最後の書き込みから5年余り。たかが5年、されど5年と言うのか、はたまた10年ひと昔と言うけれど5年なんて本当にあっという間。それでもそれなりの変化はありました。全てを一度には書けませんが、今日のところはその間の主な出来事を列挙し、あとは特記すべきことを思いついたときに書き加えるようにしましょう。
2014年の5月にシナコは大学を卒業。その後1年間は就職もせず人生を楽しみたい!と言い放ち、大学のあった街でバイトをしながらそのまま住むのだ!と宣言。直後にマンハッタンでのインターンシップが決まったルームメイトのリアを車でニューヨークまで送って行った。戻って来て「やっぱり私はニューヨークに住むことにした」とのたまう。「どこに住むのも構わないけど、まずは仕事を見つけて、それから引っ越したら。お金もないのにどうすんの」と私。「いや、もうアパート見つけて手付金を払ってきたの。仕事は行ってから探す。」
ミレニアム星人だかなんだか知んないけど、本当に考えることもすることもこちらの理解の範囲を超えている。ま、しかし、思いっきり何かに頭をぶつけない限りにでもわかんないんだろうし、やってみれば、と私。
ところがラッキーというのか、すぐさまインターンシップの先が見つかり、1年経つ前に正社員として採用され、高給でもなく忙しいにしろ(残業がつかないんだからブラック企業というべきか)、本人はここでの仕事をひどく気に入って楽しんでいるので良かったのでしょう。
2015年の11月〜2018年12月までは、それまでの完全なるフリーの仕事から長期契約にて地元企業での仕事。渋滞を避け通勤時間を減らすために会社により近いところへその年の12月に引越し。
2016年6月にはステータスがこれまでの「既婚」から「独身」へ。元夫のことを長らく顧みず好き勝手な人生を歩んできた故に、気が付いたら三行半。。。
2016年の秋にはそれまでハワイにいたキニコは「大学院に行く!」と1年半の修士過程にカナダに戻る。2018年の春には無事に卒業し、独身生活を謳歌していた私の元に転がり込む。どこでもいいから、まずは仕事を探せ!という私の言葉は馬耳東風。「やっぱり私はハワイに住みたいの!」の一点ばりで、しばらく日本に遊びに行ったあと、我が家でネットで求職をしていたものの、「やはり現地に行かねば仕事は見つからない」と、これまたあてもなくハワイへ。こちらも9月頃は無事に希望の仕事がみつかり、これでようやく私も、心配しなくちゃいけないのは自分の老後のみとなりました。(これが一番心配ですやん!)
ということで今年からは元のフリーの生活に戻ったわけでありますが、年末はパリへ遊びに行き(この時のハプニングは次回)、その後日本で1ヶ月あまりを過ごし、戻って1週間後にサウスカロライナへ4ヶ月出稼ぎ。
今、ようやく久方ぶりに自宅でのんびりしているところ。
家を空けていると随所からの「督促状」郵便にもすぐさま対応できず、またその問い合わせや手続きにも自由に電話することできず、今日はようやく各お役所や関連のところに電話をかけ、手紙を書き。。。気にかかっていた様々な案件がひと段落してすっきり。
しかし思うに、電話での問い合わせに対するお役所の人たちの応対の良いことよ!本当に親切で手取り足取り説明してくれることについては驚きを隠せませぬ。通常の民間会社に問い合わせの電話をすると、往々にして不親切で、挙げ句の果てには話している最中に切られてしまうようなこともあるのですが、今日は3度も別々のお役所に電話したのですが、本当に親切でありました。(税金を払ってないと言われて、その問い合わせだったのですが。)
2014年の初めにジョダが死んでから、散歩に行かなくなって太り続けているので、新たに犬を飼いたいとずっと思いながらも、出稼ぎのある一人暮らしでは留守中はどこかに預けることになり、同じようにかわいそうな目にあわせるので、思いとどまっております。
数年も放置して、果たして再びブログを読んでくださる方がいるのかどうかはわかりませんが、記憶力がどんどん怪しくなっていく中で自分の記録としても役立ってくれるので、またぼちぼち書き綴ることにしたいと思います。
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