去年の暮れ、7年ぶりにパリを訪れた。前半はウン10年来の友人ヴァレリーのブルターニュにある家で過ごし、後半はこれまでに蓄積したヒルトンのポイントを使ってパリのホテルに滞在。パリには昔の同僚のユキちゃんが住む。ヴァレリーも、娘のマリアが冬休みの後半はパパと過ごすので、BFのスティーヴが住むパリへ、時を同じくして移動。
12月30日の私のパリ最終日。4人で食事することになったのだが、最後の晩餐はどこが良いかと聞かれ、フランス料理にはすでに食傷気味になっていたので、NCではそれほど見かけないベトナム料理を希望。ベトナムといえば13区。ちょうどユキちゃんが評判を聞いて以前から行ってみたいとチェックしていたPho Taiというお店でヴァレリーたちと待ち合わせ。このお店、とても美味しくて、出る時には外にお客さんが並んでた。この後、バーに行って四人で飲んで(なぜか支払いをしようとしたら、すでに支払いは済んでますと言われた。誰も払ってないのに?これはいまだにミステリー)そこを出たのが10時前。
少し歩いて、ヴァレリーとスティーヴとは地下鉄の駅の方向が違うので別れた。私たちは少し道を間違え、方向転換して自分たちが乗る路線の地下鉄の駅を目指して歩いていた。人通りの多い普通の通りを。すると後ろから誰かが走って来て、いきなり私がたすき掛けにしていたバッグ(いつも持っているブルーのカモフラージュ柄のTumiのバッグ)を引ったくった。
中身がお金だけだったら私もすんなり手放していたのだけれど、バッグにはパスポートとグリーンカードが入っていたものだから、絶対に離すものかと必死で握りしめていたので前のめりに転んだ。それでも最後までカバンにしがみついていたから、バッグを取り上げようと犯人が何度も何度もバッグを強引に引っ張る度に転んだ先にあったコンクリートの花壇だか石段だかに頭や胸をしこたまぶつけた。さすがに若い男の力には勝てず、とうとうバッグは持ち去られてしまった。
犯人の後を叫びながら走ったんだけれど、彼はパーキングガレージ(Sapporoって名前のビルだった)の中に走り込んだ。私も入り口の坂を登るところまでは追いかけたものの、走り去られてしまった。私は泣き叫び、鼻梁が切れてすごく出血して血みどろ。パーキングから出て来た車が止まってくれて、その人が警察に電話してくれ、「警察が救急車を呼んでくれた」と。ユキちゃんにお願いして、ヴァレリーに電話してすぐに現場に来てもらうように頼んだ。救急車が来て、まもなく警察も到着。しばらく質問されたりしてるうちにヴァレリーたちも到着。
なぜその日に限ってパスポートなんか持ち歩いていたかというと、この日はユキちゃんとオランジェリーへ行くつもりで歩いていたら、途中にClaudie Pierlotのお店があり、入ってみるとセールしてたのよね。パリの初日にギャラリーラファイエットのClaudie Pierlotでかわいい洋服をいっぱい見たけれどセールは1月7日からと聞いて残念に思ってたところだった。そこで二人で興奮して色々と試着し、数点を購入。支払い時点で免税できることに気づき、一旦購入品をホテルに持ち帰ったと同時にパスポートを持ってお店に手続きに戻った。パスポートケースのポケットに入れているグリーンカードだけをホテルに残そうかとその時に一瞬迷ったのだけれど、バラバラにしたらわからなくなりそうだったからそのまま持って行った。
救急車の中で救急隊員に名前や年齢、住所などを聞かれたのだけれど、どうしても自分の住所の通りの名前が思い出せない。Rで始まるとだけ思い出せるのに、考えても考えても名前が出てこない。(ようやく思い出したのは1時間後。)その後、現場に駆けつけた警官が救急車の中に乗ってきて、簡単に状況を質問された。その夜は同じようなひったくり事件が15分以内に3件もあったとか。
到着した救急病院は急患だらけ。鎮痛剤を飲まされて血圧を測ったあとは2時間ほど待たされた。ヴァレリーに私のホテルに行って私のパソコンを持って来てもらうようにお願いした。カードをすぐに止めないといけないと思ったから。そこでホテルに電話して事情を話してヴァレリーという人が行くから部屋に入れて欲しいとお願いした。また鍵を変えてとも。バッグの中にはホテルのカードキーも入っていたから。
その夜は急患が多くてお医者さんも大忙し。結局私を診てくれたのはインターンの若い男性だった。彼が色々質問するのをヴァレリーが通訳してくれて私が答える。脚を撫でられて、「これはどうですか?」と聞かれ、「気持ちいいです。」ヴァレリーが、ふざけないのと言う風に私を睨む。頭にすっごく大きなたんこぶがいくつもできてて、脳出血してるんじゃないかと心配してたのに、結局はレントゲンも必要ない打ち身だけとの診断。すごく出血してたから鼻の傷は深いと思ってるのに、小さいからと縫ってももらえず、バンドエイドも貼ってもらえず。。。翌日もまだ出血してたのに。打った頭の箇所はその後数週間痛かったし。
病院を出たのは午前2時過ぎ。警官に言われた通り、最寄りの派出所に届け出に行ったけれど、「今日はもう遅いので明日、どこの警察署でも良いから行ってください」と門前払い。ホテルに戻ったのは4時。それからできる限りの手続き(カードの停止)をして、寝たのは6時前。
1時間ほど寝て、翌日は朝8時半にユキちゃんにホテルに来てもらい、一緒に警察に行った。ホテルのコンシエルジュに聞いたらグラン・パレの横の警察署が一番近いとのこと。行ってみると「今、中に一人いるから、バリケードの外で待て」と言われ、寒空の下待つこと1時間半。そのうちに私たちの後ろに列ができて来たから早く行って良かった。
中に入って調書を作ってくれた警官は英語もできて、非常に親切だった。1時間ほどかけて調書を作成。紛失物の一覧と事件のあらまし。犯人はどんな奴と聞かれ、白人、黒髪、黒い眉に黒い目、服装も黒い服、年齢は25歳くらい(と答えたけど、のちに歩いている人たちを指差してヴァレリーに年齢を訪ねてみた結果、どうやら犯人は17ー8歳だったと思う)。
警察署の後、アメリカ大使館に行ったけれど、グリーンカードの代わりに暫定の入国許可のスタンプをパスポートに押すことができるが、そのためにはまず日本のパスポートが必要とのこと。日本大使館は31日は休館。緊急連絡用の電話番号があったので問い合わせてみると、結局は「4日に大使館が開いてから、戸籍謄本を持ってきてください」とのこと。。。
ユキちゃんのアパートにしばらく居候させてもらうことにして、ホテルに戻ってチェックアウトすることにした。朝、警察署を教えてくれたコンシェルジュのおじさんが「どう?」と聞いてくれたので、思わず「お腹すいた。。。」と答えた。二人で朝から何も食べずに出かけて、すでにお昼前だったからお腹ペコペコだったのだ。すると「待ってて」と言って自らコーヒーとおいしそうなクロワッサンやチョコレートパンなどをトレイに乗せて持って来てくれた。優しいね。
ユキちゃんの家で、NCの空港の駐車場の延長(期間指定の前払いだった)、航空券のキャンセル(フランスからの帰国便と、1月2日に帰省を予定していた日本への往復航空券)、アイフォンの中止などの手続きをしているうちに夕方に。前日は1時間半しか寝てないので、二人で1時間ほど昼寝して、夜7時にはヴァレリーとスティーヴが泊まるアパートホテルへ。大晦日のパーティーの食事を用意してくれていたから。
食事の後は、年明け花火を見にすぐ後ろのモンマルトルの丘へ登った。日本の初詣にも準ずるものすごい人出。待つこと30分。日付が変わり花火の音はするものの姿は見えず。。。打ち上げがエッフェル塔のところって聞いていたのに、どうやらもっと北西の方向らしく、私たちのいた場所では建物の影になって煙しか見えなかった。。。
午前2時過ぎに帰宅してパソコンでメールを開けると、12月31日の午後11時50分ごろに一瞬携帯の電源が入ったようで、Find My iPhoneからメールが来ていた。場所が郊外の安全でない地域。中身を消してしまうとトラッキングできなくなるそうなので、とりあえず消去せず、警察にその場所を教えることにした。
また、ソフィーという人からGmailで「あなたのお財布とパスポートを見つけました」というメールが来ていた。どうして私のメールアドレスがわかったんだろう? ユキちゃんと二人で不審に思ったが、実はその少し前の時間にLinkedInのメールで、同じくソフィーという名前の人物から友達リクエストが来ていた。ユキちゃんはこの二人は同一人物じゃないかと言う。LinkedInのソフィーの方はちゃんと仕事先としてアリアンスフランセーズと記されていた。とりあえず返信。ユキちゃんの携帯に電話をもらうように書いて寝た。
午前4時ごろ、ソフィーさんからユキちゃんへテキストメッセージが入り、自分たちも今帰ったばかりなので、翌日の適当な時間に電話してくださいとのこと。
元旦。ソフィーさんと電話で話した。電話をかけたら最初、ご主人が出て来て、僕はアメリカ人なので、家内と話すよりは英語で話したほうが良いでしょう、と。でもフランス語なまりの英語。やっぱり詐欺?とちょっと構えたけれど、それも疑心暗鬼で、結局はなまりもなくて本物のアメリカ人だった。
その日の3時に13区のカフェで待ち合わせしてバッグを受け取った。なんと彼らのアパートは事件のあったのと同じ通りにあり、番地は5番しか違わない。盗られていたのは、iPhoneと現金40ユーロとHiltonのAmex。(どうしてこのカードだけ?フランスではAmex使えないところが多いから、盗るならVisaにすると思うんだけど。)
ソフィーさんたちは本当に本当にこれ以上親切な人はいないってくらい親切な人で、31日の昼過ぎに叔母さんと家の近くを歩きながら、ゴミ箱に何かを捨てようとしたら、膨らんだバッグが見えたそう。ゴミの中から取り出して中身を見ると、パスポートやお財布があったのでこれは盗難だと思い、その後は家族みんなで知恵を出し合って、なんとか私に連絡しようと尽くしてくれたんだそう。
まずはネット検索して、LinkedInで私を見つけ、友達リクエストを送ってくれた。でも私はそのメールをずっと後になるまで見てなかったので応答なし。次にご主人が、アメリカに住んでいるのだからネットのWhite pageで調べたらどうかと。すると私の住む街に同じ苗字のシナコを見つけ、シナコの名前のFacebookのメッセンジャーにメッセージを送った。しかしこちらも応答なし。(シナコは全く気づいてなかった。後で「あ、ほんとだ、来てた」と。)その次に518と書かれたHiltonのロゴのある紙のケースに入ったホテルの鍵から、パリの2つのHilton Hotelに電話して事情を説明し、518号室にこの名前の人が泊まっているかと聞いても、そんな人は宿泊していないとつっけんどんだったそうだ。今度はレシートの中にHotel Astorと書かれたものを見つけ(チェックインしたときのデポジットのもの)、もしやと思ってネットで電話番号を探して電話すると、「確かに518号に泊まっていたけれど今日チェックアウトした」とのこと。連絡先を尋ねたけれど、なかなか教えてもらえなかったが、事情を説明するうちに、ホテルの人の中に私の引ったくり事件を知ってた人もいたため、ようやくメールアドレスだけを教えてくれたとのこと。それが31日の午後のこと。ところが私はメールに何時間も気づかなくて返事をしなかったため、ソフィーさんたちは日本大使館にも電話してくれたが休館。「これは年明けに日本大使館に行くしかないね」と話していたんですって。
ご主人は以前にマレーシアで頭を斧(マシェット)で叩かれて、身ぐるみ剥がれたことがり(傷を受けたけれど命が助かっただけでもよかったと)、そのときにパスポートが無くなってものすごく苦労したから、絶対に困っているだろうと思ってたって。
パスポートとグリーンカードが戻ったので、まずは帰国の航空券の手配。パリ往復の航空券は格安のものを購入していたから書い直すしかないだろうと半ば諦めながらも、31日に駄目元で電話してみると、予想に反してTravelocityはめちゃくちゃ親切で、TravelocityからAir Franceに話をしてくれて、「アメリカに戻れる状況になったらAir Franceに電話すれば、現在の残存価値($300ほど)を当日の価格から差し引いて残額だけ払えばいい」と話をつけてくれた。そこで言われていた通りにAir Franceに電話したら、こちらも親切に等価交換で良いと、すなわち全く追加料金なしで帰れるようになった。ちなみに日本への航空券のAir Canadaをキャンセルしたときも、取消/変更不可の割引航空券だったのだが、事情に鑑みて特別に200ドルのペナルティーだけで残額は返金してくれた。
その後、ユキちゃんの家の近くの警察署に行き、バッグと中身の一部が戻って来たことを伝えに言った。その際にiPhoneが使われた場所の地図を印刷して持って行った。私一人で行ったのだが、ここの警察署では英語をちゃんと話せる人はいなくて、結局私の拙いフランス語で調書を書き換えてもらった。結構通じて嬉しかったけど。「サカマ」も戻ったのか?と聞かれ、サカマ?サカマ。。。ヒカマはメキシコの野菜だし。。。あ、Sac a mainか!ってな具合でしたが。地図の方は「どうせ次の瞬間別のところに移動してるでしょ」と、見ても受け取ってもくれなかった。
ということで次にFind My iPhoneの電源が入った時にデータ消去される作業を行い(データ消去するとトラッキングはできなくなる)、その後に電源を入れた際に必ず表示されるメッセージとして、「盗難品につき警察に知らせてください。調書番号XXXX」を設定。(この日の夜に電源が入りデータ消去中との最後のメッセージがiPhoneから届いた。)
当日の警察官が言っていたのは、中国人観光客は現金をいっぱい持っているから狙われやすいとのこと。13区のベトナム地区を歩いていれば、東洋人はみんな中国人に見えるよね。ユキちゃんは165センチくらいの長身なのに、私はチビ。犯人は弱そうな人を狙うと。加えて私は本当に無警戒だった。ユキちゃんはバッグを体の前にして手で軽く押さえている。それがいつも自然にできているけれど、私の方はバッグを体のやや後ろ側の右横にして完全に無防備だった。やっぱボーとしてたらあかんね。
1月半ばに日本に帰国した際に脳神経科でMRIをしてもらったが、脳に何ら異常は認められませんでした。(本当はこの時の後遺症より、このところますますひどくなった物忘れから認知症の方が心配だったのですが。。。)
1ヶ月後にパリの病院から請求書が届いた。救急車に乗ったのと救急診療を受けたのでどれだけの費用請求があるのかとずっと心配だった。請求額はたったの70ユーロ! これがアメリカだったら軽く20倍はしてただろうと思うと、事件に遭ったのがパリでよかった〜! やっぱり社会民主主義の国はいいねぇ。
1ヶ月後にパリの病院から請求書が届いた。救急車に乗ったのと救急診療を受けたのでどれだけの費用請求があるのかとずっと心配だった。請求額はたったの70ユーロ! これがアメリカだったら軽く20倍はしてただろうと思うと、事件に遭ったのがパリでよかった〜! やっぱり社会民主主義の国はいいねぇ。
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