ちょっとだけぼやかせてください。
今まで自分の仕事って趣味と実益を兼ねた天職かもって思っていたのです・・・
でも最近になって、違うかもって思い始めてしまいました。
私の性格として、没頭してしまう、好奇心と探究心が旺盛なので疑問を疑問として放置できない・・・そうしていると通訳なんてできなくなってしまうことがしばしばあるのです。
理解できなくても、理屈が合ってなくても、ただ単に通訳のみしているのが通訳の本筋。
だけど、私は理解できなくなると通訳することが困難になるし、理屈に合わないと自分が止まってしまう・・・。
これじゃ、だめなのだとわかっていても・・・。
ちょっとストレスを感じ始めた今日この頃。もしかして、天職じゃなかったのかな。
悩み始めました。
おこがましく聞こえるかもしれませんが、分かる気がします。というのは私は技術系の出身ではなく言語系だったので、最初翻訳通訳として技術系の会社で働き始めました。で、どうしても自分の意見とかが入っちゃうというか理解しないとフラストレーションがたまっちゃうというか。という感じで1年2年すごしたあと、自分でやる方向に気がついたら動いちゃってました。でもって、今は技術職ですっかり翻訳、通訳としての仕事はまったくなくなっちゃいました。こんなことだったら、大学理系にいくんだったと。
返信削除社内通訳のメリットは、そこで発言者を止めて質問できることだよね。私もよくやる。同じ現象で私の通訳が止まるから。だけどフリーランスとなるとそういうわけにいかない。やっぱそれは訓練が必要だね(私には)。
返信削除好奇心、探究心はこの仕事には絶対必要!だからやっぱり天職だと思う。その好奇心・探究心をうまく制御するのが今後の課題、かな?頑張れジョダコママ!(そういう私も同じですけど)
カビゴンさん、私も仕事を通して理系の世界に出会いその面白さに気付きました。学校時代は理科も数学も大嫌いで苦手だったので理系なんて考えた事もなかったですけど。実際問題、職業にするほどの脳みそはないかもしれませんが、もしかして学校の授業がもっと実際的で面白いものだったら違った道を選んでたかなぁ。
返信削除EddyNanakoちゃん、会話の中で出て来る内容で私が理解できないことは、理解できなくても通訳可能な場合はそのまま流して後で質問する事ができるのでいいのですが、今の私の問題は、中途半端に仕事の内容に通じてしまっただけに、通訳とは関係ない疑問質問が会話の途中に自分の中で湧き起こり、それをどうしても確認したくなってしまうことなのです・・・。会話中に誰かがそれを聞いてくれるといいけれど、その事が出ないと・・・「あの、聞きたいんですけど・・・」と一応了承を得て聞いたり、気がついたら「XXは見てみましたか?」みたいに自ら確認してしまってる。昨日も何度かそう言う事をして自分なりに反省。これまで1度もそう言う事をするなと注意はされたことはなかったものの、それでも夕食時にお客さんに「今後気をつけます」と宣言。お客さんも「やはり気をつけたほうがいいよね」と。でもね、結構難しい・・・。黙っていると誰も気づかずに進んでしまうんじゃないかと、しなくていい心配をしてしまう。だからその時はぐっと我慢してあとでお客さんに「XXも確認した方がいいのでは」って言うんでしょうね。勿論そう言う事もしょっちゅうやってるのです。なまじっかの情報があるのって困ります。知らないなら知らない方が気が楽かもって。気がついたら色んな事心配し出してて、あれはどうなってるのか、これはどうなってるのかって、気になるのです・・・。この仕事がどうなっても私は関係ないからひたすら通訳してればいいんだって割り切れればいいんでしょうけど・・・。
昔金山宣夫さんだったか、西山千さんだったかが、アルクだったと思うのですが、同じようなことを書いておられました。通訳をしておられる方が皆さん通過されるステップかと思います。このような悩みを持たれるのは、議論の筋道が当事者よりよく分かることと、言ったことだけでなく意図するところをちゃんと伝えたいという意識を持っておられるからだろうと思います。そのような意識を持っておられるということは、プロとして大事なことではないでしょうか。当事者はコミュニケーションのプロでは有りません。こういうことが見えるということは、JodakoさんがCommunicatorの才能がある証左ではないかと思います。頑張ってください。
返信削除KenHさん
返信削除確かに意図するところを伝えようとは常に心がけていますが、私の場合はそれ以上に通訳を雇ってまで成し遂げようとされている仕事の成功を思うから、ついつい通訳の範疇を越えてしまっているわけなのです。果たして自分はそこの社員ではなく一介の通訳でしかないわけですから、良かれと思ってやっていることが本当に良いのかどうなのか専門知識がない分、裏目に出る事もあるでしょう。単なるでしゃばりなのかも知れません。どこまでやれば喜ばれてどこまでやれば疎んじられるのか、線引きが難しいです。