれるんわ。RもYも何も言って来うへん」
「そうなん?」
「そうやで」
「そうなんか。そやけど何時死ぬかわからんってなったら、やっぱり、だんだん整理とか始めてるん?」
「せぇへん、そんなもん。今までと一緒じゃ。何もせぇへん」
「えー、遺言とか書かへんの?」
「書いたかて、譲るもんがあらへんがな」
「え、家があるやん」
「家はかぁちゃんの物やし、Hもおるがな」
「じゃあ、マンションがあるやん。あれジョダコに譲るって遺言に書いてよ」
「あほか、あれもかぁちゃんのもんや」
「ママが死ぬまではママの物でいいからさ、ママが死んでからでいいから」
「そんなん知らんがな。それやったら、かぁちゃんに言うておけ」
「わかった、ママに言うわ。それよりママがお葬式のこと心配してたから、めっちゃいいアイデア思いついてんけど」
「何や?」
「あのね、この際、パパとママの合同生存葬をするねん。そしたらみんな予定を組んで参加できるし、二人とも死んでからも思い残すところないでしょ?」
「ほんなら、お前が帰って来てやってくれ」
「ちゃんと予定組んだら、みんな集まれるやん。ええでしょ?」
「ええけど、死ぬことに関してはどうでもええわ。好きなようにやってくれ」
「で、今日は何するん?」
「おぉ、今日はうちに碁を習いに生徒が来る日や」
「生徒って、若い女性でしょ?」
「若いもんか」
「70代の若い女性って聞いてるで」
「そうや、70のおばんばっかりや。覚えが悪ぅて、ほんま、なんぼ教えてもいっこも覚えよらんから、腹立って血圧ばっかり上がるわ」
「ええやん、女性に囲まれて、楽しいやん。ほな頑張って」
「おぉ、お前も頑張れよ」

ということで電話を切りました。

電話を切ってしばらくしてシナコから電話。

「ママ、大丈夫?」
「何が?」
「だって、自分のお父さんが死ぬかもしれないって・・・」
「普通はそうなんかなぁ。自分が死ぬかもしれないって言われたら、めっちゃ怖いかもしれんけど、自分やないからなぁ。ママは冷たいんやろうか? シナコはママが死ぬって知ったら、落ち込む?」
「・・・落ち込むんじゃないかなぁ・・・」
「そんなもんかな・・・」

キニコからも、あのメールを送ってすぐに電話があり、ちょっと涙声。
「おじいちゃんのこと読んだよ・・・」
「しかたないよね。だから、なるべく機会があったらメールとかしてあげて」
「わかった」

と言う事で、普段はドライな娘たちだけれど、私よりはそこそこ心優しい人間のようでよかった。

2012年3月5日月曜日

もっとびっくりの話

さきほど、娘たちに下記のようなメールを発信いたしました。

キニコとシナコへ

じぃちゃんは去年の暮れだったか今年の始めにエコーで動脈瘤(Aneurysm)がお腹にあるのがわかり、土曜日に詳しい検査をしました。

エコーで見つかったときは3センチ台の大きさだったのが、土曜日の検査では4.7センチ。腎臓の近くにあって、手術で取るには非常に難しい場所であるため、手術で助かる可能性と失敗して死ぬ可能性が50%50%なので、今回は手術をしないで見送る事になったそう。6ヶ月後の9月に再び検査するそうです。動脈瘤は5センチを越えたら、何時破裂してもおかしくないらしく、破裂したら救急車を呼ぶ間もなく死亡するそう。

ということでじぃちゃんはこれからはドキドキしながら生きるそうです。
これまで通りテニスを続けていいですか、とお医者さんに聞いたら「あかん」と言われたら困るので、聞かなかったそうです。
おばあちゃんは「お葬式どうしよう・・・」と真面目に心配して、Hおじちゃんに相談したら、「そんなゲンの悪い事言うな」とたしなめられたとメールに書いて来たので、「備えあれば憂い無しだから考えておいたほうがいいんじゃない、何ならじぃちゃんのお葬式とばぁちゃんの生存葬を合同でやったらどう? グッドアイデアでしょ?」と提案しておきました。

とにかくママは「今死なれてもお金がないので帰れないから死なないように」と言っておきました。
でも「死んでからなんか来ていらん」そうです。「じゃあ今すぐは税金を払わないとあかんから、お金がなくて行けないので、もう少し生きて待っているように」とお願いしておきました。

周りのみんなは(ママを含めて)これまでじぃちゃんが寝たきりになるのを一番恐れていたので、これでじぃちゃんの寝たきりの可能性は限りなくゼロとなり、口には出さねど、内心胸を撫で下ろしているのではないでしょうか。

と言う事で、じぃちゃんが死んだらメールも書けないので、いまのうちにメールとか書いてあげてちょうだい。いい孫を演じていたら、遺産相続のチャンスもあるかもしれません。今のうちに取り入って、遺言に名前を書き入れてもらえるようにアピールしましょう。ライバルの孫はたくさんいるから軽視できませぬ。特にしょっちゅうじぃちゃんやばぁちゃんに会いに行ったり電話したりプレゼントを贈っている従兄弟のTは強敵でっせ。

ということで、ご連絡しておきます。

ママより