ラベル 家族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 家族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年3月19日月曜日

シナコの話

2週間ほど前、出張先にシナコから電話があった。
「今週末からの春休みに車を借りたいんだけど。」
「どこ行くの?」
「友達とWillmingtonへ1週間いくの」
「何人で?」
「6人」
「オデッセイでシナコが全員連れてくって言うの?」
「違う、シビック。友達がもう1台出すけれど、全員乗れないから」
「事故でもしたらどうする・・・」
「いえ、絶対に事故しません! お願い」
「事故なんてしませんとか約束はできないんだよ・・・うーん。Willmingtonまではどれくらいかかるの?」
「2時間半。私しか運転しないから。」

半年前に免許を取ったばかりで、普段は大学の寮だからほとんど運転していない。いきなりの遠出は心配だったけれど、心配だからダメダメと言っていたらいつまでたっても上達しないし・・・。

「わかった、いいよ。ただし出発時と到着時は必ず連絡を入れること」
「わーい!ありがと!」

その日、午後8時半ごろシナコから電話があったようだ。見れば6時半ごろに『今から出発します』のテキストメッセージも入っていた。わたしの携帯は呼び出し音を昼間から切りっぱなしで忘れており、気づいたのはお風呂から上がった10時頃。シナコに電話をかけた。

電話に出るなり、
「ママ、絶対に怒らないって言って!怒らないって約束して!」
「どうしたん?」
「あのね・・・」

ということで、しっかり事故ってはりました。
私が電話したときは、既に警察も呼んだあと。幸いたいした事故ではなかったので運転を再開して目的地まであと30分ほどという時だった。保険会社にはまだ電話していないというので、到着したらとにかくすぐに保険会社に電話するようにとだけ告げた。

シナコの説明では、右側車線を走っていたシナコの車に左の車線の車がじりじり寄ってきたので、怖いから右の路肩にまでよけたが、さらに寄ってくるので、スピードを上げてその車の前に出ようとしたところ、シナコの車の左後ろに相手の車がぶつかったとのこと。

これがベテランの運転手だったら右によけないで、ブレーキを踏んでその車をやり過ごすか、クラクションを鳴らすかするところだけれど。

相手はおそらく居眠り運転だったんじゃないかとシナコたちは警察に主張したそうだけれど、警察はどちらに非があるとも判断せず、切符も切らず、あとは当人たちでということで事故レポートを書いたそう。(シナコにはもう少し自己主張してほしかった・・・。)

保険会社の修理見積もり額は800ドル余り。
つい昨日、ようやく相手の保険会社との折衝が終結し、シナコの落ち度10%、相手の落ち度90%と決着したそうだけれど、「ノースカロライナ州の法律により、1%でも自己責任がある場合は、相手の保険は使えず自分の車は自分の保険で修理する」のだそう。なんだかめちゃくちゃ理不尽な気がしますね。

ということで、免責額の500ドルがシナコの出世払いと相成りなりました。

誰にも怪我はなかったし、シナコには事故時の処理など経験値が上がってよかったのでは。

けど、車を修理に持って行くのは私だし、めんどくさいな。写真ではほとんど分からないですが、バンパーがこすれ、一部ペンキが剥がれて、ウィンカーのプラスチックが割れてます。この程度で良かった。

2012年3月7日水曜日

もっとびっくりの話(2)

このブログを母がときどき見ているのは知っているのですが、先日の娘たちに書いたメールを掲載してからは何も言って来ないので、「父親の一大事なのに、ふざけたブログを書いて」と怒っているのかと心配し、先ほど実家に電話してみました。

電話に出たのは当の父親。

「調子はどう?」
「おー、元気やで」
「爆弾抱えてドキドキしてるの?」
「ドキドキなんかしてへん。そんなん考えても仕方ないやろ」
「テニスはしてるん?」
「あー、しとるで。昨日も行って来た」
「怖くないん?」
「怖がっとってもしゃあないやろ。それに適度な運動はええらしい」
「ママは? ママは落ち込んでないん?」
「落ち込んどるんかもしれんけど、今日もワシを放って朗読に出掛けて行ったし、栄養ドリンクのひとつも買ってくれるわけやなし」
「あはは・・」
「お前だけやで、電話して来てくれるんわ。RもYも何も言って来うへん」
「そうなん?」
「そうやで」
「そうなんか。そやけど何時死ぬかわからんってなったら、やっぱり、だんだん整理とか始めてるん?」
「せぇへん、そんなもん。今までと一緒じゃ。何もせぇへん」
「えー、遺言とか書かへんの?」
「書いたかて、譲るもんがあらへんがな」
「え、家があるやん」
「家はかぁちゃんの物やし、Hもおるがな」
「じゃあ、マンションがあるやん。あれジョダコに譲るって遺言に書いてよ」
「あほか、あれもかぁちゃんのもんや」
「ママが死ぬまではママの物でいいからさ、ママが死んでからでいいから」
「そんなん知らんがな。それやったら、かぁちゃんに言うておけ」
「わかった、ママに言うわ。それよりママがお葬式のこと心配してたから、めっちゃいいアイデア思いついてんけど」
「何や?」
「あのね、この際、パパとママの合同生存葬をするねん。そしたらみんな予定を組んで参加できるし、二人とも死んでからも思い残すところないでしょ?」
「ほんなら、お前が帰って来てやってくれ」
「ちゃんと予定組んだら、みんな集まれるやん。ええでしょ?」
「ええけど、死ぬことに関してはどうでもええわ。好きなようにやってくれ」
「で、今日は何するん?」
「おぉ、今日はうちに碁を習いに生徒が来る日や」
「生徒って、若い女性でしょ?」
「若いもんか」
「70代の若い女性って聞いてるで」
「そうや、70のおばんばっかりや。覚えが悪ぅて、ほんま、なんぼ教えてもいっこも覚えよらんから、腹立って血圧ばっかり上がるわ」
「ええやん、女性に囲まれて、楽しいやん。ほな頑張って」
「おぉ、お前も頑張れよ」

ということで電話を切りました。

電話を切ってしばらくしてシナコから電話。

「ママ、大丈夫?」
「何が?」
「だって、自分のお父さんが死ぬかもしれないって・・・」
「普通はそうなんかなぁ。自分が死ぬかもしれないって言われたら、めっちゃ怖いかもしれんけど、自分やないからなぁ。ママは冷たいんやろうか? シナコはママが死ぬって知ったら、落ち込む?」
「・・・落ち込むんじゃないかなぁ・・・」
「そんなもんかな・・・」

キニコからも、あのメールを送ってすぐに電話があり、ちょっと涙声。
「おじいちゃんのこと読んだよ・・・」
「しかたないよね。だから、なるべく機会があったらメールとかしてあげて」
「わかった」

と言う事で、普段はドライな娘たちだけれど、私よりはそこそこ心優しい人間のようでよかった。

2012年3月5日月曜日

もっとびっくりの話

さきほど、娘たちに下記のようなメールを発信いたしました。

キニコとシナコへ

じぃちゃんは去年の暮れだったか今年の始めにエコーで動脈瘤(Aneurysm)がお腹にあるのがわかり、土曜日に詳しい検査をしました。

エコーで見つかったときは3センチ台の大きさだったのが、土曜日の検査では4.7センチ。腎臓の近くにあって、手術で取るには非常に難しい場所であるため、手術で助かる可能性と失敗して死ぬ可能性が50%50%なので、今回は手術をしないで見送る事になったそう。6ヶ月後の9月に再び検査するそうです。動脈瘤は5センチを越えたら、何時破裂してもおかしくないらしく、破裂したら救急車を呼ぶ間もなく死亡するそう。

ということでじぃちゃんはこれからはドキドキしながら生きるそうです。
これまで通りテニスを続けていいですか、とお医者さんに聞いたら「あかん」と言われたら困るので、聞かなかったそうです。
おばあちゃんは「お葬式どうしよう・・・」と真面目に心配して、Hおじちゃんに相談したら、「そんなゲンの悪い事言うな」とたしなめられたとメールに書いて来たので、「備えあれば憂い無しだから考えておいたほうがいいんじゃない、何ならじぃちゃんのお葬式とばぁちゃんの生存葬を合同でやったらどう? グッドアイデアでしょ?」と提案しておきました。

とにかくママは「今死なれてもお金がないので帰れないから死なないように」と言っておきました。
でも「死んでからなんか来ていらん」そうです。「じゃあ今すぐは税金を払わないとあかんから、お金がなくて行けないので、もう少し生きて待っているように」とお願いしておきました。

周りのみんなは(ママを含めて)これまでじぃちゃんが寝たきりになるのを一番恐れていたので、これでじぃちゃんの寝たきりの可能性は限りなくゼロとなり、口には出さねど、内心胸を撫で下ろしているのではないでしょうか。

と言う事で、じぃちゃんが死んだらメールも書けないので、いまのうちにメールとか書いてあげてちょうだい。いい孫を演じていたら、遺産相続のチャンスもあるかもしれません。今のうちに取り入って、遺言に名前を書き入れてもらえるようにアピールしましょう。ライバルの孫はたくさんいるから軽視できませぬ。特にしょっちゅうじぃちゃんやばぁちゃんに会いに行ったり電話したりプレゼントを贈っている従兄弟のTは強敵でっせ。

ということで、ご連絡しておきます。

ママより

2012年2月21日火曜日

ちょっとびっくりのお知らせ

と言うタイトルの知らせが昨日コイオから届きました。

内容を見ますと、今年の4月1日付けで東京本社へ帰任との内示が出たとのこと。

フランス駐在がどのくらいになるのか見当はつかなかったものの、早くて2年、長くて4年と想定していただけに1年での帰国は全くの予想外でした。

この冬に娘たちがフランスに遊びに行きたいと言った時に、「冬は寒いからまたの機会にしたら」と代わりに日本に帰省させたのですが、今となってはフランス行きの機会を奪ってしまったのかな。

コイオの方も「誰かが遊びに来た時のために」と、2ベッドルームがあるアパートをわざわざ選んだのに、その余分な部屋を一度も利用することなく駐在が終わってしまったというのはちょっと残念な気はします。

でも帰国後の仕事場は本人が望むところでもあり、施設に入居している母親を頻繁に見舞ってあげられると言う点からもコイオ自身は喜んでいるので、私もそれが良かったと思っています。

(ちぇっ・・・今年もゴールデンウィークあたりにまたヨーロッパに遊びに行こうと思ってたのにさ・・・)

2011年12月31日土曜日

オクラホマ

アメリカの母と叔母が同居する家に滞在中。
老人ふたりの生活なので、毎日めっちゃゆっくりモード(笑)。

ソファーでめいめいが膝にパソコン載せて、それを読んだりキーボードたたきながら、時々横に置いた携帯をチェックして、テキストメッセージ書きながら、テレビを見ている・・・・。
(我が家での様子と大差ないです。)

夜は映画をみたりフットボールの試合を見たりという具合であります。

お母さんと娘のベッツィーは絶縁状況。従妹のホープの家に泊まっていますが、会いにも来ないし、勿論電話で話もしないけれど、息子のオースティンは一昨日から今日まではここに泊まっていました。今夜はホープの家に移って行きました。

もしかしたらベッツィーに会えないのかなと思ってたら、昨日はオースティンを連れてお母さんは田舎の土地をチェックに出掛けたので、私は叔母さんと2人でホープの家へ。叔母さんはすぐに帰りましたが私はそのまま昨夜はホープの家に泊まりました。

夜は女3人で出掛けて、なかなか盛り上がって楽しかったです。
今朝、お母さんの家に戻って来ました。

今日はお母さんと叔母さんとランチに出掛け、帰りに郵便局に寄ったのですが、その後の2人の会話が傑作。

お母さんは郵便局で大きな封筒を買い、車で待っていた叔母さんに封筒を渡しながら、
「ほら、昔、HardでLong(硬くて長い)のを買ったでしょ、なかったのよ」
「は? HeartとLungの(心臓と肺)のやつって?」
「封筒よ、封筒」
「は? 心臓と肺の封筒って?」

なんか漫才聞いているみたいでした。

そう言えば、オースティンとお母さんと私の3人でIHOPと言うファミレスに行ったときの事。
お母さんはクレープを食べたいとメニューを見ながら、
「このクレープとこっちのクレープではどう違うのかしら?」と、ウェイトレスを呼び止めて聞きました。
「こちらのメニューはクレープは2枚、こちらの方はクレープが4枚入っています。」

それぞれ注文したものを食べていると、
「ねぇ、これ確かクレープが4枚って言ってたわよね。2枚しかないんだけど・・・」

私は向い側に座っていたので、お母さんがメニューのどれを指差して聞いていたのかは知りませんでした。

「だって、それはおばあちゃんが尋ねなかったメニューだよ」
「へっ? そんなことないわ。これは4枚って言ってたやつでしょ?」
「違うよ。クレープのメニューは3つあって、聞いたのは2つだけで、おばあちゃんは聞かなかったのを注文したんだよ。何で聞かないのを注文するのかって思ってたもん。」
「え、そんなことはないわ、これを注文したのよ」
とメニューを見直すお母さん。
「ちがうよ、こっちを注文したんだよ・・・」
笑えます

2011年12月25日日曜日

クリスマス

今年は家族の写真もないし、面倒だし、もうクリスマスカード兼年賀状は出さず、電子カードだけを身近な人に出して、それでおしまいにするつもりだったのですが、イヴの朝にやっぱりカードを作ろうと思い立ちました。

初めて使うソフトだったし(MacBookに付いて来たやつ)、日本語版と英語版を作り、住所録を整理して・・・と結局ほぼ一日かかりの作業になったけれど、時間をかけて出した甲斐がありました。今日は朝から色んな人からメールで返信があり、こうして友人知人から便りがあって近況を知ることが出来るのがクリスマスカード/年賀状の醍醐味ですよね。

さて、いよいよ明日から娘たちは帰国。私はあさってオクラホマに出発ですが・・・食事制限して体重管理するはずのジョダは、娘たちがたくさんおやつをやって、逆にどんどん体重が増えております。

ペットショップに機内持ち込みペット用のキャリーバッグを買いに行きましたが、想定していたミディアムサイズのバッグにはジョダは収まりきらない事が判明。ラージサイズを買ったのですが、ラージの重さは4.6ポンドほど。バッグとジョダを合わせると、到底制限の20ポンドは軽く越えている・・・。

それにバッグに入れる犬の条件として、「バッグの中で立ち上がれる」ことなのですが、ジョダは体の割には背が高いのであります。ジャックラッセルと同じ胴体だけれど、短足のジャックラッセルとは違って、ラットテリアは足が長いのであります。だからラージサイズのバッグでもジョダは立ち上がる事はできないのですよねー。


てなわけで、もしかしたら明後日は空港で追い返されるかも・・・。

ま、そうなったらそうなったでいいかと思わせる要素がふたつほど。

その1。何故か電子レンジが今日から壊れている。壊れているというより、電源が全然入らない。ブレーカーが飛んでいるわけでもない。我が家の電子レンジはコンロの真上に備え付けてあるタイプのやつ。昨日の夜、二階の屋根裏でずっとごそごそって音がしてたのですよね。もしかしてリスかネズミが屋根裏にいて、配線を噛んだんじゃないか・・・と想像してるのだけれど。修理を呼ぶにも、明後日から不在だと、それもできない・・・。

その2。オクラホマ行きは何時のときも楽しみだったのですが、今回ばかりはそうは行きそうもありません。というのもベッツィーの離婚に加え、お母さんとベッツィーの折り合いが悪く、お母さんは精神的にかなり参っている。当のベッツィーも参っているのだけど。オクラホマに来ているはずのベッツィーも、お母さんには全く連絡を入れないらしく・・・。私もベッツィーに会いたかったけれど、彼女はきっと私がお母さんの側についていると思うだろうから、もしかしたら会えないかも。

私のアメリカの家族に関しては、一昔前までは仲良しだったのに、何時の頃からか色んな事で確執が出来始めて・・・。ひとつにはお金が絡んでいるのです。お母さんがもらっている娘たちの父親の遺族年金。娘たちは自分たちに権利があると言っているらしい。本当のところは私もわからないけれど、でもやっぱりお金はお母さんのものかなと。けれど娘たちは、再婚/再々婚をしたお母さんには、お父さんのお金をもらう権利などないと主張してるみたい。

姉のスーザーンには躁鬱病もあるし、妹のベッツィーのほうは今年の始めに卵巣と子宮の摘出手術を受けてホルモンバランスの崩れもあって余計に精神不安定なのだと思うし、彼女の息子のオースティンは同性愛者だってことを同じく今年の始めにカムアウトし。両親ともなんとかそれは受け入れられているようだけれど、とても優秀な大学に行っていたのにドロップアウトし、一旦は自宅に戻ったものの、父親のアンドリューは大学を辞めた事にすごく腹を立てていたので喧嘩ばかりとなり、結局オースティンはボーイフレンドのいる東海岸へ引越してしまいました・・・。

とにかく色んな事がいっぺんに起こって大変そう。だから今回は私は楽しみに行くと言うよりは、お母さんの話を聞きに行くって感じです。

ほんと、長い人生いろいろあらーな、ってのが今の正直な気持ちっす。

2011年12月20日火曜日

冬休み(2)

ジョダを連れてオクラホマへと計画したものの、1250マイルの21時間余りを思うと、ぞっとして本当にそんなことが可能だろうかとしばしば不安になるのでありました。

これまでに900マイル余りは1日で走行した事はありましたが、あれは少なくとも今までよりは若かりし日。加えて乗客はなく私一人での走行。

対して今度はジョダという乗客があり、しばしばトイレ休憩は要するわ、運転中にうるさいかもしれないから気は散るわ・・・。いろいろと不安要素があるのであります。また往復するにしても、最長で現地でゆっくりできるのは中6日。

考えれば考えるほど無謀に思え、オクラホマ行きを取りやめるかと思いきや、一人でダーラムで過ごすのもあまりに寂しいし、アメリカのお母さんも楽しみにしているし。加えて、実は妹のBetsyがどうやら離婚と言う話になっていて・・・仲いい夫婦だっただけに私自身も非常に残念に思っているのだけれど、その辺の事情も聞いてみたいし・・・そんなこんなで、オクラホマ行きを簡単にはあきらめられない気分でもあったのです。

そもそもジョダは飛行機に機内持ち込みはできないと、以前調査したときの記憶ベースで決めつけていたのですが、念のため再度調べてみる事にしました。

すると機内持ち込みのペットの体重は、キャリー用のバッグの重量も含めて20ポンドが限度と言う事がわかりました。

機内持ち込みが認定されているキャリーバッグで一番軽いものを調べたら、3.6ポンドのものが見つかりました。

そこで、すぐさまジョダの体重を計ってみたら・・・最近は長期でペットホテルに預けられていたのが効を奏してか、体重が減って16.3ポンド。合わせて19.9ポンド!! これなら機内持ち込みが出来るではありませんか! (調査したころはもっと太っていたのかもしれません。)

但し、機内に持ち込めるペットの総数に限りがあるので、先もってエアラインにペット持ち込みの予約をしておかなければ必ずしも持ち込める保証はありません。オクラホマに行くにはダーラムからは乗り換え便となり、これでは長時間になってジョダが可哀想。テキサスのダラスまでなら直行便があるので、ダラスまで迎えに来てもらうことで話は決まりました。(オクラホマシティーからダラスまでは車で3時間余り。)

ダーラムからダラスまでの直行便があるアメリカン航空に電話をしました。一番安いチケットでも650ドルは下らなかったのです(高過ぎて二の足を踏みました)が、持ち合わせたマイル数でチケットはカバーする事はできました。

機内持ち込みのペットの料金は片道125ドル。結局、支払いはジョダの往復料金の250ドルで済みました。

流石に1250マイルの道のりは、まさに「老体に鞭」、もしくは「年寄りの冷や水」に近い状態だったので、飛行機で行ける事になってほっとしています。

今日から出発日までは、試合前のボクサーのごとく、ジョダ君には徹底的な食事制限が課せられそうです。

2011年12月7日水曜日

冬休み

サンクスギビングが終わったと思った途端、街はクリスマス一色になっています。
実際あと10日足らずでシナコは冬休みに突入して帰宅しますし、キニコも22日に帰宅予定。

今年の冬休み、2人の娘は26日から日本へ帰省し1月6日まで滞在。
コイオもパリから日本へ帰省し2日まで滞在。
ただ一人私だけがアメリカにジョダと居残りです。

居残りの理由は、
(1)ジョダを預けまくっているので、自分が日本で楽しむためにまで預けるのはかわいそう。
(2)日本円の銀行残高が少な過ぎて、日本で弾けることができない。

正直なところ、(1)よりは(2)の方が大きな要因か(笑)。

てなわけで、私一人が寂しくアメリカで年末年始を過ごす訳ですが、それじゃぁあまりに悲しすぎる。

そんなことをぼやいていたら、アメリカのお母さんから、「じゃぁ、是非オクラホマに遊びに来なさい」とのお誘い。

確かにオクラホマにはもう7年ほど行っていないし、一人でノースカロライナでお正月を過ごすのもつまらないし、妹のベッツィーもアリゾナから来るというし。

ジョダ連れで行ってもいいのならと言う条件で聞いてみたら、
「サンルームからは裏庭に出られる犬用の出入り口もあるし、裏庭にはフェンスもあるから、大丈夫よ!」と言う回答。
と言う事で、「じゃあ、行くわ」と返答したものの・・・。

今日、その距離をGoogle Mapで調べてみたら・・・。
走行距離 1250マイル(=2000キロ)
走行時間 21時間弱
と、出たではありませんか・・・。

う〜ん。
行くって言ったんだけど・・・。
ちょ、ちょっと、二の足を踏みそうになっております・・・。

2011年11月28日月曜日

はじめてのおつかい

自慢じゃありませんが、シナコは普段殆どお手伝いをしません。
私の方も、シナコにお手伝いさせようと思うと、手取り足取り説明しなくちゃいけなくて、それが面倒なので、ついつい自分でやってしまうからいけないんですけど。

サンクスギビングの4連休を終えて、昨夜大学の寮に戻ったシナコですが、休み中も、「サラダ作って」と頼んだら、珍しくやる気になってくれたものの、いきなり丸ごとレタスを洗おうとするから、
「食べる分だけでいいよ」と言うと、
「どのくらい? これくらい? もっと?」
と質問が続く。

「適当。自分が食べる分とママの分だけだから」
「じゃあ、どのくらい?」

やっとレタスを洗い終わったので、
「じゃあ、一口サイズにちぎって」と言うと、
「どのくらい?」
「どのくらいって、いつもサラダにあるように、ひとくちで食べられるサイズ!」

・・・その後、お皿に載っていたレタスのサイズは三口サイズくらいありました・・・。
(やらせないから、できない訳で、やっぱり手伝わせるのが面倒でもさせないとダメなんですよね・・・。)

はじめてのおつかいって番組がありましたが、あれは確か幼稚園くらいの子供。
こちらは大学2年生。

シナコはサンクスギビング(木曜)の前日水曜日の午前10時に退寮しなければならなかったのですが(休み中は寮が閉まる)、同じく水曜に出稼ぎ先から帰宅するはずだった私の予定が仕事の都合で急遽1日延長になり、迎えに行けなくなったので、タクシーで一足先に帰って来ました。

サンクスギビングの当日はスーパーもお休みです。しばらく家を空けていたので冷蔵庫はすっからかん。そこで帰宅したシナコに水曜日中にお買い物を頼みました。これがキニコだったら「適当に」で済むのですが、シナコの場合はそうは行きませんので、買い物リストをテキストメッセージで送りました。

夜になって「お買い物に行った?」と尋ねると、
「まだ。」
「えー。遅くなると危ないから、早く行きなさいって言ってたでしょ!」
「わかった、もうちょっとしたら行く」

免許を取ってさほど運転しているわけではないですし、数ヶ月ぶりに運転するわけですから、何かがあった場合を考えて「明るいうちに行きなさい」と言っていたのに。

それからしばらくして電話がありました。

「今、スーパーなんだけど、English Cucumber(イギリスきゅうり)ってどれ?」
「書いて送ったでしょ。長いキュウリで、アメリカのゴロゴロした太い奴じゃなやつ。多分ビニールで包んである。」

アメリカのキュウリは種が大きくてあんまりおいしくないのです。English Cucumberはどでかいですが、味は日本のキュウリに似ています。

「わかった、あった。多分これだ」

更に質問は続きます。

「キャベツってChinese Cabbage?」

私は荷造り真っ最中でシナコの電話がうざったかったのと、Chinese Cabbageは白菜だけれど、まさかそれをキャベツと見間違えるはずはないし、柔らかいキャベツで葉っぱが縮れているやつ(名前を知らない)の事を言っているのかなと思い、そうだよと生返事をしました。

しばらくすると再び電話が鳴り、
「ミンチって、70%リーンと80%リーンとあるけど・・・どっち?」(脂肪分が30%か20%かと言う意味)
「80%でいいよ」
「わかった」

更にしばらくして電話があり、
「ヨーグルトってどんなのがいいの?」
「・・・どんなのでもいいよ。シナコが食べたいの」
「え、じゃあ、XXXってのでもいい?」
「・・・じゃ、ママはアクティヴィアにしておいて・・・」
「わかった、どのフレーバー?」
「・・・もう、何でもいいよー。もう、じゃ、ブルーベリー」

それから更に時間が経って再び電話。

「・・・あの、車のバッテリーが上がっちゃったみたいなんだけど・・・」
「ヘッドライトつけっぱなしだったの?」
「うん・・・」
「長い事買い物してるから・・・。仕方がない、ジャンプスタートしてもらわないとダメだから、保険会社に電話して。グローブボックスに保険の紙が入ってるから」
「・・・紙? どの紙? そんなのないよ・・・」
「あるから! XXって会社の名前が書いてある小さい紙!」
「・・・・あった!」
「じゃ、そこに電話して、あとは自分でやってね」

しばらくして無事に家に帰ったとの電話。
マイナーなことで、保険会社への連絡方法も学習できて良かったってことですね。
65ドル取られましたが、保険で50ドル戻ります。差額の15ドルはシナコの授業料ってことで、出してもらいました。

さて、私が帰宅したのはサンクスギビング。
世間ではターキーを家族や親戚、友人たちと囲んでお祝いする日。
けれどノースカロライナに親戚はおろか友人もいない私たち。
外食してターキーを食べる事もできましたが、シナコは乗り気でないし、私もずっと外食続きでお家で普通のご飯が食べたい。
ターキーなんて料理した事ないし、する気もないし、したって残り物を延々食べ続けるのも嫌だし。
てなわけで、その日の晩ご飯のメインはサンクスギビングとは縁もゆかりもない手作りコロッケでありました。

さて料理をしようと冷蔵庫を開けると・・・野菜室には白菜がごろんと転がっておりました・・・。
そして、キュウリも見当たりません。

「これ、白菜じゃない!」
「だって、Chinese Cabbageでいいって言ったじゃない」
記憶と辿ると確かにそう言ったけれど・・・キャベツと白菜の見分けもつかんか?

「きゅうりは?」
「あ・・・忘れた」

2011年10月7日金曜日

ナンギ、汚名返上?

最近、ナンギネタがあまりないのですが、実はシナコさん、今はとっても「良い子」さんになっているですよ。

私自身、180度の変化に驚いております、一体どうなっちゃったんだろうと。とうとう長〜い長〜い反抗期が終わったのでしょうか。

この夏、シナコは7月に2週間、オクラホマの私のアメリカの母の家に里子に出し、そこから戻ってすぐに、今度は日本の両親の元へ3週間ほど里子に出しました。この里子の旅から帰ってからは、本当にずぅーっといい子なんです。

日本から帰って2日ほどで大学へ戻って行ったのですが、その後も必要最低限ではありますが、ちゃんと重要な事は連絡して来ますし、用事があるときは「お願いします」、私が頼まれた事をすると「ありがとうございます」と言って来るんです。こっちの方が戸惑うくらい。

この前も電話で、「自分のお小遣いで友達に週に1回25ドル払ってピアノ習ってる」と言ってました。以前だったら、「お金出してっ!」って言って来ていたに違いないのに。

しかも大学での勉強も頑張っているらしいのです。

先日、シナコの大学から書簡が届いていたのですが、ドキッとしました。学校からのお手紙は、お金の請求か、さもなくば素行に関するものが多いですからね・・・。

キニコが全寮制の高校にいた頃、時々学校から書簡が届き、たいていは「キニコは、XXの授業をさぼったため、XX時間の自習および○○の掃除を2週間することを言い渡されました」とか、「3度目のXXなので、○○に処します」とか・・・。

流石に大学だからなぁ・・・とは思いつつ、もっと重大な過ちだったりしたらと、おそるおそる中身を改めますと、
「これまでの成績を元に委員会で検討した結果、シナコは本大学のオナーズ(成績優秀者)プログラムへの加入が認められましたのでご連絡致します」と言う内容。

びっくりして、すぐにシナコに電話。
「もしもし、オナーズに入ったって手紙が来たよ!」
「うん、知ってる。手紙出すって言ってたから」
「あ、そうなの、知ってたんだ。じゃ別に手紙要らない?」
「うん、要らない」
「そう。けど、プログラムに関しての質問は、ここへ連絡してくださいって担当者の名前とメールアドレスが書いてあるけど・・・」
「じゃあ、その手紙スキャンして送ってくれる?」
「わかった、じゃ、スキャンして送るね。じゃね、バイバイ」
「バイバイ」

電話を切って気がついた。
せっかく頑張ったのに、私って褒めてあげることもしなかった。

慌てて電話をかけ直し、
「言うの忘れてた。おめでとう! よく頑張ったね!」
「・・・ありがと」

シナコのこと、礼儀がどうのこうのとか文句ばっかり言ってましたが、やっぱり自分が一番出来てなかったのかもしれません。子は親の鏡ですね・・・。

加えて、このブログでもシナコのことをこき下ろしてばかりいましたが、たまには自慢することも許してもらいましょう。(でも、自慢ネタより、こき下ろしネタの方が、絶対ウケがいいですからね・・・。)

2011年9月28日水曜日

老後は関西!?

夏に日本に帰省して、生まれて初めて思ったこと。
「老後は関西で暮らしたい」

生まれてこの方、機会があればどこでもいいから外国で暮らしたいと漠然と思っていた。どこに行っても、どこに住んでも楽しかったし刺激的だった。若い頃は、毎日マクドナルドを食べても平気だと思ってた。

・・・ところが。
このところやっぱりあっさりした和食が好み。

極めつけがこの夏の帰省。たった10日間の帰省だったけれど、いえ、たった10日間だからこそ、精力的にいろんな友人・知人に会った。勿論、姉や妹やその家族にもあった。(ちなみに弟は実家で両親と同居してるから嫌でも会います。)

本当に楽しかった。何を食べてもおいしかった。
どこが楽しいのかわからないけれど、誰と会ってもその出会いが心に染みたし、高校時代の友人たちと鍋料理を囲んだ時は(なんで、真夏に鍋やねん! けど、めっちゃウマかった)、笑い転げてのたうち回った。

あぁ、年とって住むなら、もう絶対関西やわ!と思った。

やっぱり自分の言葉で自由に話せるってこんなに心地良いことはないわ。

戻ってコイオに話したら、「俺は別に関西にこだわりはない」やて。
考えてみたら、コイオは東京勤務はかれこれ18年。対して私は関東に住んだのは総合しても6年足らず。対して関西暮らしは20余年。友人の数だけを比べても、絶対的に関西の方が多い。

ってことで、私らの別居生活は老後にも及びそうですわ。

2011年7月29日金曜日

学費

ノースカロライナ州への引越目的は、シナコの大学の授業料が、州の居住者と認められて、現行の州外の授業料から、約4分の1の州内の授業料へ減額となるためでありました。(居住者と認められるには、最低12ヶ月間ノースカロライナに住んでいることが条件です。)

12ヶ月が経過したので、授業料の切替申請を提出しました。子供達の扶養者であるコイオがアメリカ在住ではないために、私だけがノースカロライナに住んでいて、果たしてそれでも州内の授業料が認められるか一抹の不安はあったのですが・・・。

じゃじゃじゃーん! 
シナコの授業料の請求を見ますと、見事に減額されておりました。
これでノースカロライナに引越した甲斐がありました!

ほんと、よかった。
生活が随分と楽になります。

2011年6月30日木曜日

2度目の正直 Free at last!!!

とうとうシナコが免許を取りました!

そして、私は晴れて自由の身となりました。
バンザーイ!

若者の運転者が二人で保険料が高くなるのが痛いけど、しゃあないですね。

2011年6月20日月曜日

シュールな日本語

我が家の女性家族で最年少の某女に対してはいろいろと思うところがあるのですが、それを語り始めると精神衛生上よろしくないのでそのことはさておき。

6月第2週目の頭からシナコはグリニッチへ遊びに行っておりました。複数の友人の家を転々としていたようですが、泊めてもらえる家が見つからない期間が3泊4日あり、
「マンハッタンのチカエちゃんのところに泊めてもらえないか聞いてくれない?」

チカエはきれい好きだし、シナコのような、がさつ娘をお願いするのは心苦しいとは思いつつ、ここがまた私の甘いところで、チカエにお願いして泊めてもらうことになりました。

猫かぶりで非常におとなしかったとか。また、英語を話す時と日本語を話す時で印象が違うとか。片や大人っぽく、片や可愛らしい感じがするらしい。(私としてはどちらも同じ印象。どっちも生意気。)

2−3日前、チカエのところにシナコからお礼メールが届いたそうです。
そこにはこうありました。

「来週はお世話になりました」

2011年6月11日土曜日

生きる話

コイオから、「キニコから父の日おめでとうってメールが来た」とあったので、「あ、父の日か」と早速日本の父に電話を入れた。

すると「父の日は来週やで。けど、かめへん、かめへん。おめでとうって言われるのはいつでもかめへん」と父。あらら、母娘して父の日を勘違いしておりました。

「あっそう? アメリカの父の日は今日やねん。ま、来週死んでたら、おめでとうとも言われへんからね。早い方が手遅れよりええでしょ」と私。(あとで調べたらアメリカの父の日も来週でした・・・。)

父も母も「後期高齢者」という域に達し、真面目な話、いつなんどき。
いえ、真面目な話、わたしだっていつなんどき。

少し前に友人からメールがありました。
義母が最近は流動食になっていると書いた私のメールに対する返事だったのですが、「胃ろうについてはよく考えた方がいいよ」って。

彼女の父親も同じくアルツハイマーで、誤嚥性肺炎に二度かかり、医者から胃ろうを勧められて、今は胃ろうになっている。一旦胃ろうにしてしまうともう経口では食事はできなくなるとのこと。彼女はメールに早く天に召してあげて欲しいって書いていました。

そのメールを読んで、私はコイオにメールを書きました。「胃ろうの選択を迫られたときにどうしたらいいのか、今からお兄さんと話し合っておいたほうがいいよ」と。医者から言われて、短期間で決断を下すのは難しいと思ったから。

今年の夏に帰省するときに、私の両親の意思も確認しておいた方がいいと思っていたのですが、今日の電話の折に、「ねぇ、延命についてどうしたいか決めておいてね」と言ったら、母が、「そんなのとーっくに決めてあるよ。書いて判もついてあるから。じいちゃんはね、どんな状態になっても生きたいって言ってるからよろしくね!」

(げ・・・。医者が見てないところで管を抜いたろ・・・)と思ったわけですが、その後、友人の父親の話と、今後実際に義母が胃ろうになる可能性があると言う話していたら、
「さっきのじいちゃんの話は嘘やから。私らは尊厳死したいから、そんなことして欲しくないから。ちゃんと書いてあるからね。私の知っているおばあさんも、意識がしっかりしているときに、本人に『胃ろうにしますか』と選択が迫られて断りはってん。すごい人でしょ」と母。

「私かって今は元気やから、そんなにまでして生き延びたいと思わへんけど、実際に体が全く不自由になって頭だけしっかりしている状態になったとき、ほんまにこのまま死んでもええって思えるかどうかは、自信ないわ」と私。

「私かってそれはわからへんけどね」と母。

その後、母と私の会話は延々続きます:

「私はお墓は要らんって言うてるねん。だってこの先キニコもシナコもどこに住むかわからへんのに、墓があるために守に戻らないとあかんて言うんは可哀想でしょ。だから『その代わりにママの写真を肌身離さず持っていてね』って言うたら、キニコは『それは嫌や』言うねんで。ひどいでしょ」
「私らはよその人を呼んで盛大なお葬式は要らんから。家族だけ集まってくれたらええから。お葬式にお金をかけられるより、私らが生きている間に、みんなで美味しい物でも食べに行きたいわ」
「そう言えば、ママたちはお葬式代が出る互助会みたいなの入ってたやん? あれで生前葬ってできないん?」
「さあ、そら知らん。」
「生前葬でお金が出るか聞いてみてよ」
「生前葬なんてして要らんよ」
「せえへんよ。そう言う名目でお金もらって、そのお金で皆で食べに行くんやん」
「・・・そんなん。あんなん入ったの大昔の話で、お金もらえても5万円くらいちゃうかな」
「え、そうなん? たったそんだけ。まぁええやん、ちょっとでももらえたら。聞いてみ、聞いてみ」
「・・・」
「ところでこの夏休みシナコが行くけど、よろしくね」
「構ってられへんから、何をするかちゃんと考えて来るように言うてね」
「言っても無駄やから、ママが言ってよ。私が言っても聞かへんし」
「それにしても、シナコはほんまに難儀やね。裕之(=弟)が、『ジョダ子姉ちゃんもたいがい強情で難儀やったけど、その娘はそれを何十倍に濃縮したくらい難儀やな』って言うてるよ。どんな育て方したん」

私がナンギやったということは決してあり得ませんっ!

「そやけどおんなじ育て方したキニコはまだマシやん。ま、最近マシになって来たってことやけど。シナコもなんとかならんかなぁ。そっちで躾けてください。お願いします。」
「そんなん、ただでは難しいわ」
「マジで、躾けてくれるんやったらお金払ってもええわ」
「めっちゃ高くつくよ」
「それでもええよ。なんとかして欲しい。・・・しょうもないこと話してたら、電話代が高くなるわ」
「あ、ほんまやね、じゃもう切るわ」
「けどさ、ママらが死んだら電話もできひんから、今のうちにお金がかかっても電話しとかなね。」
「そうや。生きてる間にお金使ってや。」

というわけで、「死」を話題にさんざん笑いました。
笑っていられる間は幸せです。

キニコ in ハワイ

昨日ハワイのキニコより電話がありました。
先週の土曜日からハワイに出かけたのですが、着いたという連絡以降なしのつぶて。
ネットや電話が繋がる環境かどうかわからなかったので別段心配も腹も立ててもいなかったのですが。

キニコは2ヶ月間インターンとしてハワイで「侵入植物」の除去、要はハワイ原生でない他所から来た植物の除去のボランティアをします。

日本の方は「インターン」って何やの?とお思いになると思いますが、本来はインターンとは研修生。インターンをすることで大学での単位を認めてくれる内容から、末はインターンとは名ばかりで、雇う側に都合のいいボランティアやバイトだったりすることもあります。恐らく、厳密に「こういう内容をインターンと呼んでよい」とかいう規則や法律ってないんじゃないかと。(あったりするのかなぁ。)

キニコの仕事がどういう位置づけのものなのか、私も詳しくは知らないのですが、本人は環境関連の仕事に興味があると言うのでこの仕事を選んだそう。(私は間違いなくハワイの三文字に魅せられて選んだと思っとります。)

全く無給の仕事で、週に125ドルが食費として支払われるそう。(食事はついているのかと思っていたら、自炊なんだって。) 1週間のうち4日間は山の中のロッジで暮らし、3日間は山を降りて海辺にある家(ここで仕事をしている人の家だそうですが、夏の3ヶ月はヨーロッパに行っていないので、インターンに開放してくれているらしい)で過ごせるそう。

昨日はその海辺の家にやって来たので、電話もネットも繋がるとのこと。ロッジでは電話回線を使ったパソコンがあるので必要とあればネットも使えるそうです。

山にいる間は午前中3時間、午後2時間を「草抜き」をして過ごす。標高が高いので涼しいし虫もいないらしい。

Costcoに行ってお米を買い、日本の食材も手に入れてご飯を作っていると言うから、「へぇ、そんなものあるの?」って聞いたら、「ここ、日本人ばっかりだよ。」
あ、そうか。ハワイだった。ロッジには炊飯器もあるんだって。

インターンはキニコの他に4人。二人は大学院生、一人は大学を卒業した人、もう一人は高校を卒業したばかりの人。中に男性が二人だそうです。

なんだか楽しそう。青春を謳歌してはりますな。

2011年6月2日木曜日

Free at last, free at last...

というのは有名なキング牧師のI have a dream演説の最後の部分ですが(この後、Thank God Almighty, we are free at last!が続く)、いよいよ私もシナコの送り迎えから解放されて晴れて自由の身となるだろうと、ブログの書き出しはコレで行こうと決めていたのに・・・。

シナコさん、実地テスト落ちはりました。バックのときに縁石に乗り上げたそうです。
まぁ、一発合格の可能性はきわめて低いのですよね。さっさか合格させてしまうと、うぬぼれてしまって事故のもとだから、謙虚にさせるには厳しくしないとね。

ということで私が解放されるのはしばらく先になりました・・・。
再テストは1週間空けないと駄目らしく、来週になるのですが、シナコは来週はコネチカットに遊びに行くらしいから。

今日からコイオが4日間の予定でアメリカ入り。
グリーンカードも没収されず、無事入国できました。
ぱちぱちぱち。

2011年5月30日月曜日

なんでやねん!

今年に入ってからめきめきと体重が増え続け、今や最高記録を更新中。
仕事で家を離れると、朝昼夜としっかり食べるのが原因なのでしょうが、体重上昇に気づいた頃からは、昼食もわざわざ残して持ち帰り、夜は昼の残りだけにしたり気を遣ってるのに増加の一途。
なんでやねん!

もしかしたらホテルにリクエストを入れた結果、朝食に「ごはんとみそ汁」が出されるようになり、せっかく出してくれるのだから、ちゃんと毎日食べなければ、と毎朝しっかり食べていたからか・・・。

とにかく今や最高水準。この体重って妊娠中を除いて人生最高レベルだった高校留学から帰った時点に迫るレベルなのであります。夏だってのに・・・。

そこで歩くだけで体を引き締めるというリーボックのスニーカーとビーチサンダルをゲットし、毎日それをはいて歩くことにしました。

今朝もジョダを連れて1時間ほど歩きました。
45分ほど経ったときジョダが引っ張るので、おしっこでもするのかと思いきや、木陰の芝生の上に行ってへたってしまいました。
なんでやねん!

まぁ外は30度ですから、暑くて疲れるのわかるけど、アンタ犬でしょうが。情けない。

家の中ではWii Fitで体を引き締めようと一人で頑張っていたら、途中から娘たちがやってきて、私たちにもやらせて。

じゃあWii Sportsもやろうということになりました。娘たちはやったことがあるけれど私は今まで全く手を出してなかったのです。

どう考えてもゴルフもテニスもボーリングも野球も、普通にやったら絶対に私の方が娘たちよりレベルが上のはずなのに、ゲームとなる皆目駄目。キニコなんてソファーに座ったままで、体は全く動かさなくて肘から下しか使ってないのに、ホームランは飛ばすはストライクは出すわ。野球もゴルフも一番だし。
なんでやねん!

勝てなくて面白くないから、途中でやめました。
(アンタは子供か?という突っ込みが入りそう)

2011年5月29日日曜日

ナンギと運転免許

その昔、私の友人がシナコを見てあだ名をつけました。それは「ナンギちゃん。」
その難儀度がこのところますますレベルアップしております。

シナコの運転免許の話はどこかに書いたようにも思うのですが、書いていたとしても、もう一度ここでおさらいしてくださいませ。

シナコの送り迎え地獄からいち早く解放されたい私は、16歳になるやコネチカット州の仮免を取らせ、ドライビングスクールのお金を払いました。コネチカット州では18歳未満の場合はドライビングスクールで講習を受けることが義務づけられています。

ところが放課後はクラブで忙しいと言って講習は1、2度出たきり。
「お金払ってるんだから、行かなくちゃもったいないでしょ」と私が言うと、
「ママが勝手に払ったんでしょ」
ぶち切れましたよ。

そうこうしているうちに18歳になり講習も要らなくなりました。ドライビングスクールに払った費用の中には3時間の運転レッスン費用も含まれており、これはまだ有効でした。だからカロライナに引っ越す前に練習しなさいと言ったのに、「誰も連れて行ってくれない」と言って利用せず。連れて行く必要なんてないんです。電話すれば先生が家まで迎えに来てくれるのですから。払った800ドルが丸々無駄になりました。

そして免許のないまま今年の夏を迎えました。

免許を取るように勧めると、「お金は出してくれるの?」
冗談じゃないと言うと、
「今年の夏はやっぱり免許は要らないと思うんだけど」
「免許無しでどうするの?」
「ママが居ない時はタクシーに乗る」
「お金はどうするの?」
「自分で払う。でも学校への行き帰りは、どっちみちママが送るはずなんだから、送れない時はママが出してね」 

あまりの無計画さ、無責任さにむかっとして、「もうあんたの送り迎えは一切しない!学校への送り迎えもしない。免許がないってことは、自分がこの家族に貢献できないってことでしょ。免許があればお互い送ったり送られたりできるけれど、シナコにはそれができない。見返りがないんだから、私はもう送らない!」

キニコもいて、二人して「もう送りません」宣言をしました。

それからしばらくして頭を冷やして考えたようで「じゃあ自分でお金を払ってドライビングスクールへ行く」と言いました。

1週間で10回(1回1時間半)のレッスンを終え、免許所センターでテストが受けられる準備が整いました。今日はシナコのパスポートを取りにチャペルヒルの領事館出張サービスに出かけたのですが、その帰りに運転させることにしました。

・・・寿命が5年縮まりました・・・。

路肩に止めて運転を交代し、シナコが発進するときにタイヤが軋んで音を立てたので、
「アクセルを踏み過ぎるからタイヤが軋んだでしょ」と言うと、
「アクセル踏みすぎてない!うるさい!」
「踏みすぎてるから、その証拠に音がなるんでしょうが」
「踏みすぎてませんでした。踏み込みが足りなくて動かなかったから、もっと踏んだら鳴ったの」
「だから、それを踏み込み過ぎって言ってるんでしょ。ママは現象を説明してるんでしょうが、踏んだら鳴るよって」
「うるさいから黙ってて!」

カーブを曲がるときにシナコが送りハンドル(ハンドルを引くのではなくちょこちょこ押し上げている)をしてるので
「送りハンドルしないの」
「してません」
「送ってるからハンドルが十分に切れなくて大回りになってるんでしょうが」
「ぎゃあぎゃあ言わないで、ママが言うから余計に運転できない」

しばらくすると
「わざとするのやめて、目に入るんだから!」
「何が?」
「わざと足で踏んでるでしょ」
私がシナコのブレーキが遅くて怖くて思わず足を突っ張ってるのを見てのコメントでした・・・。

シナコが停止するときにブレーキを踏みすぎて前のめりになったときに、
「ね、最後に軽くブレーキ上げればそうならないでしょ」
「わかってるって言ってるでしょ。今初めて一回なっただけじゃない」
「だけど、毎回ならないように気をつけたらいいでしょ」
「たった一回くらいで言わないで。失敗しないと習わないって先生も言ってたもん!」
(正しい日本語は「学ばない」ですが、そこには突っ込みを入れませんでした。)

そして帰宅後、「素直に聞かないならもう一緒に乗ってあげない」と言うと、
「ママが命令するからでしょ」
「命令?」
「こうしなさいっ! ああしちゃだめって」
「は? 命令じゃなくてそれはアドバイスでしょ」
「アドバイスだったら、XXしがほうがいいよって言えばいいじゃない」
「そんな車に乗ってて咄嗟に、『どうぞこのようにあそばした方がよろしいと存じます』なんて言ってらんないでしょうが」
「そんな言い方しないでも、こうしなさいじゃなくて、こうすればって言えばいいじゃない」
「アドバイスだって思って聞けばいいじゃないの。嫌だったらもういいよ。人の言うこと聞きたくないならもういい。」
「言うこと聞かないのはママの方でしょ。私がいつも何か言ってたら聞いてないのはママじゃない!」
「そうかな、ママは・・・」
「ほら、また聞いてない、いっつも聞いてない・・・」
「聞いてないのは・・・」
「ほら、まだ私は終わってなかったのに、ママは聞かないで話すじゃないの」
「聞かないで・・・」
「今もそうじゃない」
「じゃあ何が言いたいのよ」
「私の言うことを聞いてよ。この前だって・・・」とシナコの話は延々続きます。

そこへキニコも降りて来て、
「今の話を聞いていると、私だってシナコの言ってることはおかしいと思うけど・・・」
と加担したら、シナコさんはウルウルとなって、涙をぽろぽろ流しながら、誰も私の話を聞いてくれないと泣いてはりました。
この筋の通らぬ論議・・・疲れます。

シナコを知る友人はみな「シナコちゃんって面白いよね」と言うのだけれど、確かにブログねたを一杯提供してくれるくらい面白いんだけど、ずっと一緒に居るとあまりに難儀で疲れますわ。

2011年4月26日火曜日

だまされました

昨夜、わたしが一生涯かけて貯めた全てのマイレージを使って、キニコの夏休みのために航空券を取ってやりました。(大げさな。大半はユナイテッドのクレジットカードに入会した際にもらったマイルだす。)

コースは、ノースカロライナ→ハワイ→日本→ノースカロライナ。

キニコは今年の夏休みはハワイで2ヶ月間のインターンをすることになりました。将来は環境関係の仕事がしたいからと、環境に関するインターンシップで、生態系を侵すハワイ原産でない植物を退治する仕事です・・・と言うと聞こえがいいのですが、早い話がジャングルに入って除草、伐採という肉体労働をする模様。詳しいことは知らないのですが、テントに住んで寝袋で寝る生活で、報酬は週に100ドル余りのお小遣い程度。食費がかかる訳でもありませんし、お金を使う場所もなさそうです。

キニコは、「せっかくハワイまで行くので、その後は日本に行って、被災地でボランティアをしたい」と殊勝なことを言うので、航空券も日本まで行くものを手配することにしました。

その切符手配のため、昨夜はユナイテッドのエージェント(複数)と何時間も電話して(キニコと相談する必要があったり、途中で電話が切れたりしたため)、寝たのは午前1時半。

というのも、キニコのハワイでの滞在先はカウアイ島なのですが、カウアイ島から日本に行くには、マイレージで取れるフライトの場合は、な、な、な、なんと、一旦アメリカに戻らにゃならないと言うのです! カウアイ島を出てロスに着くのが午後11時。そこで翌朝の11時まで待って、成田行きに乗り換える・・・と言う。

こんな思いまでして、本当に日本にボランティアに行きたいのか?とキニコに確認する必要があり、メールをしたら、折り返しキニコから電話が。
「ね、本当に、そこまでして日本に行きたいの?」
「うん、行く。だって色々買いたいものあるし、ユキちゃんもいるから・・・」

・・・これぞ真相!
ボランティアに行きたいなんて殊勝なこと言うから、ママは頑張ってマイレージを放出する気になったのに、実際のところは所詮こんなものでした。騙されました。

で再びユナイテッドに電話したら・・・さきほどまであったというロスまで戻る飛行機ももうなくて、その4日後まで空きがないと。夜も更けていて私も疲れ果てており、結局はカウアイ島からホノルル島までの別のチケットを75ドルで購入して、キニコはホノルルから一路成田への楽々コースに。

一見厳しそうだけど、実際のところは非常に甘い親だと、もしかしてあいつらも気づいているのでしょうか・・・。