2011年4月21日木曜日

我が家にて

しばらく家を空けておりましたが、カロライナの自宅に戻りました。飛行機の時間に合わせて、今朝は午前4時前起床だったので眠たいです。

空港に着いたら、星条旗が半旗になっていました。もしかしたら竜巻の犠牲者を追悼する意味でかなと思ったのですが、タクシーの運転手さんは「知らない」とのこと。あとで郵便局で並んでいるときに、前のおじさんに尋ねて見るとやはりそうでした。昨日から3日間は半旗だそう。(先週末、複数の竜巻がノースカロライナ州を襲い22人の犠牲者を出しました。ノースカロライナの竜巻って、どちらかというと珍しいと思います。)

夕方は、ジョダをずっと預かってくれているお家の奥さんであるキャロリンと一番下の娘のキャスリンが、地元の中学で色んな国の展示会イベントがあり、彼らは「日本」のブースを出すからお手伝いに来てと頼まれていました。そのブースを見に来る子たちの名前をカタカナで書いてと頼まれていたのです。楽しそうだから二つ返事で引き受けました。

キャロリンとご主人は子供たちが生まれる前に日本で3年弱暮らした経験があり、大の親日家。今日のイベントには、20カ国くらいのブースがありましたが、キャロリン達のブースは、日本のおもちゃあり、民芸品あり、地図、パソコンでの映像に加えて、日本のお菓子とかも置いてあって大盛況。(他の国としては、フランス、スペイン、カナダから、ペルー、コスタリカ、フィリピン、珍しい国としてはパナマ、キューバ、シエラ・レオーネ、セルビアなんかもありました。)

お菓子につられてか、はたまた純粋に自分の名前を日本語で書いて欲しい一心か、キャロリンのブースには人が絶えることがなく、キャロリンが用意していた短冊形の栞にひっきりなしに子供たち(時には大人の)名前を書き続けました。短冊は125枚分用意されていたのですが、それも使い果たし最後には普通の白い紙を使い、2時間のうちに恐らく150くらいの名前を書いたのではないでしょうか。

それにしても奇怪な名前も多く、キャロリンと、「これが20年前だったら、ジョンやマイクやポールなんて名前ばっかりで、どれほど楽だったか・・・」と笑い合いました。実際、ご存知のように、アフリカ系アメリカ人の人は結構変わった名前を子供たちに付けている例が多いですし、この辺りに住んでいる人も国際色が豊かで、ラテン系の名前は勿論、東欧、アラブ、アジア系となると、もはや聞いただけでは綴れません(Sirocco, Ortensia, Nikolas, Sarai・・・)。おまけに音は同じでも、綴り方は何通りもあって・・・「まるでSpelling bee(綴りコンテスト)」をやっているみたいでした。

例えば、エリザベスと言われてもElizabethなのかElisabethなのか、アリッサもAlissaもあればAlyssaもあるし、ターニャと言われてもTanyaと思いきやTonyaだったり・・・。まさに綴り方は千差万別。たまにマイクとか言われるとほっとします(笑)。聞き慣れた名前、例えばハナなんて聞くと、「典型的な綴り?」と思わず聞き返してしまいます。ソフィアやキャシーと言われると、「PH?それともF?」、「CそれともK?」と尋ねねばならず、名前を書くのも楽じゃありません。(結構脳みその運動になりました。)

日本人の名前もかなり奇怪になっておりますが(我が娘たちも例に漏れず)、同様の傾向がアメリカでもあるのだなぁと改めて実感したイベントでもありました。

今日の極めつけは、JohnrichardにWilltapplyという兄弟。父方と母方の祖父の氏名を合わせた名前だそうで・・・。間にハイフンも入らないのです。変わっていて良いというか、何と言うか。「素敵な名前ね」とコメントしながらも、内心ビミョーでありました。

2011年4月11日月曜日

放射能、放射線に関する知識

先日、原発に関する報道記事に詳細説明が足りないからようわからん!と文句を言いましたが、丸善が放射線や放射能に関する書物を無料で閲覧できるようにしていることを知りました。

ウェブサイトはこちら。
ご興味のある方は見てください。http://pub.maruzen.co.jp/index/kokai/

まだ全てをきっちり読んだ訳ではないですが、パリティーの記事は(この論説の真偽のほどはわかりませんが)根拠ない不安を鎮めてくれますし、「身近な放射線の知識」は途中までしかまだ読んでませんが、なかなか理解しやすいです。

ご興味のある方はどうぞ。

2011年4月4日月曜日

汚水を海へ

とうとう汚水を海へ流すことになりましたね。

ずいぶん前からCMMに登場する原発に詳しいアメリカ人のおじさんはこのことに言及していました。汚水が海へ流れることは決して良いことではないけれど、全ての悪いことの中では、これが一番ましなのだ、と訴えていました。

多分そうなんでしょう。

これで世界で食べられるお寿司の量が減るんじゃないでしょうか。寿司ブームでかなり乱獲されていたから案外良い側面もあるのかも・・・。

大きな海でしっかり薄まってほしいです。

飛行機

ラジオのトークショーのテーマが、「航空会社のパフォーマンスは数字の上では良くなっているのになぜ顧客の不満は減らないのか」だった。

どうやら「ロストバゲッジ」(チェックインした荷物がなくなること)や飛行機の延着は、ここ1、2年でデータ上はかなり減っているらしい。

確かに飛行機の遅延や取り消しが日常茶飯事だった2、3年前と比べると、このごろは減ったようにも思うし、空港に着いても鞄が来なかったのは2年前が最後かな。(ということで、このところ余分のパンツを1枚手荷物に入れることを怠っております・・・。)

ラジオに出ていたアナリストのおじさんは、それは単なる数字上のトリックなのだと言ってました。つまり航空会社は、今では最初から延着を見越して遅延分を飛行時間に組み込んでいるとのこと。それで実際の到着時間としては遅延にならないらしい。

更にロストバゲッジには、別のカテゴリーとして「Mishandled Baggage」(取り扱い間違い)が加わってこれは別に計上されているらしい。確かにこれまでロストバゲッジと呼ばれていたものには、紛失した物だけでなく、厳密に言えば紛失ではなく、誤ってよそにに送られた、あるいは途中で積み残された物が含まれていた。実際には後者が圧倒的だったはず。

正直言って、私はこのところ飛行機に関しては余り文句を言わなくなった。それは航空会社のパフォーマンスが向上したからではなく、単に慣れたから。これまではもっともっとヒドイ目にあっていたから、少々の遅れくらいだと、逆に「飛んで良かった」と思うし、オンタイムだったりしたら「ラッキー」と思うのである。

つい先日も、もう春は目の前だというのに雪が降った。積雪量で行けば3−4センチというところだったのだが、飛行機はきっちり2時間遅れた。キャンセルではなかったから、心配もせずインターネットをしたり、本を読みながら空港で時間を潰した。

ようやく搭乗し飛行機がプッシュバックを始めてすぐにパイロットのアナウンスが入った。「この機の離陸順位は45番目です。しばらくお待ちください。」

「えー、45番目!」思わず声に出して叫んでしまいました・・・。げげげ、30分くらい待たされるのかな。

続いてフライトアテンダントのアナウンスが入る。「おしまいになった携帯電話などコンピュータ以外の電子機器なら再びご使用になっても結構です。」

そこで周りの人はがさがさと携帯を取り出して、「45番目だってよ〜」と電話の向こうの誰かに訴えている。

ところが5分も経たないうちに、「離陸順位が4番目になりました。電子機器をしまい、離陸準備をしてください」だって。この5分間に40機も飛んだとは思えないんですけど。もしかして、これも最悪を思わせておいて、それよりましな状況を作って顧客の満足度をあげようと言う手か?

航空会社に対してひとつ文句があるとすれば、それは航空料金。航空料金って、あって無きがごとし。

確かにエコノミークラスでも取り消し/変更自在の「正規価格」で買えばべらぼうに高い。けれどそれが出来ない航空券は、十分余裕を持って買えばかなり安い。ところが同じ変更/取り消し不可の格安航空券も、残り座席数が減ってくるとぐんぐん料金が上がって行く。どれも座席の質もサービスも全く同じなのに。(正規料金で買えば、格安の人よりちょっと早く搭乗できるけどね。)

具体的にその価格差はと言うと、例えば飛行時間がたかだか2時間ちょっとの距離で、かなり前に買えば60ドルくらいのところが、出発日が迫って残りの座席数が減ると600ドル、そして正規料金なら1000ドル以上と言った具合だ。

だから予定が決まらないプライベートの旅行は、捨ててもいいから先に買ってしまう。ぎりぎりで買って600ドル払うより、捨てることを覚悟で60ドルの方が安いもんね。(格安チケットの場合は変更料は150ドルくらい取られるから通常は買い直した方が安い。)

正規料金で払ってくれる人の恩恵を受けている訳だから、文句を言う筋合いではなかったか・・・。

2011年4月2日土曜日

文句言い

わたしは自他ともに認める文句言いなのですが、今日は新聞に対して文句があります。

震災以来ずっと原発関連の記事を読んでいます。ウェブの新聞記事ですから、紙面の記事よりは詳しくないにしても、それにしても、原発の記事に関しては、時々は説明や注記、図解などがあるものの、今ひとつ深みがない。

恐らく記事を書いている人もいまいち理解できてないで、東電やIAEA、保安院の発表をそのまま伝達しているにすぎないんじゃないかと思うのです。

確かに素人には理解しづらい内容ではあると思うけれど、今はその素人がしっかり知りたいと思っている。だから書く側もしっかり調べてわかるように書いて欲しいのです。

今日、日経の論説委員がこう書いていました。この人の言うように、科学者でも誰でもいいから、専門家は庶民にわかるように知識を提供して欲しいです。

あっそうか。論説委員だって専門家に説明して欲しいって言うんだから、新聞記者はやっぱりしっかりわからないで書いてるのか・・・。

(日経は登録すると月に20記事だけ無料で読めるのですが、それを越すと有料になってしまうのです。月初めでまだ無料で読めてるので、勝手にここにコピペしますね。)


いま科学者の役割は何か 共に危機を悩み考えよう 論説委員 滝順一




「安全委はそれだけの知識を持ち合わせていない」。福島第1原子力発電所で見つかった放射能混じりの水への対応を問われて、班目春樹・原子力安全委員長はこう答えたという。
気さくな人柄と聞くので率直に話したのかもしれないし、首相に怒鳴られて開き直ったのかもしれない。いずれにしてもこの物言いは国民をがっかりさせ、科学者と呼ばれる人たちへの不信を強めたのではないか。
今回の原発事故で、原子力にかかわる科学者や技術者はそれぞれ責任や使命感に駆られていることと思う。政府や東京電力に近しい人は助言したり対策づくりに加わったりしている。班目氏もその一人のはずで、安全委員長としての職務を責任をもって果たされたい。
ここで問いかけたいのは、原子力発電には直接かかわっていない科学者の人たちの役割である。特に物理学や生物学などに携わる人たちなら、原発の設計や安全は専門外だとしても、核反応や放射線については、普通の市民より詳しい知識を持っているはずだ。
震災の余波か、宇宙科学や生命科学の講演会やシンポジウムの開催延期の知らせがいくつも舞い込む。一方で、危機を受けて、原子力やエネルギー問題、放射線医学などについて、市民向けの講座や講演会を新たに開催するという話は、あまり耳にしない。
日本の多くの国民が、いまほど核や放射線について切実に知りたいと思ったことはない。国民が科学の知識や考え方をより深く知り、科学技術の賢い使い方やエネルギーの将来などを考える機会を、なぜ科学者が進んでつくらないのだろう。
原発事故の先行きについて尋ねられても答えられない。そう思って尻込みしているのかもしれない。もしそうなら、それは間違っている。先行きなど東電の幹部とて明言できない。だれにもわからないことだ。わからない中で手探りにでも市民といっしょにこの問題を考え、悩んでみようとは思わないのか。
最近、科学コミュニケーションや、研究を社会に広めるアウトリーチなど、科学者が市民と対話する大切さが唱えられてきた。お茶を飲みながらくつろいで話すサイエンスカフェと呼ばれる試みもあった。
しかし、みなが知りたいと思っている話題に適時にこたえないのでは、こうしたアウトリーチ活動もしょせん自分の研究の宣伝のためにすぎなかったということになる。教壇から、上から目線で庶民を教え諭すことしかできない人たちだということになりはしないか。
日本学術会議は緊急集会を開いたし、インターネット上で盛んに情報を発信して、正確な知識の広まりに力を尽くしている人もいる。すべての科学者が手をこまぬいているというわけではないが、肝心のときに頼りにならないのは考えものだ。
国民には期待がある。日本にはロボットや情報通信などで優れた技術があるはずだと。
放射線が強くて作業者が近づけないとか、がれきがあって内部が見えないとか、事故現場の苦心が伝えられると、なぜロボットや遠隔操作の計測器が出てこないのかと首をかしげる。
研究費を毎年もらって、そうした研究開発に取り組んでいる大学や研究機関がたくさんあったのではないか。なぜ出てこないのかと。
現実には、大学などの研究室にある技術の多くはまだ研究の途上で、いま原発に持ち込んでも使えないどころか、足手まといになりかねないのだろう。
だからといって、ロボット研究者らが口を開かないのは正しい選択だろうか。現状ではここまではできるが、この先が難しいなどと、率直に技術課題について語る機会ではないか。国民は今なら関心を持って聞くはずだ。技術の未成熟をなじることはないだろう。国家的な危機を打開するため、科学界をあげて知恵を絞ってほしいと思う。
1989年に英国の科学者の委員会は、BSE(牛海綿状脳症)に人間が感染する可能性は極めて低いとする報告書を発表した。これを受けて英国政府は牛肉の安全性を強調した。
数年たって、感染牛の肉を食べたことが原因と考えられる患者(変異型クロイツフェルトヤコブ病)が見つかり、科学者への信頼が深く傷ついた。
BSE禍を契機に、英国で科学コミュニケーションの大切さが再認識されサイエンスカフェなどの活動が始まった。日本の科学界や行政はそれをまねて導入してきた。巨大津波と原発危機を契機に、科学への信頼が揺らぎかねない。研究室の中にいる時ではない。

余計な心配

余計な心配だと思うのですが、日本政府が各国から寄せられる救援物資を本当にちゃんと管理できているのかと言うこと。

震災後すぐに、日本乾電池協会が寄付した乾電池が被災地に送られないままになっているという記事を読んだ。政府のコメントは「被災地からの要請を持って送る」だった。電話も不通の状態で要請もなにもないでしょ。

約20年前の米不足を思い出す。あのときタイ米をたくさん輸入したにもかかわらず大半が産業廃棄物と化してしまったことを。

今、日本に救援物資を送っている各国の中にも決して自国が裕福と言えない国々がたくさんある。それらの国々の善意を無にしないためにも、日本政府はきちんと、今は何が足りなくて、何は不要なのか明らかにして行かなければならない。文化の違いもあるのだから、先方が良しと思ったものが必ずしも日本で必要かどうかもわからない。既に十分に集まっている物もあるかもしれない。

実際にそういう管理がきちんとされているのか、非常に不安なのです。
私のこの不安が杞憂であることを願います。

2011年3月30日水曜日

うぬぼれ

先日、ホテルのロビーで、3年ほど前にお仕事をさせていただいたお客様と偶然再会しました。

先方が、「まだ、あなたの名刺を持っていますよ」とおっしゃって、首からぶら下げていた貴重品入れの中から、私の古い名刺を取り出して見せてくださいました。

「えっ! まだ持っていてくださったんですか!? もしかして、わたしがきれいだったからですか?」と尋ねました。(よく言うよ!)
すると、
「よくわかったからです。何かあったらお電話しようと思って」ですって!

きれいだったから、と答えられるより百万倍嬉しかったです。(ほんまか!?)

本当にきれいな人だったら、恐らく「きれいだったからですか?」なんて聞かないですよね〜。
だってきれいなこと知ってるから、確認する必要ないもんね〜。

・・・今日のブログのタイトルは、うぬぼれじゃなくて、ひがみにするべきだったか・・・。

2011年3月28日月曜日

Songs for Japan

地震の被災者支援の為に金曜日から全世界で売り出されたアルバム「Songs for Japan」が、日本、アメリカ、ヨーロッパの、合わせて18カ国のiTune Storeでトップ10アルバムに入っているそうです。

このアルバムにはU2、マドンナ、レディーガガ、ビヨンセ、エンヤ、エルトンジョンなどを始めとする38名の著名人の曲が収められています。

売り上げは日本赤十字社に寄付されるそうです。

38曲入ってアメリカでは$9.99と非常にお得。日本では1500円と格差があるのですが、自国なんだからもっと寄付しなさいってことかしらん。

と言うことで、早速買ってみました。バラード系が好きな私としては、好きなタイプの曲は数曲しかないんですけど、寄付だし。

・・・と言いながら、ちゃっかり安い方のアメリカのiTune Storeから買いました・・・。

・・・寄付は寄付として別口でするからいいんです・・・。

2011年3月26日土曜日

うすのろ

トランプで我が家では「うすのろブタ」と呼んでいたゲームがある。一般的には、「うすのろ」とか「うすのろばか」とか「うすのろまぬけ」とか言うらしい。英語では「Spoons」だ。

ゲームの内容はこう。カードのうち、同じ数字を4枚揃えたセットを人数分のセット数だけ使う。全員にカードを配る。つまり一人一人の手元には4枚ずつ配られる。

場には人数分から一つ足りない、キャンディーなり駒なりを置いておく。アメリカの場合はスプーンを使う。つまり参加者が5人なら、場に置くキャンディーやスプーンは4つ。

そこでゲームをスタートする。手元のカードの中から一枚ずつ、タイミングを合わせて隣へ回す。そうしているうちに同じ番号のカードが4枚そろったら、場にあるキャンディーやスプーンをこっそり取って良い。

最初のひとがキャンディーやスプーンを取ったのを目撃すれば、自分のカードがそろっていようがいまいが、先を争って場にある物を奪い合う。そして、いちばん「うすのろ」な人は、キャンディーやスプーンを取れず仕舞いになり、負けが決まるのである。

今の日本の状況を聞いて、私はこのカードゲームを思い出した。

確かに水道水の中に放射性物質が含まれているということは心配に値することだし、自分が安全圏にいるからこんなことを言うと言われても仕方ないかもしれない。けれど、それにしてもあまりにも度が過ぎないかな。

乳幼児や子供たち、いえ、さらに譲歩して、生殖能力がまだある40台の人までは心配してもいいと思う。それ以上の人は、政府が「安全だ」と言うなら、ペットボトルに走らず、自らすすんで水道水を飲んだっていいんじゃないか。水の影響が出る前に寿命が来るよ・・・と。

いえ、関東の人々の心配は、まだしも正当化されるべきかもしれない。
けれど聞くところによると、関西でもペットボトルの水が売り切れているそうな。

ある知人(80歳)の家にはお嫁さんが孫(小学生)を連れて、春休みも兼ねて関東から「避難」してくるそうな。そのお嫁さん、80歳のお義母さんに「ペットボトルの水を買っておいて」とお願いされたそうな。おばあさんは四方八方、買いに走ったけれど、ペットボトルの水は見つからなかったそうな。

それにしても運転もできないおばあさんにペットボトルを買っておいてと頼むってどんな神経してるん、と言いたい。

え? 私みたいな鬼嫁に、批判されたくないって? 
ま、ごもっともで・・・・。

2011年3月23日水曜日

あの22歳の子

私が結構長期でお仕事をしている会社があります。

普段は忙しくって、直接仕事に関係のない人とはおしゃべりする機会もないのですが、先日受付の(結構年配の)女性と立ち話をする機会がありました。世間話をしていて、ウチの犬がどうとか、娘がどうとかと話していると、
「娘さんは幾つか?」と聞くので、
「19歳と22歳」って答えると、
彼女が大声で、
「ちょっとー、みんなー! 19歳と22歳の子供がいるんだって!」と叫ぶのです。

すると隣の部屋から二人の女性が飛び出して来て、
「うっそー!? 私たち、あなたのこと、名前も知らないから、いつも『あの22歳の子』って言ってたのよ。『あの22歳の子みたいにスリムになりた〜い』とか。」

・・・「22歳」と呼ばれたのは一瞬、嬉しかったけれど、「スリム」と言われた途端、彼女たちの判断基準に大幅な誤りがあるのだと目が覚めました・・・。これが日本だったら、どう転んでも22歳はあり得ないもんな〜。

実は今日も、同じ会社の若いあんちゃん(26歳)に、
「えっ! 19歳と21歳の大学生の子がいる? え、僕はどうみても30台だと思ってました」って言われて、瞬間喜んだのですが・・・、「アジア人の年齢は皆目解らない目が節穴のアメリカ人」に言われてもなぁ・・・。

願わくば日本人に「え、30台じゃないんですかっ!?」って腰を抜かして欲しいっす・・・。