先日のブログに、「誰か借りてくれません?」と書いたら、友人が「借りたいけどお金がないよ〜」とコメントを書いた。そこで、早速この友人にメール。
「荷物をそのまま置いて行った条件で、安くていいから借りてくれない?」と尋ねると、
「家は、東京と栃木に2軒もあるからこれ以上は要らない。けれど仕事場が幕張で、残業で遅くなったときに、東京の自宅に帰るのは遠いから、光熱費を払うから、月に3〜4回、泊めてほしい」とのこと。
家をそのままにしておくと、通気が悪くてカビなどの心配があるから、友人が使ってくれるなら、そんなありがたい話はない。
と言うことで話はトントン拍子に進み、不動産屋で借り手を捜し、賃借人が見つかるまでの間、友人には光熱費を持ってもらって、好きなだけ家を使ってもらうことにした。
お互いのニーズが合致して、ほんとうに良かった。(途中で気が変わらないでね。)
2011年3月7日月曜日
2011年2月27日日曜日
家のこと
コイオが駐在に出るに当たって、目下一番頭が痛いのが家のこと。
車はもう売るしかないです。かなり損は出ますが、こちらはあきらめはつきます。
家のほうは、去年4月に帰国して、家電(冷蔵庫、洗濯機、テレビ、電子レンジ)は全て買い替え。家具もニューヨーク赴任前にソファーを処分したので、買い足しています。
我が家は交通の面では余り良くない場所にあります。徒歩圏内(徒歩20分)の駅は、モノレールの駅で、千葉駅に向かっています。これが幕張にでも向かってくれていたら良かったのですが。(計画当時はそうだったらしいです。)
東京方面に出るには、徒歩10分のバス停へ行き、バスに乗り(15分)、総武線の駅から東京駅まで45分。コイオはこうして片道1時間40分をかけて通勤しておりました。最近は同じバス停から東京駅への直行バスが出るようになったため、こちらを利用していますが、定期があるわけでもなく、コイオの会社のように交通費は現金支給(定期代分)で、海外出張も多いから、カバーできますが、定期支給の会社だと利用できませんね。それゆえ便利なのに、このバスは以外に空いていて必ず座れます。(満員電車に比べると、かなり快適。)
交通の便は悪いですが、目の前には県立のラグビー場が広がり、その隣のスポーツ場の周りは自然が一杯あります。マンションは南向きで年中太陽が差し込み、冬場でも日中は暖房が要らないくらい。明るいし、これは私も気に入っているところ。更に、ジョダを散歩するにも、このラグビー場の回りの土手はもってこいで、毎日たくさんの犬が散歩に来ていて、ちょっとしたドッグランの様相をなしています。この頃がジョダにとって一番幸せだった時代かも(笑)。
近くに車通勤という人にはもってこいなんですけれど。
しかしながら、一般的に言えば交通の便が悪いこのマンション。4年間のNY駐在中も借り手があったのは最初の2年だけ。借りていたご家族は、近くに家を買って引越されました。
価格設定が高かったことも、日本の景気が悪かったこともあるのでしょうけれど、この経験からコイオは、この家の借り手はつかないと思っている模様。(サウジ時代は、ずっと借り手があり、我が家の帰国と同時に、そのご家族は同じマンションの違う階へ越されました。)
今回、コイオは単身赴任の扱いなので、会社からはトランクルームの費用が出ません。ですから家を貸すために家を空にするには、家具はトランクルームへ、家電は基本的には処分するしかありません。加えて貸すとなると、畳やクロスの張替えが必要かもしれません(1年住んだだけですから、そのままでもいけるんじゃないかと思いますけど。)
借り手が付くか付かぬかわからぬ家のために、それだけの出費をかけるのは反対というのがコイオのスタンス。1年しか使っていない家電を処分するのももったいない。彼の意見は、家はそのままにして、風通しと水周りの管理サービス(月に1回で12000円、2回なら21000円)を受けるのがよい。
私の意見は、家をそのままにすると確実に毎月出費が発生し、必ずマイナスになる。けれど、もしも貸すことができれば、マイナスにはならない。家をそのままにして、帰国の度にこの家を利用するのかと言うと、コイオは出張で戻るときはホテルに泊まると言いますし、基本的にこの家を利用するつもりがない。私だって義母をお見舞いする時は友人宅に泊めてもらえますし、実家もあります。利用しない家の基本光熱費を払い続けるの? それに幾ら風通しサービスをしてもらっても、住まなければ傷んでしまうんじゃないの?
海外なら家具・家電つきの賃貸がありますが、日本では一部、単身者用に管理会社が家電・家具を配備したところがありますが、それ以外では、こう言う形での賃貸は基本的にはないのですよね・・・。できるものなら、そうしたいのに。
ちょっと調べてみて、こんなサイトで、海外赴任中に家を貸すか、貸さないかの議論を見つけました。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0215/387129.htm?g=01
意外に「貸さない」派が多くてびっくりです。我が家の場合は、過去に貸した経験から、嫌な思いはしませんでした。フローリングが傷ついて、取り替えられた床の色が違っていたことも、私は気になりませんでした。こういうことが気になる人は貸すのは嫌なのだと思いますが、普通の生活で起きる損傷は、私は気になりません。
あーあ。何か妙案はないですかね~。単身赴任の人にとっては、家具も家電もそろって、身一つで引越しって、いいと思うのですけど。家電も新しいから壊れないだろうし。ついでに車も付けたりして(笑)。
あ、ちなみにこの週末、2年に1回あるマンションの駐車場の抽選があって、ここに引越して初めて、マンションの階段を下りて直ぐの一等地が当たったそうです。せっかく当たったものの、入れ替えは4月からだから、その一等地をも利用する機会はありません。運がないと見るのか、今年はついていて幸先がいい、と見るのか。(勿論、後者と思い込みましょう。)
コイオは、3月末にはビザなしで赴任し、ビザが取れたら切り替えのために一旦帰国するようです。3末に出る時点でフランスに持って行くものは全て送り、後は家に残して行く。
その後家はどうするか。とりあえず借り手がいるか不動産屋に探してもらって、見つかれば私が帰国して、家を空ける・・・という手順になりそうです。
「家具・家電、応相談」って条件付の広告にしてみようかしら(管理する側の不動産会社は嫌がるので、これはやっぱり難しいのかな。) 誰か借りてくれません?
車はもう売るしかないです。かなり損は出ますが、こちらはあきらめはつきます。
家のほうは、去年4月に帰国して、家電(冷蔵庫、洗濯機、テレビ、電子レンジ)は全て買い替え。家具もニューヨーク赴任前にソファーを処分したので、買い足しています。
我が家は交通の面では余り良くない場所にあります。徒歩圏内(徒歩20分)の駅は、モノレールの駅で、千葉駅に向かっています。これが幕張にでも向かってくれていたら良かったのですが。(計画当時はそうだったらしいです。)
東京方面に出るには、徒歩10分のバス停へ行き、バスに乗り(15分)、総武線の駅から東京駅まで45分。コイオはこうして片道1時間40分をかけて通勤しておりました。最近は同じバス停から東京駅への直行バスが出るようになったため、こちらを利用していますが、定期があるわけでもなく、コイオの会社のように交通費は現金支給(定期代分)で、海外出張も多いから、カバーできますが、定期支給の会社だと利用できませんね。それゆえ便利なのに、このバスは以外に空いていて必ず座れます。(満員電車に比べると、かなり快適。)
交通の便は悪いですが、目の前には県立のラグビー場が広がり、その隣のスポーツ場の周りは自然が一杯あります。マンションは南向きで年中太陽が差し込み、冬場でも日中は暖房が要らないくらい。明るいし、これは私も気に入っているところ。更に、ジョダを散歩するにも、このラグビー場の回りの土手はもってこいで、毎日たくさんの犬が散歩に来ていて、ちょっとしたドッグランの様相をなしています。この頃がジョダにとって一番幸せだった時代かも(笑)。
近くに車通勤という人にはもってこいなんですけれど。
しかしながら、一般的に言えば交通の便が悪いこのマンション。4年間のNY駐在中も借り手があったのは最初の2年だけ。借りていたご家族は、近くに家を買って引越されました。
価格設定が高かったことも、日本の景気が悪かったこともあるのでしょうけれど、この経験からコイオは、この家の借り手はつかないと思っている模様。(サウジ時代は、ずっと借り手があり、我が家の帰国と同時に、そのご家族は同じマンションの違う階へ越されました。)
今回、コイオは単身赴任の扱いなので、会社からはトランクルームの費用が出ません。ですから家を貸すために家を空にするには、家具はトランクルームへ、家電は基本的には処分するしかありません。加えて貸すとなると、畳やクロスの張替えが必要かもしれません(1年住んだだけですから、そのままでもいけるんじゃないかと思いますけど。)
借り手が付くか付かぬかわからぬ家のために、それだけの出費をかけるのは反対というのがコイオのスタンス。1年しか使っていない家電を処分するのももったいない。彼の意見は、家はそのままにして、風通しと水周りの管理サービス(月に1回で12000円、2回なら21000円)を受けるのがよい。
私の意見は、家をそのままにすると確実に毎月出費が発生し、必ずマイナスになる。けれど、もしも貸すことができれば、マイナスにはならない。家をそのままにして、帰国の度にこの家を利用するのかと言うと、コイオは出張で戻るときはホテルに泊まると言いますし、基本的にこの家を利用するつもりがない。私だって義母をお見舞いする時は友人宅に泊めてもらえますし、実家もあります。利用しない家の基本光熱費を払い続けるの? それに幾ら風通しサービスをしてもらっても、住まなければ傷んでしまうんじゃないの?
海外なら家具・家電つきの賃貸がありますが、日本では一部、単身者用に管理会社が家電・家具を配備したところがありますが、それ以外では、こう言う形での賃貸は基本的にはないのですよね・・・。できるものなら、そうしたいのに。
ちょっと調べてみて、こんなサイトで、海外赴任中に家を貸すか、貸さないかの議論を見つけました。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0215/387129.htm?g=01
意外に「貸さない」派が多くてびっくりです。我が家の場合は、過去に貸した経験から、嫌な思いはしませんでした。フローリングが傷ついて、取り替えられた床の色が違っていたことも、私は気になりませんでした。こういうことが気になる人は貸すのは嫌なのだと思いますが、普通の生活で起きる損傷は、私は気になりません。
あーあ。何か妙案はないですかね~。単身赴任の人にとっては、家具も家電もそろって、身一つで引越しって、いいと思うのですけど。家電も新しいから壊れないだろうし。ついでに車も付けたりして(笑)。
あ、ちなみにこの週末、2年に1回あるマンションの駐車場の抽選があって、ここに引越して初めて、マンションの階段を下りて直ぐの一等地が当たったそうです。せっかく当たったものの、入れ替えは4月からだから、その一等地をも利用する機会はありません。運がないと見るのか、今年はついていて幸先がいい、と見るのか。(勿論、後者と思い込みましょう。)
コイオは、3月末にはビザなしで赴任し、ビザが取れたら切り替えのために一旦帰国するようです。3末に出る時点でフランスに持って行くものは全て送り、後は家に残して行く。
その後家はどうするか。とりあえず借り手がいるか不動産屋に探してもらって、見つかれば私が帰国して、家を空ける・・・という手順になりそうです。
「家具・家電、応相談」って条件付の広告にしてみようかしら(管理する側の不動産会社は嫌がるので、これはやっぱり難しいのかな。) 誰か借りてくれません?
2011年2月23日水曜日
寝耳に水
コイオは去年4月にニューヨーク駐在から帰国したばかりなのに、また今年の4月から、今度はパリ駐在に出ることが決まりました。
実は初めて私がこの「可能性」について聞かされたのが、2月11日(金)。どうやらその日に打診があったそうで、その時は「母親の調子が良くないのでできれば駐在は避けたい」と言うような返事をしたらしいです。翌週には決まると言われ、次の月曜日には、もう正式な打診があったとのこと。
わたしもあまりに急な話で、本当に2月になるまでこの話が全く出なかったのかとコイオに聞いたところ、実は去年の年末にそのような話があったけれど、母親のことがあるので、できればしばらくは日本にいたいと話したとのこと。その後、全く何も話が出なかったから、てっきりこの駐在話は流れたと思っていたようです。
その段階でコイオが私に何も言わなかったのは、もしかして、「パリ」と聞いただけで私が狂喜乱舞して、「行け!ゴー、ゴー!」と絶対にプッシュするに違いないと思って、故意に黙っていたのではないかと、密かに疑っております。
でも本音を言うと、今回の駐在はやはりタイミング的にはよくない。キニコが大学を卒業するまでは我が家は2人分の大学の費用を払わねばいけないわけで、流石の私も「パリに住みたい!」と言う気持ちだけで、仕事があるかどうかもわからないパリに移住するわけには行かないと思うのです。少なくとも今はお互いにそう考えており、コイオは単身赴任することになります。
コイオも、これからしばらくはできるだけ自分が母親の世話をしてと考えていた矢先のことだったので、かなり辛いと申しております。また兄夫婦に負担をかける事になってしまうので、私としても心苦しいです。
加えて悩ましいのは日本のマンションのこと。はてどうするか。
帰国して家電も一式買いました。
車も買いました。車は間違いなく手放さねばなりません。
間違いなく、引越貧乏です。
実は初めて私がこの「可能性」について聞かされたのが、2月11日(金)。どうやらその日に打診があったそうで、その時は「母親の調子が良くないのでできれば駐在は避けたい」と言うような返事をしたらしいです。翌週には決まると言われ、次の月曜日には、もう正式な打診があったとのこと。
わたしもあまりに急な話で、本当に2月になるまでこの話が全く出なかったのかとコイオに聞いたところ、実は去年の年末にそのような話があったけれど、母親のことがあるので、できればしばらくは日本にいたいと話したとのこと。その後、全く何も話が出なかったから、てっきりこの駐在話は流れたと思っていたようです。
その段階でコイオが私に何も言わなかったのは、もしかして、「パリ」と聞いただけで私が狂喜乱舞して、「行け!ゴー、ゴー!」と絶対にプッシュするに違いないと思って、故意に黙っていたのではないかと、密かに疑っております。
でも本音を言うと、今回の駐在はやはりタイミング的にはよくない。キニコが大学を卒業するまでは我が家は2人分の大学の費用を払わねばいけないわけで、流石の私も「パリに住みたい!」と言う気持ちだけで、仕事があるかどうかもわからないパリに移住するわけには行かないと思うのです。少なくとも今はお互いにそう考えており、コイオは単身赴任することになります。
コイオも、これからしばらくはできるだけ自分が母親の世話をしてと考えていた矢先のことだったので、かなり辛いと申しております。また兄夫婦に負担をかける事になってしまうので、私としても心苦しいです。
加えて悩ましいのは日本のマンションのこと。はてどうするか。
帰国して家電も一式買いました。
車も買いました。車は間違いなく手放さねばなりません。
間違いなく、引越貧乏です。
2011年2月18日金曜日
火災報知器
火災報知器が鳴ったとき、どうします?
ここのところ日本にあまり住んでいませんので、最近の日本でのそういう経験はなく、社会人になってから日本のホテルや出先でそういう経験があったかどうかも思い出せません。ただし子供の頃を思い起こしますと、割と頻繁に誰かのいたずらや誤作動で、学校の火災報知器が鳴っていました。
そのときどういう対応をしていたかと言うと、たいていは何もしない。あぁ鳴ってると、生徒も先生もしばらく聞き入っているうちに警報が止まる。「誤作動でした」という放送があったこともあるし、何の知らせもなく、そのまま何ごともなかったように授業が再開されることもあったように記憶します。
もちろんこの頃は、まだテロという言葉が、たまにはテルロと表現する人がいるほどに一般的な言葉ではなかった平和な日々のお話。
サウジ時代に、娘たちが通うアメリカンスクールでも、時たま火災報知器が誤作動を起こすことがありました。私は週に一度の頻度で学校のお手伝いに行っており、そのときに警報が鳴ったこともありました。その時の対応に、正直言って驚いたものです。
警報機が鳴った途端、誤作動かどうかなど疑うこともなく、先生は間髪入れずに生徒の避難を始め、指定された場所へ移動するのです。この時はまだアルコバールやリヤドでの爆破事件が起きる前で、テロが身近なものとなる以前の話です。自分の学校時代のことと比較して、非常に驚いたのを覚えています。
さて、仕事で頻繁にホテルに滞在するようになり、これまで4度、火災報知器が鳴ることがありました。同じホテルで2度ずつなのですが、誤報なのか火災なのかわかりませんから、もちろんすぐさま避難しました。
最初のホテルでは、ロビーまで降りてすぐに誤報だとわかりましたが、法律でホテルが勝手に警報を切ることができないのです。火災報知器が鳴ったとたん、消防署に通報されていますが、消防車が到着して、点検を終えてからでないとホテル側が一方的に火災報知器を切ってはいけないのです。ですから、消防車が到着するまでのしばらくの間はじっと我慢。
この警報機の音が半端じゃないのです。特に客室内は耳をつんざくような音で(寝ている客も起こさないといけないから)、部屋に留まることは普通の人ならほぼ不可能。仕方なくロビーや外で警報が鳴り止むのを待つことになります。
2週間ほど前に、またホテルで警報が鳴りました。一応避難しましたが、すぐさま部屋を出られる状態ではなく(笑)、着替えてから廊下に出たら、下からエレベータで上がって来たお客さんが、「誤報だよ」と教えてくれました。とはいえ、こんなうるさい部屋にはいられませんので、下へ降りました。どうやら誰かが食堂に備えてあるオーブントースターでベーグルを焦がした模様。消防署が来て警報を止めてくれるまでロビーで待つこと半時間。
それからしばらくしたある日、再び警報が鳴りました。夕方で、ホテルに戻ったばかりでしたので、そのまますんなり部屋から出られました(笑)。また誤報かな、それならエレベータで降りてもいいかな、とか迷いつつも、まじめに非常階段を使って降りました。
降りてすぐに、慌てて走り回っているホテルのマネージャーに出くわしたので、「また誤報?」と尋ねると、「いえ、スプリンクラーが誤作動して・・・」と指差します。見るとホテルの入り口の二重になった自動ドアの間の天井から、まさに「バケツをひっくり返した」と表現するにふさわしい勢いでスプリンクラーから水が放射されています。みるみるホテルのロビーが水浸しに。
アラームもスプリンクラーも、消防車が到着して点検を終えて止めてくれるまで、30分ほど鳴りっぱなしの出っ放しでした。
翌朝には、ロビーの至る所でファン(扇風機)が回っておりました。
それにしても、スプリンクラーから出ている水って初めて見ましたが、まったくもってすっごい勢い!
ここのところ日本にあまり住んでいませんので、最近の日本でのそういう経験はなく、社会人になってから日本のホテルや出先でそういう経験があったかどうかも思い出せません。ただし子供の頃を思い起こしますと、割と頻繁に誰かのいたずらや誤作動で、学校の火災報知器が鳴っていました。
そのときどういう対応をしていたかと言うと、たいていは何もしない。あぁ鳴ってると、生徒も先生もしばらく聞き入っているうちに警報が止まる。「誤作動でした」という放送があったこともあるし、何の知らせもなく、そのまま何ごともなかったように授業が再開されることもあったように記憶します。
もちろんこの頃は、まだテロという言葉が、たまにはテルロと表現する人がいるほどに一般的な言葉ではなかった平和な日々のお話。
サウジ時代に、娘たちが通うアメリカンスクールでも、時たま火災報知器が誤作動を起こすことがありました。私は週に一度の頻度で学校のお手伝いに行っており、そのときに警報が鳴ったこともありました。その時の対応に、正直言って驚いたものです。
警報機が鳴った途端、誤作動かどうかなど疑うこともなく、先生は間髪入れずに生徒の避難を始め、指定された場所へ移動するのです。この時はまだアルコバールやリヤドでの爆破事件が起きる前で、テロが身近なものとなる以前の話です。自分の学校時代のことと比較して、非常に驚いたのを覚えています。
さて、仕事で頻繁にホテルに滞在するようになり、これまで4度、火災報知器が鳴ることがありました。同じホテルで2度ずつなのですが、誤報なのか火災なのかわかりませんから、もちろんすぐさま避難しました。
最初のホテルでは、ロビーまで降りてすぐに誤報だとわかりましたが、法律でホテルが勝手に警報を切ることができないのです。火災報知器が鳴ったとたん、消防署に通報されていますが、消防車が到着して、点検を終えてからでないとホテル側が一方的に火災報知器を切ってはいけないのです。ですから、消防車が到着するまでのしばらくの間はじっと我慢。
この警報機の音が半端じゃないのです。特に客室内は耳をつんざくような音で(寝ている客も起こさないといけないから)、部屋に留まることは普通の人ならほぼ不可能。仕方なくロビーや外で警報が鳴り止むのを待つことになります。
2週間ほど前に、またホテルで警報が鳴りました。一応避難しましたが、すぐさま部屋を出られる状態ではなく(笑)、着替えてから廊下に出たら、下からエレベータで上がって来たお客さんが、「誤報だよ」と教えてくれました。とはいえ、こんなうるさい部屋にはいられませんので、下へ降りました。どうやら誰かが食堂に備えてあるオーブントースターでベーグルを焦がした模様。消防署が来て警報を止めてくれるまでロビーで待つこと半時間。
それからしばらくしたある日、再び警報が鳴りました。夕方で、ホテルに戻ったばかりでしたので、そのまますんなり部屋から出られました(笑)。また誤報かな、それならエレベータで降りてもいいかな、とか迷いつつも、まじめに非常階段を使って降りました。
降りてすぐに、慌てて走り回っているホテルのマネージャーに出くわしたので、「また誤報?」と尋ねると、「いえ、スプリンクラーが誤作動して・・・」と指差します。見るとホテルの入り口の二重になった自動ドアの間の天井から、まさに「バケツをひっくり返した」と表現するにふさわしい勢いでスプリンクラーから水が放射されています。みるみるホテルのロビーが水浸しに。
アラームもスプリンクラーも、消防車が到着して点検を終えて止めてくれるまで、30分ほど鳴りっぱなしの出っ放しでした。
翌朝には、ロビーの至る所でファン(扇風機)が回っておりました。
それにしても、スプリンクラーから出ている水って初めて見ましたが、まったくもってすっごい勢い!
2011年2月13日日曜日
アップルへ転居しました
2月も半ばになり、アメリカにお住まいの方々はそろそろ確定申告の季節で気が重い日々ではないでしょうか。
私も例に漏れず、このところ確定申告の準備に追われておりました。コイオが去年の4月までアメリカ駐在だったために、2010年度の税金は夫の会社を通して夫婦合算で申告をするため、明日の月曜日までに私の数字をまとめて連絡しなければなりませんでした。という訳で、ここ数日は、その計算に追われてあたふたしておりました。
それに加え、実は先日、ほぼ衝動買い?でMacBook Airを購入してしまったのですが・・・思いもかけぬエライ目に遭っておりました。
私のパソコンはこのところ動きがのろいし、おまけに長時間持たせるために特大のバッテリーをつけているにも関わらず、バッテリーの持続時間は超短くなっていました。そのためパソコンが重く、移動が多い身としては、嵩張るし重たいし・・・。
娘たちが二人ともMacBookだから抵抗なく購入に気持ちが傾いたこともありますが、一番大きな動機となったのはある友人からのメールにあった下記のコメント:
「それにしてもMac Book Airは、革命的ですよ!!! パソコンの買い換えをお考えなのであれば、 もう手放しでお勧めします。本当にすごいです。 これにしてからというもの、 ウィンドウズPC環境が以下に拷問的だったか、 痛感する日々です。」
これを読んで、もういても立ってもいられぬ気持ちになりました。それで買ってしまったのですよね〜。
ところが、ウィンドウズからマックへの住み替えというのは、例えて言えば、住居を外国に移すのと似ていると思います。
日本での日本語の生活に慣れていた人が、ある日、そうですね、ロシアにでも引っ越したとでも想像してください。
基本的なシステムというのは同じだから、ある程度はこれまでと同じように生活できそうなものです。例えば、食料品なら食料品店やスーパーに行けば売っているし、どこかに移動するなら電車、バス、地下鉄なんかに乗れば良いわけです。
ところが言葉は通じない。共通語である英語を駆使してなんとか伝えようとするけれど、伝わるときと伝わらないときがある。
また基本的なルールは一緒だけれど、そこには文化の違いというのが横たわっていて、一筋縄ではいかないのであります。
ウィンドウズからマックへの変更も、まさにそんな感じ。
ある程度は共通の部分があり、餓死したり、行き倒れになることはないのですが、道に迷ってとんでもないところに行ってしまったり、レストランで注文したはずの食べたいものとは全く違ったものが運ばれてくる・・・そんな感じなのですよ。
これまで慣れ親しんでいたウィンドウズ環境での設定通りは進まずに、言うことを聞いてくれなかったり、どうしていいのか途方に暮れる毎日です。
手当り次第にやらないで、ちゃんとマニュアルを読んだり調べたりすればいいんですけれど、そこがせっかちで面倒くさがり屋で気が短い私のこと。適当に触って、しょっちゅうとんでもない結果になっております。
その最たる例がメールアカウントへのアクセス。
私が公私にわたって使用している唯一のアドレスはGmailなのですが、ある日突然Gmailのアカウントへログインできなくなりました。パスワードが間違っていると言うのです。何度正しいパスワードを入力しても結果は同じ。仕方なく、パスワード変更の手続きをして、やっと繋がる始末。ところが、またしばらくするとログインできなくなります。同時にブラックベリーへのメールの転送も中止されました。同じくパスワードが照合できないという理由で。
当初はブラックベリーかGmail側に問題があると思いました。ブラックベリーは直接のカスタマーサービスがないですし(プロバイダーであるATTを通さないと、直接BBのカスタマーサービスには電話相談ができない)、フリーメールであるGmailも同様に電話相談の窓口はありません。いろいろトラブルシュートのウェブサイトを読んで、それに答えて、最後にサイトに掲載されていない例については、ようやく問題内容をウェブサイト上で記入して送ることが出来ました。けれど数日後にメールできた送られてきた返答では私の問題は解決しませんでした。
その間に、ウェブで見つけたBBの再設定方法でなんとかBBは復活しましたが、Gmailにログインできない状況は複数回起き、その度に新たなパスワードを設定。すると再びBBへのメール配信は止まり、そうこうしているうちにオンラインで操作していた銀行のサイトへもアクセスできなくなりました。
時を同じくして、確定申告の準備もしており、出稼ぎ中で様々な書類は家にしかない身としては、オンラインで情報を取り寄せたり、古いメールやその添付書類を検索することが非常に重要だったために、メールにログインできなくなって本当に途方に暮れました。
けれど、実はこの銀行へのアクセスがブロックされたことがヒントになりました。ブロックされた後に、「パスワードが大文字入力されています」というメッセージが出たのです。
実はマックに切り替え、日本語と英語間での言語の切り替えのショートカット設定を行ったときに、どこをどう触って設定したのかはすっかり忘れてしまったのですが、切替操作のショートカットとして選択できるオプションが幾つかあったのですが、ほとんどが3つのキーを同時に押さなければならなかったのに対し、「Caps Lock」キー(英語の大文字設定をロックするキー)を押すだけで日本語と英語が自在に切り替わる設定があったのです。これは便利だと迷わずその設定にしたのですよね。
Caps Lockを押してある間は英語で、実際に大文字入力したいときはシフトキーを押せば言い訳です。全文を大文字だけで入力することなどはほとんどないので(そうしたい場合は、二言語間の切替ではなく、英語だけを使用するモードにすれば、Caps Lockキーは機能します)、これがいいと思ったのです。実際にすごく便利ではありました。
ところが二言語切り換えモードにしているときに、英語で小文字入力をしていて、実際に画面には小文字が表示されていても、サイトによっては大文字入力と認識されていたようなのです。大文字と小文字を別の文字と切り分けて認識しているサイトでは、同じ言葉をパスワードとして入力しても誤った言葉が入力されていると認識されているのです。これがGmailのログイン時や銀行のログイン時に起きていたのですよね。
そうと思いついて、二言語間の切替設定を変更したら問題が解決しました。ここまで来るのになんと道のりの遠かったことよ!
それにしても、そのときに思い知りました。自分のメールにアクセスできなくなることが、いかに大変な問題であるか! 一瞬メールアドレスの変更もしなければならないのかと焦りましたが、もしそうなっていたら、ありとあらゆるところで自分のアドレスを登録していますから、それらを全て変更か・・・と思ったら、倒れそうになりました。メールが個人を認証するツールになっているところもたくさんありますし、重要な連絡も全てメールで来ることになっていますから、それらのメールが受け取れなくなると思うと・・・想像しただけでぞっとしました。
これからもしばらく引っ越し後のドタバタは続きそうですが、早くこのアップルの世界の常識にも慣れ親しんで、住めば都、はたまた「こっちのほうが百倍良かった!」と思う日になりたいものです。
私も例に漏れず、このところ確定申告の準備に追われておりました。コイオが去年の4月までアメリカ駐在だったために、2010年度の税金は夫の会社を通して夫婦合算で申告をするため、明日の月曜日までに私の数字をまとめて連絡しなければなりませんでした。という訳で、ここ数日は、その計算に追われてあたふたしておりました。
それに加え、実は先日、ほぼ衝動買い?でMacBook Airを購入してしまったのですが・・・思いもかけぬエライ目に遭っておりました。
私のパソコンはこのところ動きがのろいし、おまけに長時間持たせるために特大のバッテリーをつけているにも関わらず、バッテリーの持続時間は超短くなっていました。そのためパソコンが重く、移動が多い身としては、嵩張るし重たいし・・・。
娘たちが二人ともMacBookだから抵抗なく購入に気持ちが傾いたこともありますが、一番大きな動機となったのはある友人からのメールにあった下記のコメント:
「それにしてもMac Book Airは、革命的ですよ!!!
これを読んで、もういても立ってもいられぬ気持ちになりました。それで買ってしまったのですよね〜。
ところが、ウィンドウズからマックへの住み替えというのは、例えて言えば、住居を外国に移すのと似ていると思います。
日本での日本語の生活に慣れていた人が、ある日、そうですね、ロシアにでも引っ越したとでも想像してください。
基本的なシステムというのは同じだから、ある程度はこれまでと同じように生活できそうなものです。例えば、食料品なら食料品店やスーパーに行けば売っているし、どこかに移動するなら電車、バス、地下鉄なんかに乗れば良いわけです。
ところが言葉は通じない。共通語である英語を駆使してなんとか伝えようとするけれど、伝わるときと伝わらないときがある。
また基本的なルールは一緒だけれど、そこには文化の違いというのが横たわっていて、一筋縄ではいかないのであります。
ウィンドウズからマックへの変更も、まさにそんな感じ。
ある程度は共通の部分があり、餓死したり、行き倒れになることはないのですが、道に迷ってとんでもないところに行ってしまったり、レストランで注文したはずの食べたいものとは全く違ったものが運ばれてくる・・・そんな感じなのですよ。
これまで慣れ親しんでいたウィンドウズ環境での設定通りは進まずに、言うことを聞いてくれなかったり、どうしていいのか途方に暮れる毎日です。
手当り次第にやらないで、ちゃんとマニュアルを読んだり調べたりすればいいんですけれど、そこがせっかちで面倒くさがり屋で気が短い私のこと。適当に触って、しょっちゅうとんでもない結果になっております。
その最たる例がメールアカウントへのアクセス。
私が公私にわたって使用している唯一のアドレスはGmailなのですが、ある日突然Gmailのアカウントへログインできなくなりました。パスワードが間違っていると言うのです。何度正しいパスワードを入力しても結果は同じ。仕方なく、パスワード変更の手続きをして、やっと繋がる始末。ところが、またしばらくするとログインできなくなります。同時にブラックベリーへのメールの転送も中止されました。同じくパスワードが照合できないという理由で。
当初はブラックベリーかGmail側に問題があると思いました。ブラックベリーは直接のカスタマーサービスがないですし(プロバイダーであるATTを通さないと、直接BBのカスタマーサービスには電話相談ができない)、フリーメールであるGmailも同様に電話相談の窓口はありません。いろいろトラブルシュートのウェブサイトを読んで、それに答えて、最後にサイトに掲載されていない例については、ようやく問題内容をウェブサイト上で記入して送ることが出来ました。けれど数日後にメールできた送られてきた返答では私の問題は解決しませんでした。
その間に、ウェブで見つけたBBの再設定方法でなんとかBBは復活しましたが、Gmailにログインできない状況は複数回起き、その度に新たなパスワードを設定。すると再びBBへのメール配信は止まり、そうこうしているうちにオンラインで操作していた銀行のサイトへもアクセスできなくなりました。
時を同じくして、確定申告の準備もしており、出稼ぎ中で様々な書類は家にしかない身としては、オンラインで情報を取り寄せたり、古いメールやその添付書類を検索することが非常に重要だったために、メールにログインできなくなって本当に途方に暮れました。
けれど、実はこの銀行へのアクセスがブロックされたことがヒントになりました。ブロックされた後に、「パスワードが大文字入力されています」というメッセージが出たのです。
実はマックに切り替え、日本語と英語間での言語の切り替えのショートカット設定を行ったときに、どこをどう触って設定したのかはすっかり忘れてしまったのですが、切替操作のショートカットとして選択できるオプションが幾つかあったのですが、ほとんどが3つのキーを同時に押さなければならなかったのに対し、「Caps Lock」キー(英語の大文字設定をロックするキー)を押すだけで日本語と英語が自在に切り替わる設定があったのです。これは便利だと迷わずその設定にしたのですよね。
Caps Lockを押してある間は英語で、実際に大文字入力したいときはシフトキーを押せば言い訳です。全文を大文字だけで入力することなどはほとんどないので(そうしたい場合は、二言語間の切替ではなく、英語だけを使用するモードにすれば、Caps Lockキーは機能します)、これがいいと思ったのです。実際にすごく便利ではありました。
ところが二言語切り換えモードにしているときに、英語で小文字入力をしていて、実際に画面には小文字が表示されていても、サイトによっては大文字入力と認識されていたようなのです。大文字と小文字を別の文字と切り分けて認識しているサイトでは、同じ言葉をパスワードとして入力しても誤った言葉が入力されていると認識されているのです。これがGmailのログイン時や銀行のログイン時に起きていたのですよね。
そうと思いついて、二言語間の切替設定を変更したら問題が解決しました。ここまで来るのになんと道のりの遠かったことよ!
それにしても、そのときに思い知りました。自分のメールにアクセスできなくなることが、いかに大変な問題であるか! 一瞬メールアドレスの変更もしなければならないのかと焦りましたが、もしそうなっていたら、ありとあらゆるところで自分のアドレスを登録していますから、それらを全て変更か・・・と思ったら、倒れそうになりました。メールが個人を認証するツールになっているところもたくさんありますし、重要な連絡も全てメールで来ることになっていますから、それらのメールが受け取れなくなると思うと・・・想像しただけでぞっとしました。
これからもしばらく引っ越し後のドタバタは続きそうですが、早くこのアップルの世界の常識にも慣れ親しんで、住めば都、はたまた「こっちのほうが百倍良かった!」と思う日になりたいものです。
2011年2月1日火曜日
歴史的天候
ニュースでも大々的に報道されているので、アメリカの半分以上の州に影響を及ぼしている現在の天候(大雪、吹雪、アイス)については、私がブログに書くまでもなく周知のことと思います。
それでも個人的にこれまで体験したことがない気象現象なので、敢えてブログに書きますね。
一昨日、北東部から中西部に仕事で移動して来ました。フライトは予定通りで順調だったのですが、中西部に到着してみると、雨。
仕事先は空港から車で1時間ほどの所なので、レンタカーで出発しました。
外は雨ですが、外気温は華氏で23度(-5℃)。
当然のように、車に付いた雨粒は、車が風を切る影響もあってどんどん凍っていく。それとともに視界も悪化。
ワイパーには氷の玉が出来、それが徐々に大きくなって、ワイパーが浮き上がり、フロントグラスをきちんとぬぐってくれなくなる。ウィンドウォッシャー液でそれを拭おうと出してみると、すぐさまシャーベット状に凍ってますます視界は悪化。この間、車速は出しても時速30とか40マイル。
凍ったフロントグラスを溶かそうと、デフロスターは最強・最高温度に設定。すると車内はめちゃくちゃ暑くなってくる。その暑さに耐えながらしばし頑張ると、少しフロントグラスの氷が少し溶ける。
デフロスターを和らげ、しばらく行くと、またワイパーが拭かない箇所から、見えづらくなり・・・。再びデフロスターを最強に。車内は暑くなって。そんなことを繰り返しながら、暑さに負けて、窓を少し開けて冷気を入れようとしたら、氷の粒が車内に振り込んで来た!
あれれ、雨じゃなくて氷の粒だ! フロントグラスに当たる粒の音がうるさくなったはず。と外気温を確かめると21度(-6℃)に。
ウィンドグラスに水滴が付かなくなったのはいいけれど、路上には氷の粒が積もり始め、なかなか運転も危なかしい。
それでも何とか通常の2倍の時間をかけて目的地に到着。
到着したときには車は凍りに包まれておりました。
そして今日。
ほぼ終日「氷」が降っていました。雪でもあられでもなく、また雹でもない「氷」の粒が降るなんて、今回初めて体験しましたよ。おまけに「吹雪」と呼ぶに相応しい強風。(吹雪警報がでております。)
珍しい体験で、少々興奮もしていますが・・・あいにくと言うか予想通りと言うか、明日の帰路の便は欠航。あさってのお昼の便に振り替えましたが・・・どうなりますやら。
ところで、今日のこの悪天候に先立ち、滞在しているアメリカ北東部は今年は何度も大雪に見舞われ、除雪をするのはいいけれど、除けた雪を積む場所がなくて困っています。ボストンなどは、今度雪が降ったら、公園や子供の遊び場をSnow Farm(雪を積んでおく場所)にするしかないと頭を抱えています。
なんしか、今はこんな状態ですから。
毎年大雪に見舞われるミネアポリスでは、先を見越して、少し前にかなりの投資をして1時間当たり30トンの雪を溶かすことが出来る設備(Snow Dragon)を導入したそう。
ボストンも今となっては、そのくらい投資をしておけば良かったと後悔している模様。
それにしても今年は各地で、積雪量の記録が塗り替えられています。
しかも世界中で妙な気象現象がおきてますよね。
この先どうなっちゃうんでしょう・・・。
それでも個人的にこれまで体験したことがない気象現象なので、敢えてブログに書きますね。
一昨日、北東部から中西部に仕事で移動して来ました。フライトは予定通りで順調だったのですが、中西部に到着してみると、雨。
仕事先は空港から車で1時間ほどの所なので、レンタカーで出発しました。
外は雨ですが、外気温は華氏で23度(-5℃)。
当然のように、車に付いた雨粒は、車が風を切る影響もあってどんどん凍っていく。それとともに視界も悪化。
ワイパーには氷の玉が出来、それが徐々に大きくなって、ワイパーが浮き上がり、フロントグラスをきちんとぬぐってくれなくなる。ウィンドウォッシャー液でそれを拭おうと出してみると、すぐさまシャーベット状に凍ってますます視界は悪化。この間、車速は出しても時速30とか40マイル。
凍ったフロントグラスを溶かそうと、デフロスターは最強・最高温度に設定。すると車内はめちゃくちゃ暑くなってくる。その暑さに耐えながらしばし頑張ると、少しフロントグラスの氷が少し溶ける。
デフロスターを和らげ、しばらく行くと、またワイパーが拭かない箇所から、見えづらくなり・・・。再びデフロスターを最強に。車内は暑くなって。そんなことを繰り返しながら、暑さに負けて、窓を少し開けて冷気を入れようとしたら、氷の粒が車内に振り込んで来た!
あれれ、雨じゃなくて氷の粒だ! フロントグラスに当たる粒の音がうるさくなったはず。と外気温を確かめると21度(-6℃)に。
ウィンドグラスに水滴が付かなくなったのはいいけれど、路上には氷の粒が積もり始め、なかなか運転も危なかしい。
それでも何とか通常の2倍の時間をかけて目的地に到着。
到着したときには車は凍りに包まれておりました。
そして今日。
ほぼ終日「氷」が降っていました。雪でもあられでもなく、また雹でもない「氷」の粒が降るなんて、今回初めて体験しましたよ。おまけに「吹雪」と呼ぶに相応しい強風。(吹雪警報がでております。)
珍しい体験で、少々興奮もしていますが・・・あいにくと言うか予想通りと言うか、明日の帰路の便は欠航。あさってのお昼の便に振り替えましたが・・・どうなりますやら。
ところで、今日のこの悪天候に先立ち、滞在しているアメリカ北東部は今年は何度も大雪に見舞われ、除雪をするのはいいけれど、除けた雪を積む場所がなくて困っています。ボストンなどは、今度雪が降ったら、公園や子供の遊び場をSnow Farm(雪を積んでおく場所)にするしかないと頭を抱えています。
なんしか、今はこんな状態ですから。
毎年大雪に見舞われるミネアポリスでは、先を見越して、少し前にかなりの投資をして1時間当たり30トンの雪を溶かすことが出来る設備(Snow Dragon)を導入したそう。
ボストンも今となっては、そのくらい投資をしておけば良かったと後悔している模様。
それにしても今年は各地で、積雪量の記録が塗り替えられています。
しかも世界中で妙な気象現象がおきてますよね。
この先どうなっちゃうんでしょう・・・。
2011年1月24日月曜日
2011年1月11日火曜日
アリゾナ銃乱射事件
ここ数日のニュースのヘッドラインは、土曜日にアリゾナ州ツーソン市のスーパーで起こった銃の乱射事件。
恐らくこれが他の町で起きた事件だったら、家にテレビもないことだし、さほどニュースに注意を払わなかったのだろうけれど、ツーソンと聞いて無視できなかった。ここはその昔、交換留学生として1年間を過ごした町だから。去年、妹のベッツィー一家もニュージャージーから再びツーソンに転居した。
女性の下院議員が狙撃され重傷を負い、多くの巻き添えの死傷者が出たこの事件は、犯人の詳細がわかる以前から、政治的な動機に違いない、その動機はこうじゃないか、ああじゃないかとたくさんの憶測がメディアで報道されているが、そのうち徐々に解明されていくのだろう。(今日辺りからは精神病の可能性も囁かれている。)
そうした報道の中で、アリゾナ州の銃に関する法律を耳にして、その緩さに一般人の銃の所持が認められないのが当たり前の日本で生まれ育った者としては、唖然としてしまう。
まずアリゾナ州は去年、「許可証なくして銃を携帯することが認められている」第3番目の州となった。他にはバーモント州とアラスカ州がある。
ここで言う携帯とは「隠し持つ」ことで、決してちらつかせてはいけない。
また2009年には、銃を携帯してレストランやバーに入ることも認められたし、たとえ職場が銃の持込を禁じていても、従業員は施錠した車内に残すのであれば職場に銃を持ち込むことも認められている。
・・・酒場に銃・・・。酔っ払って見境がなくなったら簡単に引き金に手をかけてしまいそう・・・。
アリゾナ州は反移民法についても、連邦法より厳しい州法を通そうとしている(通したんだっけ・・・)など、連邦政府の方針とは相対するものが色々あるため、この事件をきっかけに、アリゾナ州について色々取りざたされている。
それにしても、ベッツィーがツーソンに戻ったから早い機会に遊びに行こうと思っていたけど・・・。少なくとも酒場に近づくのはやめよう・・・。
あ、今、思い出した。私が留学していた時のこと。何の話をしていた時か忘れたけれど、お父さんが、ちょっと来てご覧と私を寝室に呼び、彼のベッドサイドテーブルの引き出しを開けて、「何かあったらこれで守るんだ」と言ってピストルを見せてくれたことがあった。ちゃんと弾も込められてあった。
その時は別段ドキッともしなかったし、単に「ああ、アメリカ人の家ではどこでも銃があるものなのね」と思っただけだった。今頃になって、それが特殊な事だったんだと知ったわけだけれど。
ん? 特殊な事なのかな・・・?
オハイオでは猟銃を家に持っている人はたくさんいるし。
実情はどうなんでしょうね。
私もブログねたに買ってみる・・・?????
恐らくこれが他の町で起きた事件だったら、家にテレビもないことだし、さほどニュースに注意を払わなかったのだろうけれど、ツーソンと聞いて無視できなかった。ここはその昔、交換留学生として1年間を過ごした町だから。去年、妹のベッツィー一家もニュージャージーから再びツーソンに転居した。
女性の下院議員が狙撃され重傷を負い、多くの巻き添えの死傷者が出たこの事件は、犯人の詳細がわかる以前から、政治的な動機に違いない、その動機はこうじゃないか、ああじゃないかとたくさんの憶測がメディアで報道されているが、そのうち徐々に解明されていくのだろう。(今日辺りからは精神病の可能性も囁かれている。)
そうした報道の中で、アリゾナ州の銃に関する法律を耳にして、その緩さに一般人の銃の所持が認められないのが当たり前の日本で生まれ育った者としては、唖然としてしまう。
まずアリゾナ州は去年、「許可証なくして銃を携帯することが認められている」第3番目の州となった。他にはバーモント州とアラスカ州がある。
ここで言う携帯とは「隠し持つ」ことで、決してちらつかせてはいけない。
また2009年には、銃を携帯してレストランやバーに入ることも認められたし、たとえ職場が銃の持込を禁じていても、従業員は施錠した車内に残すのであれば職場に銃を持ち込むことも認められている。
・・・酒場に銃・・・。酔っ払って見境がなくなったら簡単に引き金に手をかけてしまいそう・・・。
アリゾナ州は反移民法についても、連邦法より厳しい州法を通そうとしている(通したんだっけ・・・)など、連邦政府の方針とは相対するものが色々あるため、この事件をきっかけに、アリゾナ州について色々取りざたされている。
それにしても、ベッツィーがツーソンに戻ったから早い機会に遊びに行こうと思っていたけど・・・。少なくとも酒場に近づくのはやめよう・・・。
あ、今、思い出した。私が留学していた時のこと。何の話をしていた時か忘れたけれど、お父さんが、ちょっと来てご覧と私を寝室に呼び、彼のベッドサイドテーブルの引き出しを開けて、「何かあったらこれで守るんだ」と言ってピストルを見せてくれたことがあった。ちゃんと弾も込められてあった。
その時は別段ドキッともしなかったし、単に「ああ、アメリカ人の家ではどこでも銃があるものなのね」と思っただけだった。今頃になって、それが特殊な事だったんだと知ったわけだけれど。
ん? 特殊な事なのかな・・・?
オハイオでは猟銃を家に持っている人はたくさんいるし。
実情はどうなんでしょうね。
私もブログねたに買ってみる・・・?????
2011年1月9日日曜日
事の顛末
年末に、今度と言う今度は、もう許さん!と、シナコに対する私の怒りは頂点に達しており、今回はコイオが来たら話し合うと言っておりましたが、その顛末をお話しましょう。
その前に、何故ここまで私が怒っていたかを説明しますと、大学に入ってからシナコから余り連絡がなかったわけですが、これはキニコも同じ。特に用もなく、元気にしているなら、それはそれでよいのですが、シナコの場合はぎりぎりになって何かを連絡、同時に要求してくるわけです。それに対して、私が何かしてあげても、感謝されるどころか罵倒される。
具体的には、冬休みに入るに当たって、「グリニッチに遊びに行きたいんだけど、X日にニューヨークに行くバス停に送ってくれる?」と電話が掛かってきました。前からその話は聞いていましたが、「サンクスギビングにも行ったのだから、別に行かなくてもいいじゃない。行きたければ自分のお金でどうぞ」と言っておりました。
私が「その日はママは家にいないから、送れない」と言うと、
「仕事に行ってるなんて聞いてなかったよ。もう! じゃ、帰りは迎えに来てくれるの?」
「帰りは家にいるから迎えに行くけど、いつ行けばいいか連絡してね」と答えました。
「ねぇ、じゃ行きはバス停までのタクシー代出してくれる?」
「別にママが頼んでグリニッチに行ってもらうわけじゃないから、行きたいなら自分で払えば」と言うと、怒って電話は切れました。
後に帰りのバス情報がメールで送られてきましたが、「お迎えお願いします」の一言もなく、単にバス停の住所と時間が書かれたページをコピーしただけのもの。
最初の電話から1時間ほどして、再びシナコから電話。丁度私はクライアントの方と食事に出かけるところでした。
「ママ、ボイスレッスンの伴奏の人に来週中にお金を払わなくちゃいけなんだけど、払っておいてくれる?」
伴奏の話は、随分前に200ドルほど掛かるといわれていて、「それは高過ぎる。既に授業料とは別にボイスレッスンとピアノのレッスンにお金を払っているのに、その上に伴奏代なんて。なんとか無しでやれないの?」と言ったのですが、その時も、「こんな安い大学に行ってあげてるのに、そのくらい出してくれてもいいでしょう!」
この言葉に私は切れました。
「安い? とんでもない! 他よりは少し学費は少ないかもしれないけれど、決して安くないでしょ! 自分がどれだけ恵まれているかわかっているの!」
「安いは言い過ぎでした、高くないの間違いでした。」
娘たちは生まれてこの方、金銭的な苦労をしたことがない。幸運な事に、私とて金銭的な苦労をしたことはない。けれど私が育った環境は、まだまだ「戦後」の気配が漂う日本。高度成長期で活気はあったものの、世界と比べて日本は遅れていたし、梅田の地下道では物乞いをする傷痍軍人もよく見かけた。同居していた曾祖母には食事の度に、「お百姓さんが汗水たらして作ったお米だから、ごはんを一粒も残してはいけない」と言われていたし、母から戦中の苦労話も聞いていた。
だから貧困は経験したことはなくとも、回りにある貧困や苦労を感じることはできた。(でも本当の意味の苦労はしたことがないので、ちょっとした逆境には私は極めて弱く脆いのであります・・・。)
わが娘たちはと言うと、生まれたときから周りに必要なものが全て揃い、与えられ、加えて父親の海外駐在、母親の留学などを通して、当たり前のように海外旅行をし、両親の多少の努力と運のお陰で、平均よりは多少高い暮らしを当たり前と思っている。更にキニコはプレップスクール、シナコはアメリカで屈指の高級住宅地であるグリニッチにある高校に通った事から、周りは我が家のレベルとは比較にならぬ全米でも超級に裕福な家庭の生徒たち。それを「普通」と思ってしまったことは、ある部分致し方ないのかもしれないが、そろそろ目を覚ましてほしい。
キニコは大学2年より公立大学に編入して少し変わったように思う。決まった金額のお小遣いでやりくりする苦労や、アルバイトを通して、多少はお金に対する感覚は変わったようである。だからシナコが最終的に州立大学を選んだことで、親として経済的に助かると喜んだだけでなく、シナコにとっても極一般的な家庭の生徒たちと生活を共にすることで、普通の世界に気がつくんじゃないかと期待したのです。
話が脱線しましたが、シナコから、ボイスレッスンの伴奏代を払ってと言われて、
「え、伴奏使ってたの? 伴奏はなしにしてって言ったのに・・・」
「そんなの無理。とにかく来週中に払ってね。」
この時、私はシナコはともかく、相手に迷惑をかけてはいけないと思ってしまい、
「わかった。小切手は送る。けれど、幾らで、いつまでに、誰宛で、どこの住所なのか、ちゃんとメモを書いて、キッチンのカウンターに置いておいてね!」
するとシナコの答えは、
「そんなこと、あったり前でしょ。バッカじゃないの!」
この言葉に私は切れた。人に物をお願いする態度じゃないでしょ。側にクライアントさんがいるのも忘れ、大声で
「当たり前だけど大切だから言うんでしょうが!こういうのをダブルチェックって言うのよ!重要だから、言うんじゃないの!」
「私をバカと思ってるの? とにかく送ってね」
「送るから、言われたことをしなさい! じゃないと・・・」
電話は一方的に切れておりました。
帰宅して、メモを見ると、伴奏代はなんと450ドル!
この金額を、簡単に「払って」の一言で済ませたシナコの金銭感覚はどうなっているのか。
しかも、お願いしますの一言もない。
グリニッチに遊びに行った後も、「着いた」の一言もない。夜中の2時発のバスなので、夜中にタクシーを呼んで行っているから、こっちも心配はしていた。この家はナビの地図にも載っていないからタクシーがちゃんと来たのかどうかも。心配はしたけれど、こっちからは絶対に連絡はしないと決めた。もうどうなっても知らんと。その後もどこの誰の家にいるのか、一切連絡なし。帰宅前夜に「携帯の電池がないので、携帯はもう切りますが、明日の朝X時にバス停に来てね」とメールが来たけれど、私は迎えに行きたくなかったので、返事もせず、代わりに迎えを頼んだキニコにメールを転送しただけ。
シナコが帰宅した日、私は風邪気味でもあったから寝室にこもっていた。シナコもキニコから、「ママが怒っている」と聞いていたからか、私の寝室に「ただいま」とも言いに来なかった。夕食で顔を合わせたとき、とりあえず普通の会話はしましたが。
夜になって、シナコが私の寝室にやって来た。
「ごめんなさい」
「ごめんなさいって何に対して?」
「・・・知らんよ。ママが怒ってるから・・・」
「もういい。今は話したくない。パパが来たらきちんと話をするから」
「何で! 何がいけないのよ!」
とにかくこの場は無視する事に。
で、コイオが来たわけですが、雪は降るわ、買い物はしないといけないわ、帰省の前の準備はあるわで、バタバタして、「今度と言う今度は、きちんと言い渡す」と息巻いていた割には、結局はきちんとした機会を持つことはできず。
言葉は交わさず一方的にこちらの要求を突きつけた方が話合うよりは良さそうだとも思ったので、事前に準備してコイオの同意も得ていた「契約書」を、帰省前夜に2人の娘に渡し、「これを読んで署名して」と言い放ちました。
ちなみに契約書の原本は日本語。難解な日本語はわからないだろうからと、一応英訳は付けました。二人とも勿論、英語の方を読んでおりました。日本語を原本とした理由は、最初から英語で書くと二人とも私の英語の表現が変だとか間違っているとか難癖つけるに違いないので、あくまで私の優位性を保つためにも、英語は日本語がわからない二人のために「好意」で付けてあげたと言う形を取ったのです。
キニコは、読むや否や、「なんで私がこんなものにサインしなくちゃいけないの? 問題があるのはシナコでしょ?」
「いえ、公平を期すためにも、キニコにもサインしてもらいます。全て出来てるなら心配要らないでしょ。けど、アンタだっていつも、迎えに来て欲しい時にフライト番号と時間しか伝えてこなくて、『お迎えお願いします』の一言もないからね」
「いや、これは一方的過ぎる! わかった、サインする。するけど追加条項を付けるからね!」
追加条項の内容については、私も少し折れることにして、キニコは署名。キニコがサインしたので、しぶしぶながらシナコも署名。こちらにも同様の追加条項を追加。
と言うことで、下に転記する内容に、めでたく2人の娘たちは合意したのであります!
はて、今後の2人の態度に、乞うご期待。
でもね、既にちょっと嬉しい事が。
シナコがそれ以降、随分変わったのです!
帰省中も非常に良い子で口答えもなく素直。帰りの2人きりの飛行機の中でも、普段なら必ず親子喧嘩に至るのに、全く口答えもなく素直。しかも、昨夜大学の寮に戻ったのですが、その前に、何も言っていないのに、「ママ、掃除するスポンジどこ? ガラス磨きは?」と聞きに来て、自ら自分たちのバスルームを掃除して行ったのであります。こんなことは前代未聞。
今日は雨かと思いましたが、何故か晴天。
++++++++++
その前に、何故ここまで私が怒っていたかを説明しますと、大学に入ってからシナコから余り連絡がなかったわけですが、これはキニコも同じ。特に用もなく、元気にしているなら、それはそれでよいのですが、シナコの場合はぎりぎりになって何かを連絡、同時に要求してくるわけです。それに対して、私が何かしてあげても、感謝されるどころか罵倒される。
具体的には、冬休みに入るに当たって、「グリニッチに遊びに行きたいんだけど、X日にニューヨークに行くバス停に送ってくれる?」と電話が掛かってきました。前からその話は聞いていましたが、「サンクスギビングにも行ったのだから、別に行かなくてもいいじゃない。行きたければ自分のお金でどうぞ」と言っておりました。
私が「その日はママは家にいないから、送れない」と言うと、
「仕事に行ってるなんて聞いてなかったよ。もう! じゃ、帰りは迎えに来てくれるの?」
「帰りは家にいるから迎えに行くけど、いつ行けばいいか連絡してね」と答えました。
「ねぇ、じゃ行きはバス停までのタクシー代出してくれる?」
「別にママが頼んでグリニッチに行ってもらうわけじゃないから、行きたいなら自分で払えば」と言うと、怒って電話は切れました。
後に帰りのバス情報がメールで送られてきましたが、「お迎えお願いします」の一言もなく、単にバス停の住所と時間が書かれたページをコピーしただけのもの。
最初の電話から1時間ほどして、再びシナコから電話。丁度私はクライアントの方と食事に出かけるところでした。
「ママ、ボイスレッスンの伴奏の人に来週中にお金を払わなくちゃいけなんだけど、払っておいてくれる?」
伴奏の話は、随分前に200ドルほど掛かるといわれていて、「それは高過ぎる。既に授業料とは別にボイスレッスンとピアノのレッスンにお金を払っているのに、その上に伴奏代なんて。なんとか無しでやれないの?」と言ったのですが、その時も、「こんな安い大学に行ってあげてるのに、そのくらい出してくれてもいいでしょう!」
この言葉に私は切れました。
「安い? とんでもない! 他よりは少し学費は少ないかもしれないけれど、決して安くないでしょ! 自分がどれだけ恵まれているかわかっているの!」
「安いは言い過ぎでした、高くないの間違いでした。」
娘たちは生まれてこの方、金銭的な苦労をしたことがない。幸運な事に、私とて金銭的な苦労をしたことはない。けれど私が育った環境は、まだまだ「戦後」の気配が漂う日本。高度成長期で活気はあったものの、世界と比べて日本は遅れていたし、梅田の地下道では物乞いをする傷痍軍人もよく見かけた。同居していた曾祖母には食事の度に、「お百姓さんが汗水たらして作ったお米だから、ごはんを一粒も残してはいけない」と言われていたし、母から戦中の苦労話も聞いていた。
だから貧困は経験したことはなくとも、回りにある貧困や苦労を感じることはできた。(でも本当の意味の苦労はしたことがないので、ちょっとした逆境には私は極めて弱く脆いのであります・・・。)
わが娘たちはと言うと、生まれたときから周りに必要なものが全て揃い、与えられ、加えて父親の海外駐在、母親の留学などを通して、当たり前のように海外旅行をし、両親の多少の努力と運のお陰で、平均よりは多少高い暮らしを当たり前と思っている。更にキニコはプレップスクール、シナコはアメリカで屈指の高級住宅地であるグリニッチにある高校に通った事から、周りは我が家のレベルとは比較にならぬ全米でも超級に裕福な家庭の生徒たち。それを「普通」と思ってしまったことは、ある部分致し方ないのかもしれないが、そろそろ目を覚ましてほしい。
キニコは大学2年より公立大学に編入して少し変わったように思う。決まった金額のお小遣いでやりくりする苦労や、アルバイトを通して、多少はお金に対する感覚は変わったようである。だからシナコが最終的に州立大学を選んだことで、親として経済的に助かると喜んだだけでなく、シナコにとっても極一般的な家庭の生徒たちと生活を共にすることで、普通の世界に気がつくんじゃないかと期待したのです。
話が脱線しましたが、シナコから、ボイスレッスンの伴奏代を払ってと言われて、
「え、伴奏使ってたの? 伴奏はなしにしてって言ったのに・・・」
「そんなの無理。とにかく来週中に払ってね。」
この時、私はシナコはともかく、相手に迷惑をかけてはいけないと思ってしまい、
「わかった。小切手は送る。けれど、幾らで、いつまでに、誰宛で、どこの住所なのか、ちゃんとメモを書いて、キッチンのカウンターに置いておいてね!」
するとシナコの答えは、
「そんなこと、あったり前でしょ。バッカじゃないの!」
この言葉に私は切れた。人に物をお願いする態度じゃないでしょ。側にクライアントさんがいるのも忘れ、大声で
「当たり前だけど大切だから言うんでしょうが!こういうのをダブルチェックって言うのよ!重要だから、言うんじゃないの!」
「私をバカと思ってるの? とにかく送ってね」
「送るから、言われたことをしなさい! じゃないと・・・」
電話は一方的に切れておりました。
帰宅して、メモを見ると、伴奏代はなんと450ドル!
この金額を、簡単に「払って」の一言で済ませたシナコの金銭感覚はどうなっているのか。
しかも、お願いしますの一言もない。
グリニッチに遊びに行った後も、「着いた」の一言もない。夜中の2時発のバスなので、夜中にタクシーを呼んで行っているから、こっちも心配はしていた。この家はナビの地図にも載っていないからタクシーがちゃんと来たのかどうかも。心配はしたけれど、こっちからは絶対に連絡はしないと決めた。もうどうなっても知らんと。その後もどこの誰の家にいるのか、一切連絡なし。帰宅前夜に「携帯の電池がないので、携帯はもう切りますが、明日の朝X時にバス停に来てね」とメールが来たけれど、私は迎えに行きたくなかったので、返事もせず、代わりに迎えを頼んだキニコにメールを転送しただけ。
シナコが帰宅した日、私は風邪気味でもあったから寝室にこもっていた。シナコもキニコから、「ママが怒っている」と聞いていたからか、私の寝室に「ただいま」とも言いに来なかった。夕食で顔を合わせたとき、とりあえず普通の会話はしましたが。
夜になって、シナコが私の寝室にやって来た。
「ごめんなさい」
「ごめんなさいって何に対して?」
「・・・知らんよ。ママが怒ってるから・・・」
「もういい。今は話したくない。パパが来たらきちんと話をするから」
「何で! 何がいけないのよ!」
とにかくこの場は無視する事に。
で、コイオが来たわけですが、雪は降るわ、買い物はしないといけないわ、帰省の前の準備はあるわで、バタバタして、「今度と言う今度は、きちんと言い渡す」と息巻いていた割には、結局はきちんとした機会を持つことはできず。
言葉は交わさず一方的にこちらの要求を突きつけた方が話合うよりは良さそうだとも思ったので、事前に準備してコイオの同意も得ていた「契約書」を、帰省前夜に2人の娘に渡し、「これを読んで署名して」と言い放ちました。
ちなみに契約書の原本は日本語。難解な日本語はわからないだろうからと、一応英訳は付けました。二人とも勿論、英語の方を読んでおりました。日本語を原本とした理由は、最初から英語で書くと二人とも私の英語の表現が変だとか間違っているとか難癖つけるに違いないので、あくまで私の優位性を保つためにも、英語は日本語がわからない二人のために「好意」で付けてあげたと言う形を取ったのです。
キニコは、読むや否や、「なんで私がこんなものにサインしなくちゃいけないの? 問題があるのはシナコでしょ?」
「いえ、公平を期すためにも、キニコにもサインしてもらいます。全て出来てるなら心配要らないでしょ。けど、アンタだっていつも、迎えに来て欲しい時にフライト番号と時間しか伝えてこなくて、『お迎えお願いします』の一言もないからね」
「いや、これは一方的過ぎる! わかった、サインする。するけど追加条項を付けるからね!」
追加条項の内容については、私も少し折れることにして、キニコは署名。キニコがサインしたので、しぶしぶながらシナコも署名。こちらにも同様の追加条項を追加。
と言うことで、下に転記する内容に、めでたく2人の娘たちは合意したのであります!
はて、今後の2人の態度に、乞うご期待。
でもね、既にちょっと嬉しい事が。
シナコがそれ以降、随分変わったのです!
帰省中も非常に良い子で口答えもなく素直。帰りの2人きりの飛行機の中でも、普段なら必ず親子喧嘩に至るのに、全く口答えもなく素直。しかも、昨夜大学の寮に戻ったのですが、その前に、何も言っていないのに、「ママ、掃除するスポンジどこ? ガラス磨きは?」と聞きに来て、自ら自分たちのバスルームを掃除して行ったのであります。こんなことは前代未聞。
今日は雨かと思いましたが、何故か晴天。
++++++++++
学費・生活費を払ってもらう、その他親のサポートを得るためのルール&マナー
下記の大人としての基本的なルールや礼儀を守れない場合は、その程度によって、親の物理的サポート(送り迎え、物を送るなど)、金銭的サポート(小遣い、学費、その他の経済的支援)は、一方的に断ち切られることを覚悟した行動を取ること。
Ø 年間の金銭的支援は、学費と小遣いのみである。それ以外に発生する教育に関する費用は、事前に、しかるべき手段をもって親に相談しなければならない。
Ø 「それ以外に発生する教育に関する費用」とは、定められた学費と小遣い以外で必要になる経費である。これには教科書・備品代、授業料に含まれない特別な授業、課外活動に必要な衣装・用具代なども含まれる。支払うかどうかは親が決定する。
Ø 親の合意が得られない場合は、(1)諦める、もしくは(2)自分で払う。
Ø 「自分で払う」場合のオプションとして、親の合意があれば、借用書を持って親からお金を借りることが出来る。条件等はその時ごとに相談のこと。
Ø 「それ以外に発生する教育に関する費用」に関しては、必ず領収書もしくはそれに代わる支払の証拠となるものの提出が要求される。
Ø 「事前」とは、本人がその必要性を知った直後であること。本人が直前に知った場合などの特別な場合を除き、直前になって相談された場合には、ほぼ合意は得られないものと理解しておくべきである。
Ø 「しかるべき手段」とは、親が詳細を忘れないためにも、電話やテキストのような後から調べることが困難な方法ではなく、メールや手紙などの「文書」による通知を意味する。
Ø 親からの金銭的支援を受けている間は、子供は親に報告の義務がある。外出の場合、どこに、何の目的で、何時から何時まで滞在するかを事前に知らせ、更には常に自分の所在を親に連絡することは常識である。こうした報告義務を怠る場合は、金銭的援助は打ち切られる覚悟をすること。
Ø 金銭の授受に関しても、必ず受け取ったことを即座に双方の親に連絡すること。連絡なき場合は、今後の金銭的援助はないものと思うこと。
Ø 帰宅の際、どこかへの移動の際の送り迎えなどの物理的なサポートや交通費などの金銭的なサポートに関しても、事前に文書で依頼するものとする。状況に応じて可能な限りの対処はするが、事情により親が物理的な対応が出来ない場合には、代替の方法を模索すること。またその際の金銭的なサポートは親が認めたケースにのみ支払われる。それ以外は自己負担とする。
Ø 親に何かを依頼する場合は、しかるべき態度が期待される。親を罵倒するような態度が見られた場合は、即座に支援は打ち切られるものと覚悟すること。
Ø 親の話は黙って最後まで聞くこと。話も聞かずに「聞いていない」と言うのはもってのほかである。何か言いたいことがあれば、後に文書にて提出のこと。
Ø もし上記の限りでない行為や態度があった場合、両親の総意としてイエローカードを出し、イエローカードが出た場合は、子は罰金として100ドルを支払うものである。
Ø イエローカードは2枚まで。3回目の違反があった時は、レッドカードが出され、その際は一切の金銭的支援が停止される。
Ø もしイエローカード若しくはレッドカードに対して不服がある場合は、不服申し立て費用として200ドルを支払えば、審議が行なわれる。両親により審議が行なわれた後、その不服が正当なものであると判断された場合は、200ドルは払い戻され、カードも取り消される。不服申し立てが不当であるとされた場合には、イエローカードの場合は、200ドルのうち100ドルが徴収され、イエローカードが決定する。レッドカードの場合は、200ドルは戻されるが、その後一切の金銭的援助は停止される。
以上 年 月 日 __________
追加条項: 1枚目のイエローカードが発行される前に、1度のみ「注意」が促され
る。
1学期(半期)間イエローカードがなければ$50もらえる。
2011年1月8日土曜日
日本から戻りました
一昨日、6泊7日の帰省を終えてノースカロライナに戻ってきました。
今回の旅は、まさに行きはヨイヨイ帰りはコワイ・・・。と言うのも、行きはニューヨーク駐在だったコイオの帯同家族の正式帰国と言う形で帰国したため、帰国費用はコイオの会社持ち。
それゆえ、飛行機は全日空のビジネスクラス! ニューヨーク・成田便は777-300と言う新造機で、飛行機のおよそ半分のスペースはファーストとビジネスに宛がわれている。ビジネスもフラットシートで、しかも通常、横に2席x3席x2席となるスペースが、1席x2席x1席。まるで新幹線の個室気分。一人旅ならいいけれど、新婚旅行なんかでこの飛行機に乗ったら、隣が遠すぎて2人でいちゃいちゃもできないよ。ビジネスクラスで十分ファースト並と思うから、更にこれでファーストに乗る人って、どんな人なんやろう。(どんな豪華なんでしょ。)
ごはんは下手にレストランで食べるより上品でおいしいし、お酒も、こんな良いお酒飲んだことありません!レベルのお酒で、機内ではつい卑しく飲むわ、食べるわ。日本に着いた時点で既に体重1キロ増。
ちなみにコイオさんは、既に4月に「ご帰国済み」なので、一人寂しくマイレージを使ってユナイテッドの別ルートで帰りました。
戻りは私たちもユナイテッドのマイレージを使って。ANAとの格差に唖然。勿論ANAはビジネスで、ユナイテッドはエコノミーだったと言うこともあるけど、フライトアテンダントだけを取っても、歴然とした差異が・・・。見かけのことは言っちゃいけませんけど、同じ日本人のフライトアテンダントでも、働く文化が違うとこれだけ差が出るのかと思わずにはいられませんでした。あ、私もアメリカ文化の中で働いてるから、きっと純然たる日本の人からは、あきれられてるのかなぁ。食事は、それはそれは貧しいものでありましたが、これはANAのエコノミーと比較してないのでわかりません。でも以前のユナイテッドと比べても、今や削れるところはみんな削っているってんだなって印象でした。
コイオとは成田で落ち合って、コイオの車で帰宅。
到着は大晦日の夜。とりあえず自宅で年越しそばを作って、日本人らしく紅白を見ながら年越し。(前半は子供たちがナイナイの特別番組を見てたけど、途中で寝たのでチャンネルを紅白へ。)
翌日はコイオさんがスーパーで買ってあった品々を重箱に詰めただけのおせち料理に、関西風に白味噌のお雑煮を作り、新年のお祝い。午後に義母をケアホームに見舞って、3時すぎに関西の私の実家に向けて出発。東名と新名神を乗り継いで、夜11時半に到着。東名+名神の高速料は1万円あまりのところが、祝日だからかたったの2500円!
休日に高速料金を引き下げると政府が決めたときに、「そんないらんことしてくれんでええ!」と反対だった私ですが、いざ自分が恩恵を被るとなると、「これって悪くないじゃん!」と現金にも喜んでしまいました。千葉に戻ったのは3日でしたが、この日も同じく割引料金が適用。わーい、わーい!
実家で過ごしたのが丸2日、千葉で過ごしたのも4日という慌しい帰省でしたが、今回もまたしっかり100均やドラッグストア、ユニクロで様々なグッズを購入。本当に日本って、1つのものでも種類が豊富で、選択肢が多くていいな。便利グッズも一杯あって、どれを見てもほしくなります。値段は分極化していて、安いものと高いものに別れるけれど、安くてもいい物一杯あるし。
ちなみに2日、実家の近くの西宮戎神社に初詣。おみくじを引くと・・・凶! ががーん。
だけど、そのままじゃ嫌でしょ。だから凶のおみくじをくくりつけるや否や、再びおみくじを引きに行きました。
今度は末吉。
ものの5分ほどで、凶から末吉に運気が向上。すごいじゃない! しかも最初のおみくじでは、良い方角は北東。次のおみくじでは南西。ってことは、今年は東西南北どの方向も良いってことよね! 最高じゃん。
5日は友人宅で「コラーゲン鍋」なるものをご馳走してもらいました。流行ってるんだって。「ジョダコさんに是非食べさせたかった」とご主人が言ったのですが・・・・うぐぐ、それって私が見るからに潤いがなくって干からびているってことなんすかね?
コラーゲン鍋の素に加えて、コラーゲンの塊をエキストラで加えてくれた鍋のスープ。「これ食べたらきっと明日はテカルよ!」と言われていたのに、テカルどころか、殆ど変化なし。乾ききっているのかしら・・・。
是非アメリカに持って帰ろうと千葉のスーパーで探したのだけれど、コラーゲン鍋の素は見つかったものの(液体で重たいので諦めた)、どんな料理に加えても良いというコラーゲンの塊(=エバラ、料理にポン!コラーゲン)は見つかりませんでした・・・。残念。

次、アメリカに来る方は、お土産でこれを下さいまし。
今回の旅は、まさに行きはヨイヨイ帰りはコワイ・・・。と言うのも、行きはニューヨーク駐在だったコイオの帯同家族の正式帰国と言う形で帰国したため、帰国費用はコイオの会社持ち。
それゆえ、飛行機は全日空のビジネスクラス! ニューヨーク・成田便は777-300と言う新造機で、飛行機のおよそ半分のスペースはファーストとビジネスに宛がわれている。ビジネスもフラットシートで、しかも通常、横に2席x3席x2席となるスペースが、1席x2席x1席。まるで新幹線の個室気分。一人旅ならいいけれど、新婚旅行なんかでこの飛行機に乗ったら、隣が遠すぎて2人でいちゃいちゃもできないよ。ビジネスクラスで十分ファースト並と思うから、更にこれでファーストに乗る人って、どんな人なんやろう。(どんな豪華なんでしょ。)
ごはんは下手にレストランで食べるより上品でおいしいし、お酒も、こんな良いお酒飲んだことありません!レベルのお酒で、機内ではつい卑しく飲むわ、食べるわ。日本に着いた時点で既に体重1キロ増。
ちなみにコイオさんは、既に4月に「ご帰国済み」なので、一人寂しくマイレージを使ってユナイテッドの別ルートで帰りました。
戻りは私たちもユナイテッドのマイレージを使って。ANAとの格差に唖然。勿論ANAはビジネスで、ユナイテッドはエコノミーだったと言うこともあるけど、フライトアテンダントだけを取っても、歴然とした差異が・・・。見かけのことは言っちゃいけませんけど、同じ日本人のフライトアテンダントでも、働く文化が違うとこれだけ差が出るのかと思わずにはいられませんでした。あ、私もアメリカ文化の中で働いてるから、きっと純然たる日本の人からは、あきれられてるのかなぁ。食事は、それはそれは貧しいものでありましたが、これはANAのエコノミーと比較してないのでわかりません。でも以前のユナイテッドと比べても、今や削れるところはみんな削っているってんだなって印象でした。
コイオとは成田で落ち合って、コイオの車で帰宅。
到着は大晦日の夜。とりあえず自宅で年越しそばを作って、日本人らしく紅白を見ながら年越し。(前半は子供たちがナイナイの特別番組を見てたけど、途中で寝たのでチャンネルを紅白へ。)
翌日はコイオさんがスーパーで買ってあった品々を重箱に詰めただけのおせち料理に、関西風に白味噌のお雑煮を作り、新年のお祝い。午後に義母をケアホームに見舞って、3時すぎに関西の私の実家に向けて出発。東名と新名神を乗り継いで、夜11時半に到着。東名+名神の高速料は1万円あまりのところが、祝日だからかたったの2500円!
休日に高速料金を引き下げると政府が決めたときに、「そんないらんことしてくれんでええ!」と反対だった私ですが、いざ自分が恩恵を被るとなると、「これって悪くないじゃん!」と現金にも喜んでしまいました。千葉に戻ったのは3日でしたが、この日も同じく割引料金が適用。わーい、わーい!
実家で過ごしたのが丸2日、千葉で過ごしたのも4日という慌しい帰省でしたが、今回もまたしっかり100均やドラッグストア、ユニクロで様々なグッズを購入。本当に日本って、1つのものでも種類が豊富で、選択肢が多くていいな。便利グッズも一杯あって、どれを見てもほしくなります。値段は分極化していて、安いものと高いものに別れるけれど、安くてもいい物一杯あるし。
ちなみに2日、実家の近くの西宮戎神社に初詣。おみくじを引くと・・・凶! ががーん。
だけど、そのままじゃ嫌でしょ。だから凶のおみくじをくくりつけるや否や、再びおみくじを引きに行きました。
今度は末吉。
ものの5分ほどで、凶から末吉に運気が向上。すごいじゃない! しかも最初のおみくじでは、良い方角は北東。次のおみくじでは南西。ってことは、今年は東西南北どの方向も良いってことよね! 最高じゃん。
5日は友人宅で「コラーゲン鍋」なるものをご馳走してもらいました。流行ってるんだって。「ジョダコさんに是非食べさせたかった」とご主人が言ったのですが・・・・うぐぐ、それって私が見るからに潤いがなくって干からびているってことなんすかね?
コラーゲン鍋の素に加えて、コラーゲンの塊をエキストラで加えてくれた鍋のスープ。「これ食べたらきっと明日はテカルよ!」と言われていたのに、テカルどころか、殆ど変化なし。乾ききっているのかしら・・・。
是非アメリカに持って帰ろうと千葉のスーパーで探したのだけれど、コラーゲン鍋の素は見つかったものの(液体で重たいので諦めた)、どんな料理に加えても良いというコラーゲンの塊(=エバラ、料理にポン!コラーゲン)は見つかりませんでした・・・。残念。

次、アメリカに来る方は、お土産でこれを下さいまし。
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